新しいヒロイン2025《97期生・上堂薗伽純》
上堂薗 伽純 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
かみどうぞの・かすみ=1996年5月1日、愛知県長久手市出身
昨年のプロテストでは最年長となる28歳で合格した上堂薗伽純。実に9回目の受験で合格率約3.7パーセントの難関を突破した。愛知県の栄徳高時代は、団体戦で全国大会に2回出場しているものの、個人戦では目立つような実績を残すことができなかった。それでも卒業後はツアープロを目指し、白山ヴィレッジゴルフコースの研修生となる。「コース内に寮もあり、ゴルフ漬けになると思って決めました」。その際、上堂薗が描いたプランは、研修生になった年のプロテストはパスして、翌年のプロテストを目指すことだった。合格するだけの技術を身につけると同時に、受験に必要な費用を蓄えたかったからだ。
満を持して臨んだ16年のプロテストは第2次予選を通過できず、不合格に。以降、第1次予選は突破するものの、なかなか最終予選まで駒を進めることができなかった。そんな上堂薗の心を折ったのが、21年3月に第1次予選が開催された自身5度目のプロテストだった。隅々まで知り尽くしている白山ヴィレッジゴルフコースが会場だったにもかかわらず、第2次予選に進むことができなかったのだ。「さすがに落ち込んだし、これからどうしたらいいんだろうと。プロを目指し続けるかどうか、本当に悩みました」。研修生仲間など周囲の励ましによって、なんとか前を向いたが、プロをあきらめそうになった最大のピンチだった。
上堂薗 伽純 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
「アドレスの向きさえ間違っていなければ、狙ったところにボールを打ち出せるんだと言い聞かせるようにしたんです」。元々ショットが他の選手よりも大きく劣っていたわけではない。自信のなさがショットの不安定さにつながっていたのだ。自分のスイングを信じるようになってからは、他の選手とショットを比べることもなくなり、スコアも比例して伸びた。23年に出場したミニツアーでは、ついに68の壁を破り、66をマークすることができた。残念ながらその年のプロテストには合格できなかったが、以前よりも課題が明確にはなった。
「とにかくドライバーショットをフェアウェイに置くことを第一に考えました。ラフに入れたら、ピンを狙えないときもありますし、スピン量も計算しなければいけませんからね」。元々ドライバーショットは得意だったが、あえて飛距離よりもフェアウェイキープ率を重視することに。フェアウェイからなら、自分のアドレスを信じてさえいれば、グリーンを外すことは少ない。結果的に安定したゴルフをできるようになり、昨年の合格にもつながった。
上堂薗 伽純 【Photo:Atsushi Tomura/Getty Images】
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