【日本シニアオープン選手権・第4R】片山晋呉は4打差の5位タイに終わる

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13番のチャンスを逃して波乱万丈のゲーム展開に

【通算5アンダーの5位タイで終わった片山晋呉】

片山晋呉は、第3ラウンドを終えて、通算6アンダーパー。3人の首位グループに1打遅れて最終ラウンドをスタートした。その第3ラウンドでの記者会見で片山は、こう語っていた。
「勝つためには、最終ラウンドで2アンダーパーじゃ届かないというのはわかっているので。明日ももう少しスコアは出るでしょう。明日は明日で、いろんなことが起きるでしょうけど。それも一つの物語だと思ってね、やるだけと思って僕はやりますけど。もういろんなことが、大変なことが起きると思いますよ」その言葉どおり、最終ラウンドは波乱万丈のゲーム展開となった。

その中で、片山は穏やかなスタートを迎えた。1番から8番までずっとパープレーのままだった。9番で初めてスコアが動いた。バーディだった。さらに10番でもバーディ。11番をボギーとしたけれど、12番でバーディ。通算8アンダーパーで首位グループに肉薄した。スコアボードを見ることなくプレーする片山が、12番で「ちらっと見ました。あ、1打差かなって」という矢先の13番。4メートルほどの距離のバーディパットを、ぺろりと外した。片山の流れが変わったのは、そこからだった。14番でボギー。15番でダブルボギーと3つ落としたままバーディが取れずにこの日1オーバーパー。通算5アンダーの5位タイで終わった。

「もう何十回も負けているし、何十回も勝っているし。よくわかっていますよ。負けても勝っても精一杯、今やれているから、すごく気持ちが充実しているし、狙ってきて狙った位置にいるって幸せなんで、それができている自分を褒めてあげたいと思う」と3日目に締めくくったコメントが、とても含蓄のある印象的な言葉だった。
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(公財)日本ゴルフ協会(JGA:JAPAN GOLF ASSOCIATION)は1924(大正13)年10月、神戸・根岸・東京・鳴尾・舞子・程ヶ谷・甲南の全国7クラブの代表により、創設された我が国のゴルフ界を代表する団体です。ゴルフ精神の正しい順守、ナショナルハンディキャップ制度の実施、公式競技の開催、ゴルフ・ルールとエチケットマナーの正しい普及などに努め、ゴルフの健全な発展と普及を図り社会に貢献して参ります。

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