韓国サムスン日本人コーチは星野門下生 芹澤裕二、“オヤジ”の教えでアジア奪還

室井昌也

創設1年目から楽天で2軍バッテリーコーチ

韓国サムスンのバッテリーコーチ・芹澤は中日、楽天にも在籍し、銀次らを指導した 【ストライク・ゾーン】

 15日から台湾で行われるアジアシリーズ。5つの国と地域のリーグから6チームが出場するこの大会に、韓国からは韓国シリーズを制したサムスンライオンズが参戦する。そのサムスンには日本代表・東北楽天イーグルスとの対戦を、楽しみにしている人がいる。2010年、SKワイバーンズでのコーチ就任をきっかけに韓国に渡り、12年からサムスンに所属する芹澤裕二バッテリーコーチ(45)だ。

「楽天は前にいたチームですから、顔を合わせられるのは嬉しいですよ」。芹澤は球団創設1年目から5年間、楽天で2軍バッテリーコーチを務めた。ファームでは本拠地の山形をはじめ、東北各地に足を運んだ。「東北で行ったことがない町はないんじゃないですかね」。愛着のある古巣・楽天。その楽天には芹澤にとって大きな存在の人がいる。その人との出会いは芹澤のプロ野球人生のスタート地点にさかのぼる。

「星野監督は僕にとって“オヤジ”」

 芹澤は1986年に大宮東高からドラフト外で中日に入団した。プロ1年目の87年、その年から中日を率いたのは、現在、楽天で指揮を執る、当時40歳の星野仙一監督だった。
「(星野)監督は僕にとって“オヤジ”でもあります。闘志あふれていて、情にもろい。多くの人が持っているイメージ通りの人です」
 星野監督の下、プロ生活が始まった芹澤。芹澤は高校時代、強打の捕手として鳴らしたが、プロでは芽が出なかった。10年間で1軍出場はゼロ。96年限りで現役を引退した。

 翌97年、芹澤は中日のバッテリーコーチとして新たな道を歩き始める。その時の監督も、2度目の監督に就いていた星野仙一だった。芹澤は当時29歳。「30(歳)前でコーチになったので、“若くして上に立った人は、どう努力したのだろう?”といろいろな世界の人に話を聞きました。監督からは戦術はもちろんですが、“若いんだからまず体を動かせ”とアドバイスされました」。首脳陣で最年少だった芹澤の役割は、バッテリーコーチの仕事だけではなく、球場に訪れる大物OBの対応など多岐に渡り、まさに体を動かす日々となった。

 若きコーチの芹澤は一度だけ、星野監督に直談判したことがある。「99年夏頃の巨人戦、中村武志捕手にファウルボールが当たって亀裂骨折したんです。本人は大丈夫と言ったんですが、監督は“中村は2軍だ!”と怒って宿舎に帰ってしまいました。しかしその頃は中村にとって大事な時期。2軍に行かせるわけにはいかないので、翌日、ホテルのエレベーターの前で、監督が部屋から出てくるのをずっと待ちました。そして、監督が現れた時に、“今、中村を落とすわけにはいきません”と言いました。すると、ほとぼりが冷めていたのか“分かった”と言ってくれました」。選手のことを自ら体を張って守った芹澤。その姿はコーチとしてキャリアを重ねた今でも変わっていない。

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著者プロフィール

1972年東京生まれ。「韓国プロ野球の伝え手」として、2004年から著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』を毎年発行。韓国では2006年からスポーツ朝鮮のコラムニストとして韓国語でコラムを担当し、その他、取材成果や韓国球界とのつながりはメディアや日本の球団などでも反映されている。また編著書『沖縄の路線バス おでかけガイドブック』は2023年4月に「第9回沖縄書店大賞・沖縄部門大賞」を受賞した。ストライク・ゾーン代表。

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