【優勝/準優勝監督インタビュー】 京都国際高校・小牧監督が振り返る夏(前編)
【京都国際高校提供】
史上初のタイブレーク決着となった決勝戦では、京都国際の個性が光り2-1で制した。中崎瑠生、西村一毅の二人のサウスポーを中心にした硬いディフェンスと勝負どころの集中打は甲子園開催100年に相応しい新チャンピオンの誕生だった。
ほんの数年前までは「甲子園は目標ではかった」と指揮官の小牧憲継監督が語るほど選手の育成に特化したチームを作っていた。そんなチームがどのようにして日本一に辿り着けたのだろうか。甲子園の戦いぶりと、この十数年で積み上げてきた京都国際の歩みを追った。
「やっぱりこの逞しさがこの学年の強さやったんやろなって感動しましたね」
優勝報告の行事と遅れた新チームの指導に追われる多忙な日々が続く小牧監督は優勝後の3年生の姿勢を見て、この夏の成果を改めて感じた。
「大会が終わってから始業式の関係もあって3年生は1週間ほど帰省させていたんです。それで、始業式前の前日に戻ってきたら、もう、練習をしていました。22時半が点呼なんですけど、22時くらいまで打ち込んでいましたね」
京都国際の強さを一言で言うと「自発的練習量」だ。
指導者陣が止めないといけないくらい練習に向かうストイックさがこのチームの強さだ。決勝戦後の宿舎でも、帰省直後でも、3年生がいまだに練習量を落とさないと言うのはただ驚きしかない。
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印象に残っているシーンがある。
決勝戦の延長10回裏、2−1と1点リードして2アウト。マウンドの西村が最後の打者を三振に斬って取り選手たちがマウンドに歓喜の輪を作った。
甲子園では見慣れたシーンだが、その刹那、京都国際のボールボーイを担当している3年生の選手たちが人目も憚らず大泣きしていたのだ。
夏の甲子園は21年連続で観戦しているが、決勝戦後にこんなシーンを見たのは初めてだ。
「ボールボーイをやっていた選手の中学校の指導者から『人のために涙を流せる。うちの子があんなに育ってると思わなかった』といってもらったんです。勝っておめでとうと言われるよりもそう言っていただけてすごく嬉しかったです。
本当に最後は一つになったというか、目に見えないプラスアルファの力が働いたような優勝だった気がしますね」
この夏の京都国際の戦いぶりはまさに一致団結していた。
まずは決勝戦を振り返ってみる。
史上初のタイブレーク決着となったこの試合は、京都国際が先攻めだった。
延長10回表、無死1、2塁から始まるこの場面。打順は9番からだったが、小牧監督はここで大きな決断をする。
9イニングを無失点に抑えていたエースの中崎に替えて西村を代打に送ったのだ。西村はマウンドに行く予定の選手だが、この采配には裏があった。
「タイブレークの場面でバントを考えますけど、相手がシフトを敷いてくることを考えるとそれだけではいけない。ああいう場面でサインを無視して打ってライナーゲッツーになる。
人間は失敗したことから考えると思うんですけど、西村はそういう失敗することを恐れない子だったんで、技術面とメンタルの両方を考えて西村に行かせました。裏のマウンドで投げる予定でしたけど、体を動かしといた方がいいのかなというのもありました」
ここで西村は一仕事をする。
無死1、2塁から西村がバントの構えをすると、高い守備力で勝ち上がってきた関東一は激しいバントシフトを仕掛けてきたのだ。いわゆるブルドック・ピックオフプレーだ。
しかし、2ボール1ストライクになった後4球目、西村はヒッティングに切り替えた。
サインではない。
「シフトを引いてきたら打ってもいい」という許可が降りていた中で、西村が自分で判断してヒッティングにしたのだ。これが左翼前に転がって満塁。続く1番の金本祐伍が押し出し四球、2番の三谷誠弥も右翼犠飛を打ち上げて2得点。これで試合は決まったのだった。
自主判断による一打からの勝利が京都国際らしい。
小牧監督は新チーム結成の頃は細かい指示を送るが、あまりとやかく言わない指導方針という。
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野球って最終的には自分たちの感覚が大切になるんで、自分たちでわからないと監督やコーチに言われたことをその場で返事しても中身が全く伴ってない選手になってしまう。
新チーム当初は口うるさく言い続けますけど、ある程度のレベルまで来ると、選手たちに任せることが多いです」
最後の場面もバッテリーの思考が光った。
タイブレークで始まり、西村の失策から1点を返された。なおも逆転のピンチとなったが、最後は西村のスライダーが空を斬ってピンチを脱した。
このシーンで驚きだったのは最後の決め球がチェンジアップではなくスライダーだったことだ。
西村はもともとチェンジアップを武器とする投手だった。決勝戦までの23イニングを無失点。圧巻の魔球だった。
だがこの日、チェンジアップのキレが今ひとつだったため、伝家の宝刀を封印して攻め方を変えていたのである。
「ブルペンの時からチェンジアップはよくなかったみたいです。控え捕手から正捕手の奥井にもそのことは伝えられていて、奥井自身もこれまでにリードでいろんな経験をしていたので、最後はスライダーを選んだのだと思います」
京都国際は個性を重視してきたチームだった。これまでもチーム力のことを言わないわけではなかったが、個の力がチームを強くする。
そうした中で京都の上位校に進出できるようになり、3年前は春夏甲子園に初出場。夏はベスト4に進出。その姿を見て入学してきたのが今年の3年生たちだった。
「野球がしっかりできる子だなと言うのが最初の印象でした。でも、その反面、3年間の伸び率ではちょっと難しいちゃうかな。と。試合に出るのは早いけど、スケールの大きい選手たちに抜かされていくんやろうなと思っていました」
それが如実に現れたのが今年春のセンバツだった。1回戦で青森山田とぶつかり1点差の惜敗。
個と個のぶつかり合いで敗れ「チーム力で勝つ」というワードがチームの中に大きな課題としてこの時に生まれた。
「選手たちにはプライドがあるんで、能力で負けたからといってゲームに負けていいのか。能力で及ばなくても最終的には勝ちたいと選手たちが話すようになりました。能力の差を何で埋めていくのかって考えたときにチームプレーに徹すること。0安打でもどうやって点を取るのか。ゲームで勝つことにこだわるようになりました」
試合で勝つための練習がメーンになった。決勝戦でのブルドック対策も「京都大会では龍谷大平安がやってくるから」とすでに対策済みだった。
つまり、西村の強攻策は勝つための準備として備えていたものだった。
センバツの初戦敗退からの逆襲を目指し、春の京都大会を制して、そのまま近畿大会を初制覇。これが大きかった。
「力を合わせたら野球というゲームは勝てるんだと自信になりました。近畿大会で優勝した以上は、全国でやっぱり上を目指さないといけない。そこからは漠然と頑張っているだけだったのが、何が何でも日本一を本気で目指そうという雰囲気になりました」
甲子園では1回戦の札幌日大戦を皮切りに投打が噛み合った。先発は決勝戦まで、中崎と西村が交互に担当。2回戦、3回戦、準々決勝は完封。
打線も長打は出ないものの、低く強い打球を意識して4試合連続二桁安打をマークして、3年前と同じ準決勝進出を決めたのだ。そして相手は青森山田だった。
試合は初回に2点を先制される苦しい展開。相手先発がエースの関浩一郎ではなかったこともあって、やや拍子抜けしたチームは精彩を欠いていた。
ところが、5回を終えてクーリングタイムに入ると、青森山田は関が投球練習。「よっしゃ行くぞ」と気合いを入れ直し、6回に逆転。そのまま試合を制したのだった。
チーム力を結集して頂点まで上り詰めた。レギュラーとベンチ外が分け隔てなく練習をする空気があり、それがチームの力になった。
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「優勝することでしか見えない景色というのは感じました。甲子園に出発する前と甲子園に戻ってきてからの選手の表情も違いますし大人になったなと感じます。やっぱり技術の枝葉っていうのは人間力という土台があってのものだと思います。
ここから選手たちにどういう化学反応が起きるのか。引退した3年生は今もガンガン練習をやっていますので、次のステージに行くまでにどういう成長の仕方をしてくれるのかはすごく楽しみです」
監督から言われるでもなく、尻を叩かれるわけでもなく自ら動いて勝利に向かう。
韓国系民族学校の系譜がある学校はその話題も注目されたが、また新たな歴史を刻んだ栄ある優勝だった。
(取材/文:氏原英明、写真:京都国際高校提供)
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