新鋭WTBテファレの95m独走は"歴史を作る一歩"となるか
背番号14の独走
NTTリーグワンのBYE WEEKが明けた2月1日、東京サントリーサンゴリアスを迎えた第6節で地元ヤマハスタジアムに集結した6,203人の観衆を熱狂させたのは、背番号14の激走だった。
【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】
ボールを持ったテファレは右へ向かって走り出す。グラウンドを大きく横断しながらグイグイとスピードをあげて、相手DFを引っ張ってからグイッとコースを立て直してさらに加速。集団で追いかけていた黄色いジャージーが次々に振り切られ、天を仰ぐ。テファレは大逃げを決めた競走馬のように足を振り上げて走る。逆サイドから相手SO髙本がカバーディフェンスに帰ってくると、鋭角的にコースチェンジ。抜かれかけた髙本のタックルを飛び越えてかわそうとしたときに足先を弾かれて大きくバランスを崩すが、倒れて一回転してもボールを落とさずに立ち上がり、スピードを落とさずにまた走り出す。
背番号14は驚異の身体能力を見せ、そのままゴールポストの真下へ飛び込んだ。まるまる95mを一人で走り切るセンセーショナルなトライ。
【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】
二人のオールブラックスの”伝説のトライ”
ひとつは今を去ること30年前、1995年ワールドカップで目撃したニュージーランド代表オールブラックスの怪物WTBジョナ・ロムーの爆走だ。南アフリカのケープタウンで行われたワールドカップ準決勝のイングランド戦、オールブラックスでデビューして間もない20歳のロムーは、相手タックルを受けて大きくバランスを崩しながら、最後のタックラー、イングランドのFBマイク・キャットをドタドタと踏みつぶして突破。そのまま前につんのめりながらトライを決めたのだった。ワールドカップ開幕の時点ではわずか2キャップだったロムーが、伝説のトライゲッターになった瞬間だった。
もうひとつはさらに遡ること8年。1987年に行われた第1回ワールドカップの開幕戦で、やはりニュージーランド代表オールブラックスの若きWTBジョン・カーワンの90m独走だ。のちに日本代表のヘッドコーチとしてワールドカップで指揮を執るカーワンは、22歳で出場した第1回ワールドカップの開幕戦でラグビー新時代の到来を告げ、自身もレジェンドたる存在へと一歩を踏み出していったのだ。
「伝説のトライ」は歴史を作る。カーワンの90m独走はオールブラックスのワールドカップ優勝と黄金時代をスタートさせた。「ザ・カーペット」と謳われたロムーの爆走は世界ラグビーのプロ化、パワー化の火ぶたを切った。
勝敗を超えて「スタジアムで観る価値」
その点、今回のテファレの爆走はまだ両軍スコアレスの前半に飛び出した一撃であり、まだまだ元気な相手ディフェンスが激戻りをみせ、タックルされて転んで1回転までしながら起き上がった「難産トライ」だった点でも異色。過去の数々の「伝説のトライ」に負けないクオリティとインパクトを残す独走だった。
【Photo by SHIZUOKA Bluerevs/Yuuri Tanimoto】
ロムーはそれを上回る194cm、118kgの超巨漢(データは当時のラグビーマガジンより)。
だが今回、磐田の地で爆走を演じたヴァレンス・テファレも負けてはいない。身長184cmはレジェンド2人には及ばないが、体重は公称で112kg。この巨体がグイグイと加速して走り、転んでも起き上がってそのまま走るのだから、ディフェンスする側はたまったもんじゃない。こんな極上のトライを生で目撃できたとは、この日ヤマスタを訪れた6,203人は本当に幸せだ。
試合自体は悔しい結果に終わった。それでも、プロスポーツクラブである以上、スタジアムに足を運んだファンに「観に来て良かった」と思って帰ってもらえる場面を残さなければならない。この日、背番号14の爆走は確かなインパクトは残した。
そしてファンは、今回以上のスゴい場面を期待して、スタジアムへまた足を運ぶ。
ハードルは上がり続けるが、そこに挑むのもプロフェッショナルの定めであり務めだ。次の試合で、レヴズ戦士たちはどんなチャレンジを見せてくれるだろう。
(大友信彦|静岡ブルーレヴズ公式ライター)
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