私のミッション・ビジョン・バリュー2024年第12回 石井隼太選手「強く愛される選手を目指して!」

水戸ホーリーホック
チーム・協会

【ⒸMITOHOLLYHOCK】

水戸ホーリーホックでは、プロサッカークラブとして初めての試みとなるプロ選手を対象とした「社会に貢献する人材育成」「人間的成長のサポート」「プロアスリートの価値向上」を目的とするプロジェクト「Make Value Project」を実施しています。

多様性と交流を基盤に、様々な業種の講師を招聘し、異業種の方々の価値観や使命感に触れることで、プロアスリートとしての存在意義や社会的な存在価値を選手たちに問い続けます。

その一環として、キャリアコーチと選手が継続的に面談をして「ミッション」「ビジョン」「バリュー」の策定をする取り組みが昨年から行われています。

ミッション・・・社会の中での自分の役割
ビジョン・・・ミッションを実現した理想の未来像
バリュー・・・日々のこだわり、行動指針

原体験を振り返り、自らのサッカー選手であるうえのスタンスや価値観、使命感を見つめなおすことでピッチ内外でのパフォーマンス、言動、行動の質の向上につなげていこうという取り組みです。

2024年も選手・スタッフの今季策定した「ミッション」「ビジョン」「バリュー」を紹介していきます。
2024年第12回は石井隼太選手です。

(取材・構成 佐藤拓也)

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Q.MVV作成のための面談はいつ頃から、どのぐらい行いましたか?
「昨年の冬ぐらいから、5~6回行いました。年明け前にはMVVが完成していました」

Q.今まで第三者に自分の内面や過去を話すことはありましたか?
「なかったですね。話をしてみて、自分がどういうことを思ってサッカーをやってきたのかとか、原点を見つめ直すことができましたし、『意外と自分はこういうことを考えていたんだ』といった発見もありました。頭の中を整理できたいい時間になりました」

Q.完成したMVVを見て、どのように感じましたか?
「自分らしいと思いましたね」

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Q.まず、ミッションについて聞かせてください。「子供達に夢を与え、憧れられる選手に」「全ての人に活力を与えられる存在に」。こちらはどんな思いが込められているのでしょうか?
「『子供たちに夢を与える』というのは、言葉通りで、自分がそうだったんですけど、ジュニアユース時代にFC東京に在籍していた時にはじめてプロになりたいと思ったんです。自分がプロサッカー選手という立場になって、子どもたちに夢を与えられる・憧れられる存在になりたいと思って、この言葉にしました」

Q.プロになりたいと思ったきっかけはありましたか?
「ジュニアユース時代に権田修一選手(現清水エスパルス)に対して、選手たちがインタビューをするという企画があったんです。プロの選手と触れ合って、すごく刺激を受けたんです。その時の経験が大きいですね。あと、ホームゲームは毎試合のように見に行っていたので、『こういう場所でサッカーをしたい』と思っていたことを今でも覚えています」

Q.憧れの選手はいましたか?
「当時は太田宏介選手(元FC東京)に憧れていました。同じ左利きの左サイドバックだったので、学ぶものが多かった。太田選手のプレーをよく見ていました」

Q.憧れられるために必要なことは何だと思いますか?
「DFなので、戦う姿勢や絶対に諦めない姿勢をプレーで表現しないといけないですし、プレー面だけでなく、人間性の面でもお手本になるようにしないといけない。普段から言動を心がけることによって、そういう存在に近づけると思っています」

Q.『全ての人に活力を与えられる存在に』に関してはいかがでしょうか?
「それは子どもに対してというより、自分の同年代や年上の方に対しての言葉なんですけど、普段仕事をしている方が週末に自分たちの試合を見に来てくれるわけじゃないですか。自分たちが勝つことによって、そういった方々に喜びを与えることはもちろんですが、同時に、自分たちの戦う姿勢を見て、『俺も頑張ろう』と少しでも思ってもらいたいと思い、この言葉を選びました」

Q.サポーターの方と触れ合って、そういうことを感じるようになったのでしょうか?
「水戸は地域の方との距離が近いクラブ。サポーターの声を聞いて、応援をしてもらっていることを実感することができます。そして、自分たちが活力を与えられる存在になりたいとより強く思うようになりました」

Q.石井選手はプロ1年目ですけど、昨年特別指定選手としてプレーしました。その経験があるからこそ、より強くその思いを強く持つようになったのでは?
「昨年自分が出場した試合は1勝しかできなかったんです。その1勝はホームの山形戦で、今でも試合後の光景を鮮明に覚えています。『勝つとこんなに多くの人を笑顔にできるんだ』と思ったんです。ミッションの言葉を考えるようになったのは、そこからですね」

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Q.次はビジョンについて聞かせてください。「みんなが笑顔で暮らせる世界」。こちらはいかがでしょうか?
「世の中的に暗いニュースが最近多いように感じているので、サッカーを通して明るい社会を作っていきたいという思いを込めて、この言葉にしました」

Q.XなどSNSを見て、嫌な気持ちになることも多いのでは?
「自分自身ではなく、他の人が叩かれているのを見ると、すごく嫌な気持ちになります。そういうことをSNSで書いても誰も幸せにならない。なくしていきたいですね」

Q.アスリートをはじめ、表舞台に立つ人は多くの人を笑顔にしようと思って取り組んでいると思うんですよ。でも、結果を出せなかったり、ちょっとした失敗を必要以上に叩かれてしまう。それはすごく残念なことだと思いますし、アスリートの方々は心を痛めてしまうんだと思います。
「それは間違いないですね。明るい言葉で溢れる社会になるといいですね」

Q.石井選手は常に笑顔を絶やしませんし、言葉遣いもすごく柔らかいですよね。周りに対する影響を意識しているように感じるのですが。
「あまり自分の中では意識していませんが、周りの人から『大人っぽい』と言われることはあります。自分自身、あまり話をするのが得意ではないんです。だから、そう言ってもらえるのはすごく嬉しいです」

Q.「笑顔」を生み出すために意識していることはありますか?
「言葉遣いを一番気にしています。目上の人に対しての言葉遣いは意識していますし、親しき仲にも礼儀ありという言葉があるように、親しい関係の人にも乱暴な言葉は使わないようにしています」

Q.どうすれば、みんなが笑顔で暮らせるようになると思いますか?
「同じ人はいないと思っているので、個性や文化の違いをみんなが理解して、お互いを尊重し合える世の中になっていけばいいなと思っています」

Q.そのためにもまず身近な組織であるチームを笑顔にすることが大事ですね。チームメイトと接する際に意識していることはありますか?
「ピッチに入ったら、しっかり自分の意見を伝えるようにしていますが、相手の意見も聞くようにしています。一方通行になってしまうと、ピッチ外の関係性も悪くなってしまう。お互いに意見を言い合った上で自分が違うと思ったら、一歩引くようにしますし、譲れないものがあれば、通すことを考えています。話をしないと、相手が何を考えているか分からない。今までも大事にしてきたつもりですが、プロになってより大事だと思うようになりました」

Q.そういう点においてお手本になる選手はいますか?
「チーム内ではクス君(楠本卓海選手)ですね。昨年からDFラインを組むことが多く、常に声をかけてくれるんです。クス君の声はすごく頼りになる。自分もそうなりたいと思っています」

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Q.次はバリューについて聞かせてください。「諦めない気持ち」。こちらはいかがでしょうか?
「後まで走り切るとか、球際とか、負けても食らいつくことなど、絶対に諦めない姿勢を意識しているので、この言葉にしました」

Q.「諦めない」ことは石井選手はプレーだけでなく、キャリアが証明していると思います。県リーグの大学からプロになることは簡単なことではありません。県リーグでプレーしながらも、プロになることを諦めなかったからこそ、今がありますね。
「今季の新卒選手の中で経歴では自分が一番低いというか、無名だと思います。自分が選んだ道で100%諦めずにやってきましたし、どこかで誰かが見てくれていると信じて日々の練習や試合でプレーしてきたので、それが今につながったと感じています」

Q.城西国際大学に進むことは自分で選んだのでしょうか?
「そうです。かつてお世話になったFC東京のスタッフの方が監督を務めていて、高校生の時から声をかけてもらっていたんです。進路についていろいろ考えたんですけど、その方もいますし、先輩も何人かいたので、城西国際大学を選びました」

Q.関東リーグの大学に進学する選択肢もあったのでしょうか?
「練習参加に誘われている大学がいくつかありましたけど、参加せずに城西国際大学に行くことを決めました」

Q.大学はいろんな誘惑があります。プロになる覚悟がブレることはありませんでしたか?
「自分の代は20人強が入部したんですけど、卒業する時は11人しかいませんでした。やめていく選手を見てきたからこそ、自分の道を貫かないといけないという気持ちが強くなりました。自分の軸を持ったままサッカーに取り組むことができました。流されることはありませんでした」

Q.それが強さにつながったんでしょうね。
「自分の力だけでサッカーを続けてきたわけではありません。親への感謝の気持ちもありましたし、お世話になった人たちに恩返ししたい思いもあったので、道を見失うことはありませんでした」

Q.チャンスを信じてプロになることができたんですね。そして、プロ1年目、「諦めない気持ち」を持ち続けて日々取り組んでいると思うのですが。
「なかなかチャンスが回ってこない中でもやり続けることが大事だと思っています。Make Value Projectでも『最後まで誰にでもチャンスがある』という話を聞いたので、いつチャンスが来てもいいように準備をしています」

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Q.最後にスローガンについて聞かせてください。「強く愛される選手を目指して!」。こちらはいかがでしょうか?
「これはFC東京U-15むさしの時代のコーチが言っていた言葉です。プレーだけ良くても、愛される選手にはならない。プレー以外の行動でも愛される選手になってほしいとずっと言われていたので、そうなりたいと思って取り組み続けてきました。だから、この言葉にしました」

Q.「愛される選手を目指して」の前にある「強く」という言葉が印象的です。その言葉にはどんな思いが込められていますか?
「プレーのところで相手に負けないとか、相手より走るとか、相手を上回るところを見せることによって、サポーターに感動を与えられると思って、この言葉を入れました」

Q.特にサイドの選手はそういう局面が多いですし、分かりやすいポジションですよね。
「サイドは1対1が多いだけでなく、観客席が近いので、結構声が聞こえるんですよ(笑)。自分のプレーで沸いた時はすごくテンションが上がります」

Q.今まで印象に残っているスタジアムはありますか?
「仙台のスタジアムは本当に凄かったですね。相手のサポーターの声というか、ブーイングが多かったんですけど、そういう声が多いと逆に燃えましたね。それも強さだと思っています。僕はあまり外部からの声には動じないというか、むしろ、燃えるタイプなので」

Q.ブレずにやり続けることも石井選手の強さだと思います。
「あまり試合には出ていませんけど、自分の軸はしっかり持てているので、やり続けることに関しては、不安はありません」

Q.ルーキーイヤーも残り3試合となりました。今後に向けて、意気込みをお願いします。
「とにかく目の前の1戦1戦でしっかり戦って、1つでも上の順位で終わることがチームとしても、個人としても大事なことだと思っています。そこにこだわって、取り組んでいきたいと思っています。リーグの最終盤は印象に残ると思うんすよ。チャンスが回ってきた時には最高のパフォーマンスを出したいと思っています」
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著者プロフィール

Jリーグ所属の水戸ホーリーホックの公式アカウントです。 1994年にサッカークラブFC水戸として発足。1997年にプリマハムFC土浦と合併し、チーム名を水戸ホーリーホックと改称。2000年にJリーグ入会を果たした。ホーリーホックとは、英語で「葵」を意味。徳川御三家の一つである水戸藩の家紋(葵)から引用したもので、誰からも愛され親しまれ、そして強固な意志を持ったチームになることを目標にしている。

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