『サッカーを辞めなくて良かった』 茨木美都葉がけがを乗り越え、約1年半ぶりの復帰戦で殊勲のゴール

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12月15日、皇后杯5回戦が行われた兵庫県立三木総合防災公園陸上競技場には、歓喜の声と涙があふれた。「茨木美都葉、遂に公式戦復帰」。右膝前十字靭帯損傷の大けがから約1年半、ピッチに立った茨木選手が決勝点を決め、チームを勝利に導いたのだ。仲間にもみくちゃにされながら、復活の喜びを噛みしめた茨木選手に、改めて復帰までの歩みと今の思いを聞いた。


―皇后杯5回戦のセレッソ大阪ヤンマーレディース戦は、茨木選手にとって、けがからの復帰戦となりました。

「本当に長かったリハビリからの復帰でした。試合自体は90分、シュートがポストに当たったり、バーに当たったり、両チームにチャンスがありました。しかし点が入らず、『トーナメントっぽいな』と思いながらベンチから見ていました。先発だった(遠藤)ゆめの足が攣ったこともあって、延長前半の最初から試合に出ることになりました。まずは失点しないこと。そしてこの試合の流れに入っていけるようにということを意識しました。チャンスがあったら足を振っていこうと思っていました。ゴールシーンは本当に良いところにボールがこぼれてきたので、迷わず足を振ってみました」

―全体練習合流を経て、この皇后杯C大阪戦でメンバーに入ることができました。メンバーが発表された時の気持ちは?

「待ちに待った瞬間でした。やっとメンバーに入れたという気持ちとほっとした気持ち。嬉しかったですね。そして、久しぶりの遠征だったので忘れ物はないようにしなきゃ、と(笑)それもドキドキでした」

―そして茨木選手の出番は0-0で迎えた延長前半でした。ピッチに立つ時、みんなからどんな声をかけてもらいましたか?

「みんなたくさん声をかけてくれたのですが、須永(純)監督には『やってきたことを出せればいいよ。足が痛かったら無理をしなくていいからね』と言ってもらいました。柔らかく送り出してもらいました」

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―そして延長後半13分、ゴール前でこぼれ球をしっかり決めました。駆け寄った仲間の祝福がものすごかったですね。

「歓声がすごかったと教えてもらったんですが、自分には全然聞こえなかったです。みんなが駆け寄ってきてくれました。その瞬間に『サッカーを辞めなくて良かったな』『この瞬間のために、長い間頑張ってきて良かったな』と思いました。両親も試合を見に来てくれたんですが、喜んでくれていたのですごく嬉しかったです。両親は『メンバーに入ったら、試合に出る出ないは関係なく、久しぶりにボールを蹴っているところを見たいな』と言っていました。そこで決めることができて良かったです」

―復帰戦ですぐゴールを決めてチームを勝利に導く活躍です。

「思ってもみないような復帰戦だったと、仙台に帰ってきてからも改めて思います。絶対決めてやろうというより、まずはけが無く試合を終えたい。自分のゴールよりも、チームが勝てれば良いと思っていました。何としても点を決めたいという欲を持つほどの余裕はなかったです」

―公式戦のゴールも久しぶりということになりますね。

「アルビレックス新潟レディース時代の皇后杯(2021-22シーズン)以来です。仙台に来てからは初めてのゴールでした。でき過ぎです」

―2023年7月に前十字靭帯を損傷。厳しいリハビリを乗り越えてきました。

「最初は上手くいかないことだらけでした。復帰を見据えてリハビリしたい気持ちもあったけれど、なかなか復帰の時期が見えてこないというもどかしさがありました。何をしたら良くなるんだろう?という気持ちで、もがきたいけれど、もがけない。すごくしようもない時期が続いていたと思います。途中からは、膝の調子が良い時もあればそうでない時もありました」

―上手くいかない時には、どのように心をコントロールしてきましたか?

「やるしかなかったです。ここで休んだらもっと復帰が遅れる。ここまで頑張っていても、復帰が遅れているのに、休んでしまったらもっと遅れてしまう。そう思いながら、毎日やるべきことをやっていくしかなかった。『先を見ず、まず今日はこれをやろう』と、そういう日々を積み重ねてきた感じです」

―全体練習に復帰できた10月、ピッチで周りを引き締めるような声掛けもしていました。長く外から見ていて、見える部分も広がったのではないですか?

「自分が入ったらこういうことができるかなということはずっと思っていたし、みんながユアスタでプレーしているところや、練習場でトレーニングしているところを外から見ていました。『あと何日で、この練習に入れるんだろう。ユアスタのピッチに立てるんだろう』と思いながらリハビリをしていました。みんなのことがうらやましくもあり、悔しさもありました。試合に出るからには、自分がここまでできるというものを見せなきゃいけない。それは意識していたところです」

―けがをしてから復帰まで1年半。日数もカウントしていました。

「ゴールを決めた12月15日は前回の公式戦から555日。リハビリが始まってからは、508日でした」

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―復帰までの日々をスタッフもサポートしてくれました。フィジオセラピストの檜山里美さんとは常に二人三脚でしたね。

「膝のことはもちろんですが、良い時も悪い時も支えてくれました。みんながオフの日にも朝早くからケアやリハビリをしてくれて、上手くいかない日には納得いくまでずっとボールを蹴ってくれました。精神的にも奮い立たせてもくれるし、寄り添ってもくれました。感謝しかないです」

―今、まさにけがと向き合って、乗り越えようとしている仲間がいます。そういう選手たちにとっても、茨木選手は希望を照らすことができたのではないですか?

「そうですね。今、長期離脱をしているのは(太田)萌咲。JFAアカデミー福島で、私が高校3年生の時に中学3年生だった後輩です。萌咲はここまで順調そうですが、本人にしかわからない辛さもきっとある。同じけがをしたからこそ、時に『苦しいな、休みたいな』と感じても、『こんな姿は萌咲に見せられない』と思いました。今離脱している人には、『がんばっていたら、こういう結末が待っているかもしれない』と思ってリハビリに取り組んで欲しいなと思います」

―ドラマ以上にドラマのような“結末”、見事な復活ゴールでした。

「(元川崎フロンターレの)中村憲剛さんが前十字靭帯のけがをして、復帰戦でゴールを決めたというドキュメンタリーを見ていました。ああいう復帰戦が待っていたらいいなと思いましたが、こんなに“でき過ぎの復帰戦”になるとは思っていませんでした。信じられない気持ちと、嬉しさと、がんばって良かったという感情です」

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―そして次の皇后杯準々決勝の相手は、古巣のアルビレックス新潟レディース戦です。

「どの試合にも出たいですが、新潟Lは特別です。トーナメントですし、楽しみという気持ちしかないですね。リーグ戦とは違う“一発勝負”というところの面白さもあります。新潟Lはトーナメントに強いからこそ、そこでやってやりたいという気持ちです」

―12月と1月は皇后杯、来年はリーグ戦後期の戦いも待っています。どのように進んでいきますか?

「チームのみんなで勝ちながら修正をしていきたい。みんなで成長していけたらいいと思います。皇后杯はトーナメントなので独特の戦いがあるし、リーグ戦はリーグ戦の戦い方があると思います。まずは、けがをせず、ここまでチームに貢献できなかった分を返せるようにしたいです。先発でも、途中からでもチームのために戦いたいです」
(マイナビ仙台レディースオフィシャルライター・村林いづみ)
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著者プロフィール

東日本大震災により休部した東京電力女子サッカー部マリーゼが移管し、2012年ベガルタ仙台レディースが発足。2017年に株式会社マイナビとタイトルパートナー契約を締結しマイナビベガルタ仙台レディースとなりました。 2020年10月にWEリーグへの参入が正式決定。2021年2月より「マイナビ仙台レディース」とクラブ名を改め、活動をスタート。選手達の熱いプレーが多くの方に届くような盛り上がりをともに作っていきます。仙台、東北から日本全国、全世界に向けて、感動や勇気を与え、WEリーグ優勝を目指し活動しています。

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