【注目施設探訪 第6弾(前編)】菊池雄星が手掛ける「K.O.H」が構想から5年でついに誕生!設立への思いを語る
【©氏原英明】
「King of the Hill」(K.O.H)
岩手県の花巻市に広さ1400平方メートルの屋内の野球施設が誕生した。このほどエンゼルスとの3年契約を交わした菊池雄星(以下 敬称略)を中心としたプロジェクトチームが建てたスポーツ複合施設である。
11月16日のレセプションパーティには350人以上が招かれ、壮大な施設の誕生を祝した。翌17日には落成式典が行われ、その後の内覧会にて、同施設を取材した。
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「僕が見てワクワクするものにしたかった」
フィットネスジム顔負けのトレーニング施設があり、マッサージルームにサウナやジャグジー、barberだってある。カフェテリアには名だたるメジャーリーガーたちのサインボールやバット、ユニフォームが飾ってあり、メジャーリーグミュージアムのようだ。
昨今は日本全国で野球施設が建設される動きは増えてきたが、ここはまた異空間である。
「僕が見てワクワクするものにしたかったというのはあります。僕が見てワクワクするならば、間違いなくアメリカに行ったことない方々には喜んでもらえるんじゃないかと思って。日本で一番、メジャーのものが集まる場所にしたいというのが強かった。一流のものに囲まれて練習してほしいなというふうに思いました。それが全てですね」
【©氏原英明】
もともとはこれほど壮大な企画として始まったものではなかった。当初はブルペン一つ。それくらいの構想だった。
「コロナ禍の時に練習する場所も、遊ぶ場所も無くなって、そんな時に、子どもとキャッチボールする場所が欲しいなって思ったのがきっかけです。それで、アメリカには作ったんですけど、日本にも作りたいなと。両方にできれば、練習場所に苦労することはないので。それが始まりだったんです」
とはいえ、菊池が施設をつくる構想を描いたのは5年くらい前のことで、本格化するまでは少し時間がかかった。構想として描いていたものの、それほど具体性があったわけではない。ところが2022年シーズン、トロント・ブルージェイズで先発から中継ぎに降格になった不調の頃、菊池はついに決断をする。誰もが予期しないタイミングでの決断だった。
菊池のマインドコーチを務め、K.O.Hのプロジェクトリーダーの久野和禎はいう。
「もともとやりたいなという話はよくしていたんですけど、それが本格化したのは2022年のちょうど先発を外れて中継ぎになるっていう時だったんです。『ここからですよね、面白いのは』とシーズンの話をしていた時に、雄星さんの方から完全燃焼したいんで、作りたいんですと。いろんな流れを自分の方に取り戻そうという意気込みを感じました」。
(左)菊池雄星氏、(右)K.O.Hプロジェクトリーダーの久野和禎氏 【©氏原英明】
K.O.Hのプロジェクトはそうしてスタートした。
「このまま終われない」。不調だからこそ見出したチャンス
次の言葉からは菊池の決意はうかがえる。
「このまま終われないと思ったんですよ。僕は成功するには環境が一番だと思うんです。野球を100%できる環境を作った上で勝負したい。だから(施設を作ることに)全く迷いがなかった。アメリカでも作っているので、日本で作れれば、どこにいても野球ができる環境がある。中継ぎになった今だからこそのチャンスだと思いました。今しかない。やってやるぞと」
当初は、ピッチングスペース3面、バッティングゲージ2箇所、ジムエリア、リラグゼーションルーム、カフェテリアの設置までを考案した今ほどの壮大な企画ではなかったという。
しかし、菊池が久野に想いを伝えてから1週間、2週間と日が経っていくうちに、彼の中の構想が膨れ上がり「日本最大級のスポーツ施設」になることが目標になった。
【©氏原英明】
「雄星がメジャーに行った初年度のときに、盛岡市にサムズアップというパーソナルジムを作ったんです。この時も周囲の反対があったんですけど、僕自身は絶対にできるだろうという確信がありました。しかし、K.O.Hは僕がこの企画を聞いた時には普通では想像できないくらい話が少し大きくなった段階だったので、随分な話だなと。
だから、最初はたじろぎました。簡単にできると思えるような感じではなかったです。ただ、雄星の熱量はこの大きな企画の存在によって感じとることはできたので、やるんだ、だったらうまくいくようにやりましょう、と」
菊池を19歳から知る清水コーチ 【©氏原英明】
もちろん、菊池がこうした施設の必要性を感じたのは自分のためだけではない。「岩手に恩返しをしたい」と考えていた菊池は、K.O.Hプロジェクトの上層部である2人とともに走り出したのだった。
関わる全ての人を幸せに
そのメソッドとは菊池がメジャーで戦える選手になったその背景を解剖し、さらには著名な専門家たちと議論を重ねて作り出したものだ。
スターになるような人材を育成していくためには先天的に持っている能力だけで果たせるものではない。むしろ、後天的に身につけていくことの方が要素は大きい。すべての人間が同じように成長していくわけではないとはいえ、成功例にはおおよその法則性があるというのが偽らざる事実だ。
メジャーリーガーにまで上り詰めた菊池がどのようにして成長することができたのか。その中身を明らかにすることにより、成功に近づけると考え、育成プログラムを作り上げたというわけである。
施設内にはメジャーリーガーたちのサインが並ぶ 【©氏原英明】
K.O.Hが野球を通じて人材育成をしていく上での発信基地となり、スポーツ界に大きな影響を持っていく。巨大施設という箱を作り、そこから人材が生まれていく仕組みを作っていくということである。
菊池はK.O.Hへの強い思いを馳せる。
「K.O.Hに関わる全ての人が幸せな気持ちになるというのを掲げています。全員が『勝つ』ことはできなくても、K.O.Hに関わってくださる全員が『幸せ』を感じることはできるのではないかと思います。そして、それこそが本来、スポーツをする意義だと思います。
何を幸せとするかは人それぞれです。野球が上手くなる幸せ。良き仲間に出会う幸せ。今までできなかったことができるようになる幸せ。夢を追う幸せ。夢を追う人を、応援する幸せ。子どもが成長する幸せ。地域と交流する幸せ。
野球をする価値を『上手くなったかどうか』、『成功したか否か』だけに置くのではなく、十人十色の『幸せ』を様々な形で実現していきたいです」
それではK.O.Hはどのような取り組みをしていくのか。後編ではその全貌について内覧会にて明らかになった K.O.Hメソッドを解き明かしていく。
(取材/文 氏原英明)
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