元ロッテ・小林亮寛が野球を続ける訳=「戦力外=引退」を否定してきた男の夢
経歴は“プロ野球選手です”
千葉ロッテを02年に解雇され、一度は引退するも、現役復帰し現在は韓国の独立球団・高陽ワンダーズで「プロ野球選手」を続ける小林亮寛 【ストライク・ゾーン】
その一方で、戦力外になったことを前向きにとらえ、8年にわたり、世界各地で投げ続けている日本人投手がいる。2002年に千葉ロッテから戦力外通告を受けた後、米独立リーグ、四国・九州アイランドリーグ、台湾、メキシコの各リーグでプレーし、現在は韓国の独立球団・高陽(コヤン)ワンダーズに所属する小林亮寛(34)がその人だ。
「僕の経歴を書こうとすると、相当、文字数が必要ですよね。僕自身も簡単には説明できません。だから普段は“プロ野球選手です”とだけ言ってます」
おだやかな口調で理路整然と話す小林。その様子には経歴が表すような、ガツガツした感じやハングリーさはない。身長185センチ、切れ長の目に熱いまなざし。凛とした姿には剣士のような風情が漂う。
小林は1998年にPL学園高からドラフト6位でロッテに入団。プロ野球選手になった。しかし、ロッテに在籍した5年間で、1軍での出場はゼロ。彼が野球ファンの記憶に残ったことと言えば、「亮寛」という登録名くらいだった。
「同期に即戦力の選手が多くて、高卒の自分には2軍でもなかなか投げる機会がありませんでした。けがをしているわけでもないのに、登板間隔が中45日とかでしたね。あまりに登板機会がないので、たまにマウンドに上がると、良いところを見せようと思って力が入り、ボールが真ん中に集まって打たれる。そんな悪循環でした」
一度は引退…復帰を後押ししたのは伴侶
小林は当時をこう振り返る。
「試合に出られないのでエネルギーをどこにぶつけていいのか分からず、腐ってしまいそうな時期もありました」
結局、小林は02年オフに戦力外通告を受けた。不完全燃焼のまま告げられたクビ。しかし小林が落ち込むことはなかった。
「クビになった時は……うれしかったですね。ようやく新たなスタートが切れるという踏ん切りがついて、ワクワクしました」
現役を引退した小林は03年から3年間、中日で打撃投手を務める。その間に小林にはふつふつとある感情が芽生え始めた。
「ピッチャーとしてバッターと対戦しないままでいいのだろうか」
プロのユニホームに袖を通していながら、勝負とは縁遠かった小林。年齢は26歳になっていたが、現役復帰する道を模索し始めた。自身の経歴を資料にまとめ、米独立リーグ進出を目指す。しかしそれを見た球団担当者の反応は「登板数が少ないけど、故障持ちなのか?」と冷ややかで、周囲の反応も「止めておけ」と好意的ではなかった。
そんな中、小林の背中を押した人がいた。「止めた方がいいって言ったその人はやったことあるの? 関係ないじゃない。精いっぱいやってみなさいよ」
09年に伴侶となる、当時お付き合いしていた鈴奈さんだった。
「彼女の一言がなかったら決断できませんでした。自分でも気持ちのどこかで“できない”と思っていたんです」