ターニングポイントは勝利とはかぎらない
注目を集めた3位と4位の直接対決
「こんなことがあってはならない」とシビアに受け止めるべきなのか。
それとも「こんなこともあるさ」と切り替えるのか。
2月22日、スピアーズえどりくフィールド。
前節まで4位のブルーレヴズが同3位のスピアーズに挑んだ一戦。
注目を集めた対決は、しかし予想外のワンサイドゲームになってしまった。
戻らなかった歯車
開始6分、相手ゴール前ラインアウトでPKを得ると、CTBタヒトゥアがクイックタップで仕掛け、そのままトライラインに突き刺さった。
しかし、青いジャージーが輝いたのはこの時間だけ。
9分には自陣に攻め込まれ、トライを献上すると同時にNo8イラウアがハイタックルでイエローカード。そこから10分、14人で何とか守り続け、あとワンプレーで15人に戻れるという19分に、今度はFLトゥポウが相手のパスに手を出してしまい、故意のノックフォワードとしてイエローカード。13人になったレヴズに対し、スピアーズはラインアウトモールを一気に押し切って逆転トライ。
そして、ここで狂った歯車は戻らなかったのだ。
「ラインアウトでは、『今何人いるんだっけ?』と分からなくなる時間もあった。用意してきたプレーが使えませんでした」
チームで最も経験豊富なHO日野剛志さえそう呟いたほどだ。
ハーフタイムスコアは7-19。諦めるような点差ではない。
スピアーズ戦といえば、昨季のアイスタでは前半7-31とリードされながら猛反撃で31-31のドローまで持っていった。だがあのときはカードは出ていなかった。レヴズは失点を重ねながらも、反撃するだけの足は残していた。
だが今回は、シビアな見方をすれば、前半だけでカードが2枚も出てしまったことで、勝利を望むことは難しくなっていたのだ(さらに後半35分にはもう1枚、全部で3枚のカードを出してしまった)。
白星先行の中でのこの一戦が持つ意味
藤井監督は「イエローカードが3枚、それ以外もペナルティーが多くて、14人の時間が長かったので、かなりストレスがかかった。アタックもそれが原因でうまくいかないところがあった。シーズンはまだ続くので、直していきたい」と言った。
メディアからは、ペナルティーの多さをどう受け止めているかの質問があった。
藤井監督は言葉を濁した。
「練習中も言っているけれど、まあ、相手もあることだし、すべてのチームに起こりうるもの。今日はディフェンスに回る時間が長くなってしまったし……」
言葉と表情からは、この失態を過剰に悲観したくないという意志を感じた。反則があったことを不問にしているわけではないだろう。しかし、藤井監督自身が言ったように、シーズンはまだ続くのだ。
完全に圧倒された80分間。それでも、明るい要素がなかったわけではない。
予想外の劣勢もありFW第1列はいつもより早い時間帯で入れ替えが行われた。前半30分には左PR山下 憲太が負傷で退き河田 和大が入った。後半9分には右PR郭 玟慶に代わってショーン・ヴェーテーが、10分にはHO日野剛志に代わって作田 駿介が入った。フロントローが第2セットに代わった後半、レヴズは苦しんでいたスクラムをある程度建て直した。
「自分の強みはスクラム。スクラムで流れを変えてやろうと思って入りました」
途中出場したHO作田はそう言った。今季3試合目の出場だが、ピッチに入った時間は最も早かった。アピールする時間は最も長かった。
「レヴズには日野さんという素晴らしいフッカーの見本がいるので、練習から少しでも近づけるように学んで、練習試合でも、リザーブから出るときでも、レヴズの目指すスクラムを体現することでアピールするのが大事だと思っています」
新たな意味を帯びてきた3月2日
まして、レヴズの藤井監督は長いシーズンを睨み、積極的に先発メンバーを入れ替えるタイプだ。
火の鳥は、燃える炎の中に自ら身を投じることで再びの命を得るという。
これ以上ないほどの屈辱的な大敗は、えどりくの芝の上で悔しさを味わった者、スタンドで大敗を見つめた者、磐田から映像で見守った者、あらゆるレヴズ戦士にとって、これ以上ないほど強烈な再生のスイッチになるはずだ。
こんなことがあってはならない――そう指揮官が口にしなかったのは、誰もが分かっているはずだから。
こんなこともあるさ――そう言えるのは、この結果をプラスに転じることができたとき。
第10節のヒート戦は、今季のレヴズの最注目試合になりそうな気がする。
1962年宮城県気仙沼市生まれ。早大第二文学部卒。1985年からフリーランスのスポーツライターとして活動。『東京中日スポーツ』『Number』『ラグビーマガジン』などで取材・執筆。WEBマガジン『RUGBYJapan365』スーパーバイザー。ラグビーは1985年から、ワールドカップは1991年大会から2019年大会まで8大会連続全期間を取材。ヤマハ発動機については創部間もない1990年から全国社会人大会、トップリーグ、リーグワンの静岡ブルーレヴズを通じて取材。ヤマハ発動機ジュビロのレジェンドを紹介した『奇跡のラグビーマン村田亙』『五郎丸歩・不動の魂』の著作がある。主な著書は他に『釜石の夢~被災地でワールドカップを~』『オールブラックスが強い理由』(講談社文庫)、『読むラグビー』(実業之日本社)、『エディー・ジョーンズの日本ラグビー改造戦記』(東邦出版)など。
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