【優勝/準優勝監督インタビュー】 関東第一高校・米澤監督が振り返る夏(前編)
【©氏原英明】
甲子園準優勝から1ヶ月余り。激戦の大会をあと一歩のところまで迫った東東京代表の関東一はまもなく開幕する都大会に向けて調整練習に入っていた。
取材日は文化祭の代休で朝からの練習となったが、午前中に国体に臨む3年生と紅白戦をしたのち、1、2年生が2チームに分かれて紅白戦を行っていた。公式試合さながらの厳しい叱咤激励と互いを称賛する声、チームが一つになろうというのは伝わってきた。
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僕たちとしては(優勝できなかった)悔しさもありますけど、前に進んでいこうという話をしています。新チームに向けて切り替えています」
就任して25年になる米澤貴光監督はそう言ってこの夏の喧騒を振り返る。
決勝戦はタイブレークの激闘の末に涙を飲んだが、この夏の関東一の戦いは僅差で雌雄を分けた試合が多かった大会の中心にいたと言っていい。
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準々決勝では優勝候補筆頭の東海大相模を僅差で勝利。準決勝は劇的な結末の末に2-1で神村学園を破って決勝まで駒を進めたのだった。
「センバツ初戦で負けて5月くらいまではあまりいい状態ではなかったんですけど、6月下旬くらいに夏は行けるんじゃないかと。選手たちには夏の組み合わせを見て、東東京大会準々決勝の修徳高校に勝てれば、チャンスはあるなという話をしました。
修徳の後は二松学舎さん、帝京さんだったんですけど、東東京大会は日程が空くので、今年のチームはそれくらいの相手とやる方がいいチームになるというのはあって、それがいい方向になりました」
関東一甲子園の戦いで目立ったのが堅固な守備力だ。畑中鉄心―坂井遼ら複数で挑む投手陣と二遊間の小島想生―市川歩を中心として鉄壁な守りは洗練されていた。
低反発バット導入後初めての選手権という中にあって、かつてのようなパワー野球ができない現状は、守備をベースに緻密に戦うことの大切さ見せてくれた。二桁安打は初戦の北陸戦のみというのがそれを物語っている。
初戦の北陸戦はエース・坂井が踏ん張った。先発・畠中が1回に先制点を許すと、米澤監督は3回裏に投手に代走を送る勝負手に出た。早い投手交代をした理由を米澤監督はこう明かす。
「北陸高校のエースの子は2年生の頃の神宮大会から見たことがあって、これはいい投手だなと。この夏の福井大会を見てもこれは点が取れないだろうなと。竹田くんが出てくるまでに点差があったら難しくなると決断しました」
早く仕掛けることで試合を動かす。普通では考えられないが、この勝負手で代走に出た選手が1死二、三塁からの浅い犠牲フライで生還。
同点に追いついてさらに1点を勝ち越した。すると4回から登板したエースの坂井は8回まで北陸打線をノーヒットに抑えたのだった。終わってみれば7-1で快勝。これで勢いに乗った。
3回戦では同じようなスタイルの明徳義塾に粘り勝ち。
どちらがミスをするかを待つような我慢比べだったが、明徳義塾がミスをした。「エラーにバントミスに、、、負けるべくして負けた試合」。馬渕監督にそう言わせたが、裏を返せば、関東一はそれをしなかった。
準々決勝の東海大相模と準決勝の神村学園は米澤監督の言葉を借りれば「はめ込んだ」試合だった。打撃能力が高いチームに対して、投手の配球とポジショニングを徹底してヒットゾーンを防ぐという戦略的な戦いを見せた。
米澤監督はいう。
「東海大相模さんと神村学園さんは野手のレベルが大会の中でも2つくらい抜けていましたので、戦略的なミーティングをしました。バッテリーの配球面で相手をはめる。
相手打者のヒットゾーンを守って駄目だったらしょうがないくらい。1mや2mかもしれないですけど、外野のポジショニングも含めてこだわってやりました。大会を通してほとんど思ったように守れることができたと思います」
相手を見て戦い方を選ぶ。守備型なら同じスタイルだと勝負を挑み、逆に攻撃力が売りのチームはこちらの野球に誘い込んでいく。打撃戦で勝負するのではなく得意な形に嵌め込んで勝利していく戦い方は見事という他なかった。
それだけ求めるものが守備において高かった。それができたチームでもあったということである。特にセンターラインは米澤監督の仕込みが効いていた。
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例えば、キャッチャーがサインを出した時点で、自分のチームのキャッチャーが何を出すのか、どういう意図なのかが分かっておくようにと言っています。サインが出たから動くじゃなくて、もうこの展開はこうだからと予測しておくということです。
時には僕からの配球のサインも出るんですけど、監督はこう出すだろうとか、準備してわかっているぐらいまでいてほしい。1球でサインが変わる中で、どう動くかの理解を求めているんですけど、それが高いレベルでできたと思いますね。
守備で点を献上しない。無駄な得点を与えない野球が浸透していました。もちろん、それはいつも目指していたんですけど、それが一つ完成した学年だったのかもしれないです」
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守備型、攻撃型とチームを作っていく中で、東東京大会の初戦で思うような攻撃ができず、低反発バットの影響を感じた中で、完全な守備型があっているという認識がチームに出来上がったという。それが功を奏したというわけである。
話を大会に戻すと、準決勝の神村学園戦では2-1の9回表、2死1、2塁の場面では奇跡的なプレーが生まれた。中前打で本塁を狙った走者を中堅手の飛田優悟が本塁寸前で刺したのだ。
実は“令和版奇跡のバックホーム”とも呼ばれたこのビッグプレーは戦略的に守る関東一としても想定外でもあった。
というのも、そもそも二遊間を大きく空けて守っていたのだが、これは二塁走者を牽制で刺すためだった。しかし投手との連携がうまく行かず、牽制をすることもなく、進んでしまっていた。
「セカンドの小島に聞いたら牽制をする予定だったんです。走者がかなりリードをとっているのは確認していたみたいで。普通に考えればあのヒットはショートゴロになったはずだったんです。ただ、神村学園戦のヒットゾーンとしてはセンター方向というのは確認していたので、それを飛田がうまく刺してくれた」
最後をやられなかったのはチームとして相手の攻撃がどこに飛んでくるかを意識していたからだろう。そうして、守備の関東一は決勝まで上り詰めたのだった。
決勝戦はタイブレークの末に涙を飲んだ。9回裏のチャンスを逃して落胆してしまったこと、守備の陣形の確認を取るタイミングを失ってしまったことなど、敗因を上げればキリがない。
ただ、守備をベースにした戦いは決勝戦で対峙した京都国際もまさに同じで、特に守り方にこだわってきた関東一の洗練された守備は高校野球における守備戦術の大事さを想起させる戦い方ではあった。
【©氏原英明】
久々に会ったなんていう人も多かったんで、それはそれで嬉しかったですよね。京都国際さんとうちのようなチームでも甲子園決勝で戦えたっていうのは高校野球もまた違う見方ができるんじゃないかなとは思うんですよね。
東京都の連盟の先生の中でも、関東一がこれだけ戦えたのは勇気もらえたとも言ってもらえた。そういう野球を見せれたかなと思います」
関東一はベンチ入り20人のうち18人が出場した。派手さはないが守備で手堅く守って大会を勝ち上がる野球はいろんなチームのお手本になったことだろう。
後編では、「実は攻撃スタイルを目指していないわけではない」という米澤監督の指導理念に迫る。
(取材/文/写真:氏原英明)
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