【Baseball5を学ぼう】 日本選手権初代王者「ジャンク5」Baseball5との出会いから世界の舞台へ立つまで「とにかく地道に継続」
【©BFJ】
10月に開催される「第2回 WBSC Baseball5 ワールドカップ 2024」で日本代表監督・選手を計5名輩出し、2月の日本選手権でも初代チャンピオンになるなど国内トップのチームとして君臨している。
「5STARs」に続くチーム紹介の第2弾はジャンク5を特集。
今回はチームの代表かつ、このワールドカップで侍ジャパンBaseball日本代表の監督でもある若松健太氏に話を伺った。
一般社団法人としてチームを運営
大学院への進学を機に関東に拠点を移した07年、時同じくして移った仲間たちと共に横浜市でもジャンクベースボールクラブを結成した。
現在でも軟式野球で強豪が揃う「草野球大会 Victoria(ヴィクトリアリーグ)」の1部に所属し、4年連続で決勝トーナメントに進出するなどその実力と共に、当時から社会貢献活動にも積極的に行っていた。
野球人口拡大に向けた想いも強くあったことから、18年には軟式野球チームとして初の一般社団法人化を実現。現在の「ジャンク野球団」となった。
そんな中、若松監督がBaseball5と出会ったのが19年のことだった。周囲から競技についての名前やルールなどを耳にするようになっていた。
約5年ほど前にBaseball5と出会った 【©白石怜平】
六角選手もこの年に日本で唯一のWBSC公認インストラクターの資格を取得するなど、普及活動に力を入れていた。お互い共通の知人がいたこともあり、初めて顔を合わせたのが20年の秋だった。
「『若松さん、Baseball5を知ってますか?』という話になったので、競技について改めて教えてもらったんです」
同年12月にはジャンク野球団主催でBaseball5の体験会を開催し、その時六角選手には講師を務めてもらった。
競技を普及させたいという想いに共感した若松氏はチームとしてBaseball5にも挑戦することを決意。「ジャンク5」として、野球団に在籍の約20人全員が二刀流で臨むことになった。
野球やソフトボールと競技を兼務する選手が多く在籍している 【©白石怜平】
そのジャンク5の本気な姿勢は、周囲を動かしていった。
「全日本軟式野球連盟の審判方から『YouTubeを見ました。野球のネットだと満足に奥行きを使った練習ができないので、専用ネットがあった方がいいですよ』などと、アドバイスを受けたこともありました」
21年6月には高橋由伸氏(元巨人)が参加した都内での体験イベントに、チームのメンバー数人でサポートに入った。会場に一緒にいたWBSCの日本人スタッフからある相談を受けた。
「その時に話をもらったのは、『実は東京パラリンピックのイベント会場で体験会を行うことが決まったので、協力に来ていただける方はいますか』と。我々はいくらでも協力しますと言って行かせてもらったりもしました」
そのイベントが、「東京2020ファンパーク」。
21年の東京パラリンピック期間中に行われたイベントで、車いすバスケットボールやボッチャなどパラスポーツを体験できる場所としてオープンしていた。
合わせてBaseball5の体験コーナーも設けられ、都内在住の子どもたちなど3,000人以上が訪れる人気エリアとなっていた。
桜美林大学の准教授である若松氏は、ゼミナールとして学生たちと運営のサポートに入り会場を盛り上げた。
東京2020ファンパークで六角彩子選手らと共に体験会を行った 【若松氏提供】
22年、日本代表は目標から現実へ
それが日本代表への挑戦である。この年の8月にマレーシアで行われた「WBSC ASIA Baseball5アジアカップ2022(第1回アジアカップ)」への出場が最初の目標となった。
当時の日本代表はチーム単位での選出だったため、出場権獲得に向けた代表決定戦が7月に新宿で行われた。
「新宿の決勝トーナメントへ進む前に、神宮の室内球技場で予選があったのですが、そこを勝ち抜かないといけなかった。それで日本代表を意識し始めました」
日本代表決定戦への参加が、日の丸への意識を強くした 【若松氏提供】
しかし、次の国際大会である「WBSC Baseball5ワールドカップ2022」では、ジャンク5と5STARsのメンバーで構成されることになり、早くも代表入りを果たした。
若松氏はコーチに就任し、選手も大嶋美帆・島拓也・三上駿の3名が代表入りした。
前回ワールドカップで感じた驚きと競技の魅力
再びキューバと対戦し敗れるも、日本は準優勝という堂々たる成績を残した。Baseball5の発祥国と対戦した印象をこう振り返った。
「キューバの強さが衝撃的でした。とんでもなかったです。テクニックとスピード共に頭抜けていたと思います」
その一方で、改めて競技の魅力を感じたシーンが何度もあったという。
「野球に馴染みの薄い欧州や途上国も参加したのですが、その選手たちがすごく明るくていいなと思いました。
あと国を超えて仲良くなれたんです。ホテルが(参加した全)12カ国一緒で売店に行くと顔を合わせるのですが、みなさん温かい方々だったので心打たれました。
しかも会場がメキシコシティの世界遺産の前だったので、お客さんが自然に集まった中でプレーできた。素敵なスポーツだなと純粋に思うことができました」
22年は瞬く間に世界へと飛躍する年になったジャンク5。翌23年は、競技以外の分野で活躍のフィールドを広げていく。
(文・白石怜平)
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