【週刊グランドスラム289】新監督に聞く2025──number2藤澤英雄(日本製鉄鹿島)

チーム・協会

人の縁に支えられ、社会人野球30年目に日本製鉄鹿島の指揮を執る藤澤英雄監督。 【写真=真崎貴夫】

「神はサイコロを振らない」
 かの天才物理学者アルベルト・アインシュタインは、物事が偶然に支配されることはなく、そこには必ず物理の法則があることをそう表現した。だけど、野球というゲームでは、神がサイコロを振ったとしか思えないことが、度々起きる。
「プレッシャーしかありませんよ。何しろ、名将・中島彰一のあとですから」
 中島前監督のあとを受け、今季から日本製鉄鹿島の指揮を執る藤澤英雄は言う。1996年に、法政大からいすゞ自動車へ入社。自チームだけではなく、補強選手としても都市対抗出場を続けたが、主将を務めていた2002年、この年限りの活動休止を告げられる。青天の霹靂。
「もちろん、野球部がなくなるなんて思ってもいません。選手間には動揺が走りましたし、魂の抜けたような状態で、気持ちの浮き沈みもありました。それでも、ミーティングで『やめたい人間はやめてもいい』と告げると、全員が『やろう』と。それなら、と結束しました」
 そのいすゞ自動車が、最後の都市対抗に出場するだけではなく、何と優勝を遂げるのだ。それも、神奈川二次予選の第二代表決定戦では、日石三菱(現・ENEOS)に2対4と敗色濃厚な9回裏、鈴木準一が一塁ベースに当たる幸運なヒットで出ると、佐伯真貴が起死回生の同点2ラン本塁打。佐伯はさらに、1点を勝ち越された15回裏に、逆転サヨナラ3ラン本塁打という、神がかり的な勝ち方で代表権を手にしたのだ。本大会でも「上がってきたら嫌だな、というチームが負けてくれたり、まるで何かが背中を押してくれたようでした」と藤澤が言うように、一度もリードを許すことなく頂点に立つことになる。
 この年のいすゞ自動車は、三重県伊勢市で春季キャンプを行なった。伊勢市の伊勢神宮・御手洗場には、いすゞ自動車の社名の由来となった五十鈴川が流れる。そして、57年の部の歴史の中で、伊勢市でのキャンプはこのたった1回。そのラストイヤーに都市対抗で優勝するなんて、物理の法則では、ちょっと説明し辛いドラマじゃないか。

いすゞ自動車、シダックス、住友金属鹿島と渡り歩き

「私の野球人生は、波瀾万丈ですよ」
 そう藤澤は柔和に笑う。2003年、野村克也氏が監督兼GMに就任したシダックスに転籍。この年のシダックスも、都市対抗で決勝まで進み、惜しくも三菱ふそう川崎に敗れたが、藤澤自身は2年続けて決勝の舞台に立ったことになる。そのシダックスも2006年で解散すると、今度は住友金属鹿島(現・日本製鉄鹿島)へ。チーム最高の都市対抗4強に進出した2010年限りで現役を引退し、以後コーチを14年間務めた。
「コーチ冥利に尽きるのは、監督に起用を進言した選手が結果を出してくれた時、指導が上手くハマった時」
 そして、今回の監督就任である。
「周りの人に助けられてばかり。シダックスに拾ってもらい、次は中島さんに……。社業に就かず、ずっと野球だけという野球人は、そうそういないと思います。勉強にはなりましたね。野村さんの試合を見る目。ピッチャーや走者のちょっとした動きだけで『走るぞ』と予告するし、性格まできっちり把握して選手を起用する。ただ、あの方は特別で、簡単に真似はできませんが……。中島さんなら選手をよく見て、コミュニケーションを密に取って、それを采配に生かす。何より、OBを含めて中島ファミリーという空気にしていましたし、私も参考にしていきたいです」
 中島監督にとって、最後の大会となった昨年の日本選手権では8強。準々決勝はタイブレークで敗れはしたものの、三菱重工Eastと好試合を演じたのは、その中島ファミリーの力だったのだろう。そして、藤澤新監督の目指す野球は……。
「バッテリーを中心とした守りからリズムをつかみ、攻撃につなげることは変わりませんが、去年の反省として1点差負けが多かった。足を使える選手が多いので、そこからどう1点をもぎ取るかは的確な作戦が求められます。そのためには、自分が一番成長しないといけません。同じ北関東で、一年早く監督になった日立製作所の林 治郎が同学年。負けられません」
 出身の大分東高は、失礼ながら野球では無名だ。当時、大分市内の普通科4校(大分上野丘高、大分舞鶴高、大分鶴崎高、大分東高)は、合格者を平均的に振り分ける合同選抜を実施しており(現在は廃止)、振り分け先が必ずしも希望する高校になるとは限らない。藤澤の場合もそうだった。だが、3年夏前の大分県選手権で、その大分東高が優勝。投打の中心だった藤澤が大分工高の内川一寛監督の目に止まり、内川監督の母校・法政大への進学とつながっている。
「ですから、どこに縁が転がっているかわかりませんね。たまたま進んだ大分東高がたまたま優勝したから、内川さんに声をかけてもらった。そこから今まで、ずっと野球を続けているわけですから」
 やはり、神は時にサイコロを振るのだ。ちなみに、内川監督の長男・内川聖一氏(元・東京ヤクルト)は今季から、日本製鉄鹿島の外部コーチを務めている。
【取材・文=楊 順行】

【電子版はオールカラーになります】

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著者プロフィール

1949年に設立した社会人野球を統轄する(公財)日本野球連盟の公式アカウントです。全国の企業、クラブチームが所属し、中学硬式や女子野球の団体も加盟しています。1993年から刊行している社会人野球オフィシャル・ガイド『グランドスラム』の編集部と連携し、都市対抗野球大会をはじめ、社会人野球の魅力や様々な情報を、毎週金曜日に更新する『週刊グランドスラム』などでお届けします。

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