自分で考えるプレーやリーダーのあり方とは?主体性が強さを生むサッカー部のチームづくり。【大阪経済大学サッカー部対談:大石篤人監督 ✖ 村上陽斗前主将(J2いわきFC内定)】
【対談者】
大石 篤人さん
サッカー部 監督。ヴァンフォーレ甲府、群馬FCホリコシで選手として活躍。引退後は藤枝MYFC、ヴァンラーレ八戸などさまざまなチームでコーチ・監督として選手の育成を行う。2022年度にサッカー部のヘッドコーチ、2023年度に監督に就任。
村上 陽斗さん
サッカー部 主将。経済学部4年生。ポジションはフォワード。1年生の頃からコンスタントに得点獲得で結果を残し、関西学生サッカーリーグ1部昇格に貢献。2025年には福島県をホームとするJリーグ2部・いわきFCへの入団が内定している。
当たり前のことができる人に。選手たちの道しるべとなる監督の役割
村上 子どもの頃からサッカーと野球が大好きだったのですが、小学1年生の時に兄がサッカーを始めて、自分もそれに続いたのが本格的に始めたきっかけです。小学5年生頃からプロの試合も見に行くようになり、「自分も将来、あの場所に行きたい!」と思うようになりました。大学への入学は、高校生になって将来を考えたときにレベルの高いところでプレーしたいと考えていたところ、本学から声をかけてもらい進学を決意しました。
大石 陽斗(村上さん)とは、彼が2年生のときに僕がヘッドコーチとしてやってきて出会いました。その頃チームは2部リーグ降格もあって厳しい時期でしたね。
――その翌年の2023年、大石監督が就任されました。監督とはどのようなものだとお考えですか。
大石 監督というのは言葉だけのもので、結局は同じサッカーをする仲間なんですよね。そのうえであえて役割を言えば、現在、100人あまりいる部員たちが良い方向に向かうための道しるべを作ることです。みんなが陽斗のようにプロになれるわけではないから、社会に出た時に当たり前のことができるように導くのは、大学サッカーの指導者として大事なことだと思います。
当たり前のことというのは、練習の5分前には集合する、身だしなみはきちんとする、関わる人みんなに挨拶するといったことですね。練習場にしても借りているものなのでサッカーができて当たり前と思わず、感謝の気持ちをもってボール拾いや環境整備に努めるようにと言っています。こういった心がけがないチームは結果が出せないと思っています。
村上 篤さん(大石監督)がいつもおっしゃっていることですね。今日は指導者としてどんな考えを持ってらっしゃるのか、もっと知れたらと思っています。
――監督を篤さん(あつさん)と呼んでいるんですね。
村上 はい、初めてお会いした日に「篤さんと呼んでいいよ」と。
大石 監督といっても、普通のいち人間ですし、プロも監督のことを名前やあだ名で呼ぶことがほとんどなんですよ。
監督はいらない?最も強いチームとは
大石 野球の場合は監督がベンチからサインを出して指示を送りますが、サッカーはそういうものがないので、選手が自分で考え、グラウンドで行動しないといけません。僕が理想とするサッカー像では最終的に監督はいらなくて、自分たちで考えてプレーするチームが最も強いと思っています。本当に困ったときに少しアドバイスするのが指導者の立ち位置なのかなと。社会に出ても、言われる前に自分で行動して仕事をこなす人は、おのずと頼りにされますよね。
村上 そう考えるようになられたのは、どんなきっかけがあったんですか?
大石 自分が選手だった時代には、選手が自分たちでしっかりと考えるという指導はまったくなかったんです。唯一、大学時代に出会った僕の指導者は、すべてを教えず選手自身に気づかせることを指針にしていましたので、その教えを自分なりにアレンジしています。
プロの世界は、周りからチヤホヤされていても突然クビになるような世界です。その経験もふまえて部員たちには「社会ってそんなに甘くない、求められるような人材になるには細かいことまで注意を払わなきゃだめだよ」ということを、サッカーを通じて伝えたいと思っています。でも、本学に来てすぐの頃は、意識を変えていくまでになかなか時間がかかりました。
村上 まず練習が格段に厳しくなったので、初めは戸惑いがあったかもしれません。ただ、僕らの場合、それまで部全体の雰囲気がゆるかったんです。張り合いもなくて負けが続くし、プロのスカウトからは見向きもされない。先行きに悩んでいたところに篤さんが監督になって「基本は教えるけど、ピッチの中では自分で判断して動いてね」という感じだったことで、サッカーをする楽しさを取り戻すことができました。自分らしいアグレッシブなプレーがのびのびとできるようになりましたし、チームの士気も上がっていきました。
村上 フィジカルと意識、その両面からチームとしての基準を引き上げてくださったことが、1部昇格につながったんだと思います。篤さんのもとで練習していると「これをやっていたら試合に勝てる!」という感覚が掴めてきたので、どんなトレーニングでも楽しめました。
村上 その変化が試合でもあらわれ、関西の強豪校とも渡り合えるようになりました。きつい練習が終わっても、グラウンドに残ってみんなと話したいというメンバーも多いですよね。
大石 グラウンドで話すようになってからは、意見の相違でケンカになることもあったね。でも、それは本気でぶつかり合ってのことなので僕も怒らないし、収集がつかなさそうなら、「今はこっちのほうが正しいんじゃない」という感じで導くようにはしています。最近では部員のレベルも上ってきて1年生もたくさん試合に出ているので、2、3年生も手を抜けない状況ができあがっています。
「ありがとう」と「ごめんなさい」――指導者側に求められる姿勢
大石 これは選手たちが話し合いで決めました。彼は誰よりも練習するし人望も厚いから、僕も陽斗が適任かなと思いました。たくさん点を取ってくれる反面、ミスもありますけど、それでも憎まれないところが主将としての器なのかなと。リーダーは、それをめざしてがんばるタイプと、自然に選ばれるタイプと2つあると思うのですが、陽斗は完全に後者ですね。
村上 いろいろなチームメンバーに声をかけるのは、主将としていつも心がけています。僕が1年生の頃は、4年生の先輩は絶対的な存在で、少し怖いイメージがありました。僕はそういうタイプではないなと思ったので、周りの仲間、特に下級生とも仲良くして、1年生が入ってきた時も緊張しないよう同期のような感覚で接していました。失敗したら怒られるのではといった不安を感じず、みんな思い切りプレーしてほしいと思っています。
村上 篤さんも壁を作らずコミュニケーションを取ってくださるので、その影響が大きいと思います。名前で呼ぶのも最初は慣れなかったのですが、呼び方が変わると、より話をしやすくなりました。
――大石監督は、指導者やリーダーとして大切なことは何だとお考えでしょうか。
大石 まず誰に対しても「ありがとう」「ごめんなさい」を言えるようにするのは大事だと思います。一昔前の先生や指導者って、間違えても押し通す人が多かったと思うのですが、僕なんかは、すぐに「ごめん、ごめん!」って謝ります。試合中に僕がシステムを変えてうまくいかなかったら「ごめん、俺のミスだから気にするな!」と。
僕も昔は「自分が一番えらい」みたいなスタンスだったんです。指導者としてJリーグで教えるようになってプロを相手にすると、押しつけでは絶対にうまくいかないと気づき、そこから相手の本音を引き出すために、一人ひとりの考えをじっくり聞くようになりました。「これどう思う?」「こういう状況だけどどうする?」と問いかけて、返してもらって、また問いかけて…その繰り返しです。
村上 僕らとしては自分たちの意見を尊重してもらえるので、とてもうれしく思います。そういった環境を作ってくださったことが今のチームの強さにつながっているなと思います。
村上 お話を聞いて、いつも篤さんがおっしゃっていることが改めて身に染みました。プロ選手への道も篤さんがいたからこそ見えたものなので本当に感謝しています。2025年はプロ1年目ということで、しっかりと試合で結果を出し、今まで支えてくださった方々に恩返しができるようがんばりたいです。
大石 陽斗はこの先どんな選手になっていくのかという期待しかないですね。本当に厳しい世界なので、後悔しないために日々努力を怠らないようにがんばってもらいたいです。
はじめにお話したように、部員たちにはサッカー以外の場であっても、社会に出て必要とされる人になってもらいたい。とはいえ、プロで活躍できる選手をもっとたくさん輩出したいという思いもやはりあります。「大阪経済大学のサッカー部に来たら将来活躍できるぞ!」と期待を持たせられるようなチームにしたいですね。
創発につながるヒント
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