新しいヒロイン2025《97期生・平塚 新夢》
ひらつか・あむ=2000年1月4日、宮城県石巻市出身
今年の1月で25歳になったばかりの平塚新夢。四半世紀の人生はまさに波乱万丈だ。始まりは幼少の頃に国の指定難病である血小板減少性紫斑病と診断されたことだった。血小板の減少により止血する力が弱まるため、激しい運動を禁止された。万が一、転んで頭を激しくぶつけでもしたら生死にかかわるからだ。9歳から始めたゴルフは人との接触がないだけに、平塚にとっては唯一安心してできる競技だった。
11歳のときには東日本大震災に襲われ、自宅の1階が浸水。それでもジュニアの大会へ積極的に参加して上位に入り、中学3年生ではIMG世界ジュニアゴルフマッチプレー選手権を制した。小滝水音ら仲のいい先輩がいるという理由で明秀学園日立高校へ進むと、1年生ながら日本ジュニアで9位、全国高校ゴルフ選手権で3位に入る。さらに、高校3年生ではステップ・アップ・ツアーの静ヒルズレディース森ビルカップで優勝を飾ってみせた。同ツアー史上5人目となるアマチュアでの優勝だった。
その後、治療薬の副作用に悩まされながらも、クラブを握り続けた平塚。プロテストも毎回受験し、ついに昨年、7回目の挑戦でプロテストに合格した。家族はもちろん、周囲からの励ましにも支えられた7年間だったが、心の支えになったのは“推し”の存在だった。「Da-iCEの花村想太さんです。彼に自分がプロゴルファーになったと伝えたい一心で頑張りました」。19年1月にファンクラブに入った後、頻繁にイベントへ参加したことで顔を認識されたという。「私の顔を見て、『ゴルフをやっている方だよね』と仰っていただいたりして、元気をもらっていました」。とかくスポーツ選手が病気になると心が挫けそうになるが、前向きな気持ちにしてくれる支えがあったのは幸運だったといえるだろう。
ただ、シード権獲得はあくまでも自分が働く場所を確保するための手段であり、平塚にとってのモチベーションは獲得賞金にある。「自分の頑張り次第で収入が変わるプロゴルファーは夢のある職業だと思います。せっかくプロになったわけですから、稼げる選手になりたいですね」。自らを負けず嫌いと認めるが、プロ意識が高く、ハングリー精神が旺盛なのは間違いない。実際、トッププロの多くは、口にこそ出さないもののそのように考えているし、そういうタイプの人間のほうが見ているほうも楽しめる。平塚の新たな夢はまだ始まったばかりだ。(山西 英希)
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