パ・リーグにおける登録名変更の成功例を振り返る
オリックス・バファローズ・鈴木博志投手 【写真:球団提供】
マルチな活躍を見せた2024年に続き、来季はさらなる活躍に期待
今回は、パ・リーグにおいて登録名として下の名前を用いた選手の中で、とりわけ大きな活躍を見せた選手たちについて紹介。過去の成功例をあらためて振り返りつつ、鈴木投手や登録名を変更している選手たちのさらなる活躍にも期待を寄せたい。
パイオニアとなったイチロー氏をはじめ、一時代を築いた選手も少なくない
パ・リーグで活躍した、下の名前を登録名にした野手 【©PLM】
イチロー氏の登録名変更から1年後にプロ入りしたサブロー氏は、走攻守の三拍子が揃った外野手として活躍。約21年半にわたって千葉ロッテでプレーし、通算1363安打を記録して2度のゴールデングラブ賞にも輝いた。2度の日本一にも打線の中軸として大きく貢献し、精神的支柱として長年にわたってチームをけん引した。
鉄平氏は東北楽天へのトレードを機に登録名を本名から下の名前に変更し、移籍1年目の2006年に打率.303を記録してブレイクを果たす。2009年には打率 .327を記録して首位打者に輝く活躍で球団初のAクラス入りの立役者の一人となり、創設から間もない時期のチームを主力として支えた。
銀次氏は東北楽天一筋18年のプロ野球生活を送り、生え抜きとしては球団最多の1239安打を記録。2013年には3番打者として打率.317を記録し、球団史上初のリーグ優勝に大きく寄与した。通算打率.290を記録した高い打撃技術と、状況に応じてさまざまなポジションをこなしたユーティリティ性を武器に、チームに欠かせない存在となった。
駿太選手は俊足・強肩の外野手としてオリックスで活躍し、2014年には打率.280を記録してチームの2位躍進に貢献。2018年以降は登録名を本名の「後藤駿太」に変更したが、2013年から2017年まで5年連続で100試合以上に出場していたことも手伝って、「駿太」としての活躍がとりわけ印象に残っているファンも多いのではないだろうか。
愛斗選手は強肩と守備範囲の広さを兼ね備えた外野手として、2021年には97試合、2022年には121試合に出場するなど埼玉西武の主力を務めた。2024年に移籍した千葉ロッテでも好守の外野手として重宝されており、27歳という年齢を考えても来季以降のさらなる活躍が期待される選手といえよう。
野手に比べると、投手の活躍例はやや少なくなっているが……
パ・リーグで活躍した、下の名前を登録名にした投手 【©PLM】
ユウキ氏は近鉄への入団当初から下の名前を登録名として使用し、高卒2年目の1999年に16試合で防御率3.91と先発投手として頭角を現す。オリックスに移籍後の2002年には13試合で7勝を挙げて防御率1.93とハイレベルな投球を見せ、故障と戦いながら13年間のプロ生活において随所で高いポテンシャルを示してみせた。
今回取り上げた例とは逆に、登録名を本名に戻してから出色の活躍を見せた選手も
甲斐拓也選手はプロ入り当初は「拓也」という登録名を使っていたが、登録名を本名に戻した2017年にレギュラーへ定着し、その後は球界屈指の捕手へと成長。炭谷銀仁朗選手もキャリア初期に「銀仁朗」という登録名を使用したが、登録名を本名に戻した2012年にゴールデングラブ賞に輝くと、翌年以降も埼玉西武の主力捕手として活躍を続けた。
菊池雄星投手はプロ1年目に「雄星」という登録名を用いたが、2年目から登録名を本名に戻し、埼玉西武のエースに成長して2017年には最多勝と最優秀防御率を受賞。斉藤和巳氏も当初は「カズミ」という登録名を使用したが、登録名を本名に戻した後の2003年と2006年に沢村賞に輝くなど、ホークスの絶対的エースとして一時代を築いている。
投手に限って言えば、パ・リーグにおける下の名前を登録名にした活躍例はさほど多くはない。それだけに、博志投手がその前例を覆すことができるかという点にも注目が集まりそうだ。来たる新シーズンにおいては、博志投手を含めた本名以外の登録名を使用している選手たちの活躍に、ぜひ注目してみてはいかがだろうか。
文・望月遼太
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