新しいヒロイン2025《97期生・山下 心暖》
やました・こはる=2005年12月30日生まれ
おそらく初対面の際、10人の内で9人は、この質問だろう。心暖と書いて、こはると読む。きらきらネームではない。それにしても、難解だ。
「そうですね。こはるとは読めません。ここあ、とか…」と笑いながら、「両親が画数など、さまざまなことを調べ上げ、かなりの時間を費やして、この漢字のこの名前になったとか。その本人がいうのもおかしいけど、すごくいい名前だと気に入っています」と経緯を話した。
続いて、「名字が山下。私の出身地にも結構、同姓があります。全国的にもそうですね。だから、名前は印象に残るように-が両親の願い。確かに、一度聞けば、忘れないと思いませんか」。確かにそうだ。
もちろん、ゴルファーとしても、コミュニケーションツールになった。「試合の時、あいさつはするけど、それで終わりが多い。いったい、この漢字って、なんて読むのから、会話が始まります」と、絶大な効用まであるのだ。
さらに、不思議なことが-。目標の選手が、同期の山口すず夏だった。「たまたま、合格した時が同じだけです。最初にお会いしたのは中学2年。鹿児島高牧カントリークラブでラウンドする際、副支配人から一緒に、と紹介を受けてご縁をいただきました。とにかく、テクニックなど、足元にも及ばないぐらいすごい。そして、すごくやさしい方でした。私が質問をすると、わかるまで、できるまで親切に説明してくださった。神奈川のご自宅にも招待を受け、本当にお世話になっています。だから、一生涯、私はすず夏さんを尊敬し、目標にすることにしました」と話す。
捲土重来を期した24年である。高校卒業後は南九州カントリーで研修生となり、ゴルフ漬けの毎日。日本女子オープンにも出場した。ところが、「すごく痛い目にあって、それまで順調だった調子が急下降です。特に1Wの精度が定まらない。両親には負担をかけたくなかったから、最後のテスト受験のつもりでいた」そうだ。
本番1週前になっても、いっこうに調子が上向かない。そこで荒療治とばかりに前年に使用した1Wを投入。「このクラブを使うと、高いボールになる。風が強いコースですから、どうかなぁ、と思ったけど幸運に変わった。あっという間に、自信が蘇ってきたんです」と、劇的変化の舞台裏を語った。
もっとも喜んだのはコーチでもある、父・陽輔さんだろう。「小学校の時は、プロに指導を受けていた。でも、その方がおやめになって…。私にしてみれば、その人以外には教わる気がしなかった。幸い、父が私のクセと矯正法を、コーチからうかがって…。それ以来、その関係です」。そうはいっても、公務員のお父さんは救急救命士としての顔ももっている。人命を預かる大切な仕事を、おろそかにするわけにはいかない。
25年の目標を質問した。「ステップ・アップ・ツアーで、皆さんから名前を憶えてもらうぐらいにはなりたいです。それから、私の取り柄は笑顔ぐらいかなぁ」。とても謙虚で、ひた向きだ。とても今時の選手とは思えないぐらい。笑顔を浮かべるだけで、見ている人を心まであたたかくしてくれるだろう。確かに名は体を表す。(青木 政司)
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