【週刊グランドスラム276】トヨタ自動車が大会最多に並ぶ7回目の優勝!!――第49回社会人野球日本選手権大会

チーム・協会

Hondaを3対0で下し、2大会ぶり7回目の優勝を果たしたトヨタ自動車の選手たち。 【写真=宮野敦子】

 27個目のアウトを奪った瞬間、増居翔太はマウンド上で両手を高く突き上げた。すると、一塁ベンチから選手たちが駆け寄り、歓喜の輪が広がった。第49回社会人野球日本選手権大会は、2大会ぶり7回目となるトヨタ自動車の優勝で幕を閉じた。
 Hondaとの決勝、先発の増居は1回表二死から鈴木 薫に二塁打を許しながらも、後続を断って無失点で切り抜ける。すると、その裏に八木健太郎の左前安打と宮﨑仁斗の四球で一死一、二塁のチャンスを築き、四番の逢澤崚介がライトスタンドへ3ラン本塁打を放って先制した。対するHondaも、2回表に二死一、二塁、6回表には二死から一、三塁と反撃の好機を作るも本塁が遠い。結局、試合はそのまま進み、増居の147球の力投が勝って3対0でトヨタ自動車が勝利した。
 優勝決定後、山城大智が背番号19のユニフォームを広げて輪に加わった。それは、今夏の都市対抗で現役を退いた佐竹功年のものだ。
「佐竹さんもチームの一員ですから。準決勝後に『ユニフォームを持ってきてください』と連絡しました。試合中、ご家族が持ってきてくださったので、優勝して、こうして掲げられてよかったです」
 そんな後輩の姿を見て、「嬉しいですね」と佐竹は目を細める。見慣れないスーツ姿だったが、試合後の集合写真にも加わり、誰よりもはしゃいでいた。19年間プレーし、チームの精神的支柱でもあった佐竹が現役を引退したことで、トヨタ自動車は転換期を迎えた。都市対抗を終えると、主将も北村祥治から逢澤へと引き継がれた。藤原航平監督は言う。
「佐竹がチームにどう貢献していたか、みんな見てきました。例えば、練習の姿勢や試合中のベンチでの声かけ。佐竹の行動を手本に、選手たちはしっかりと準備してきた。そういった意味で、佐竹がいなくなった影響はありません」

2年目の左腕・増居が2完封を含む3勝で最高殊勲選手賞に

 優勝の原動力となり、最高殊勲選手賞を手にした2年目の増居は、「相手に向かっていく姿勢に関して注意されることもあったけど、決勝はいい姿で投げられたのでは」と言う。藤原監督が指摘したのは、マウンド上での振る舞いだ。「調子が悪くても失点しても、弱さを見せるな。後ろで守っている野手を不安にさせてはいけない」と求め続けた。そんな左腕は、3試合に先発して2完封を含む3勝で応えた。「今大会においては」と、指揮官がつけ加えるエースと、新主将で四番の活躍、さらに新体制でも選手が一丸となって臨み、ダイヤモンド旗を手にすることができた。

2年目の増居翔太は、2完封を含む3勝で最高殊勲選手賞に輝いた。 【写真=宮野敦子】

 ちなみに、2009年の第80回都市対抗野球大会決勝も同じカードだった。その時には、4対2でHondaが勝利している。藤原監督が追撃の2ラン、Hondaの多幡雄一監督がダメ押しのソロと、現役だった指揮官がともにホームランを放った試合だ。そう水を向けると、「あぁ、そうでしたね」と藤原監督の顔は綻んだ。
「Hondaは鎬を削ってきたライバルであり、社会人野球をともに高め合っているチーム。15年前は、ホームランを打ったけれど負けてしまった。決勝で負けることが、どれだけ悔しいかを思い知らされた試合でした。決勝とは、そういう舞台です」
 日本選手権では、7回決勝に進んで無敗の7連勝。住友金属と並んで最多タイとなった。また、2022年の日本選手権、2023年の都市対抗、そして、この日本選手権と3年連続で日本一に輝いた。そうして、トヨタ自動車は社会人野球の先頭を走り続ける。
【取材・文=古江美奈子】

【電子版はオールカラーになります】

グランドスラム64は、好評発売中です!!

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1949年に設立した社会人野球を統轄する(公財)日本野球連盟の公式アカウントです。全国の企業、クラブチームが所属し、中学硬式や女子野球の団体も加盟しています。1993年から刊行している社会人野球オフィシャル・ガイド『グランドスラム』の編集部と連携し、都市対抗野球大会をはじめ、社会人野球の魅力や様々な情報を、毎週金曜日に更新する『週刊グランドスラム』などでお届けします。

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント