【時代が動いた!『G1』ファイナル両国伝説!! (前編)】91年 蝶野(27歳)vs武藤(28歳)史上唯一の20代同士の優勝決定戦!99年“第三世代”で優勝一番乗り、野人がついに覚醒!! 07年“暗黒期”脱却へ…新世代・棚橋が決意のマイクアピール!!【G134】

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【新日本プロレスリング株式会社】

“真夏の最強決定戦”『G1 CLIMAX 34』もいよいよ大詰めを迎える中、優勝決定戦を行う両国国技館は数々の伝説、熱狂を生んできた。今回は時代を突き動かした新日本プロレスの分岐点となった名勝負を“5選”、その背景とともに紹介していく(前編)。

テキスト/鈴木佑
新日本プロレスが誇る毎年恒例の人気シリーズ『G1 CLIMAX』。“真夏の最強戦士決定戦”として広く知られる『G1』は、1991年の初開催からこれまで34年の長きにわたり、日本プロレス界の歴史に残る幾多の激闘が繰り広げられ、プロレスファンに夢と感動を与えてきた。

その歴代優勝者を振り返ると、この『G1』を飛躍のきっかけとし大きく羽ばたいた新世代ファイターや、紆余曲折のキャリアを経て悲願の初制覇を遂げた不屈の雄。ほかにも外敵として新日本制圧を成し遂げた猛者、ビッグカムバックの舞台とした歴戦の戦士など、じつに多種多様。最強の座を巡り、リング上ではさまざまな人間ドラマが描かれてきた。

今年の『G1』には最多出場記録(22回)を持つ棚橋弘至をはじめ、矢野通や石井智宏、タイチやYOSHI-HASHIなど常連選手がエントリーを逃し、これからの新日本を担う選手たちが多く出揃ったことでも話題を呼んでいる。その時代の波に抗うように、ベテラン選手たちも意地を見せ、白熱の好勝負が続出。

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さらに、8月15日 (木)幕張メッセ 国際展示場9ホールから始まる優勝決定トーナメント(ファーストステージ)、そして8月17日(土)両国国技館(セカンドステージ)、8月18日(日)両国国技館(ファイナルステージ)と新たなシステムが取り入れられた。はたして優勝決定戦のリングに立ち、時代に選ばれるのはいったい誰なのか--?

ここでは“時代の分岐点”をテーマに、とくに印象的な過去の優勝決定戦(決勝戦)にいくつかスポットを当てたい。
■1991年_第1回大会は、蝶野が27歳、武藤が28歳。『G1』史上、唯一の20代同士の選手による優勝決定戦だった

1991年8月7 日 東京・両国国技館
第1回『G1 CLIMAX』優勝決定戦
〇蝶野正洋(29分03秒 パワーボム→エビ固め)武藤敬司×
『G1』を語る上で、やはり記念すべき1991年の第1回大会は外せない。そのときの優勝決定戦では、蝶野正洋と武藤敬司が真夏の栄冠を争った。当時、蝶野が27歳で、武藤が28歳。同日デビューの二人は、ともにキャリア6年10カ月。『G1』の歴史上、20代同士の選手による優勝決定戦はこのときが唯一となる。

当時の新日本マットは藤波辰爾がIWGPヘビー級王者、長州力がグレーテスト18クラブ王者に君臨し、新進気鋭の闘魂三銃士(蝶野、武藤、橋本真也)がその壁を乗り越えようと出世争いを繰り広げていた。

そこにビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、クラッシャー・バンバン・ビガロの常連外国人トップ3を加えた8名が2ブロックにわかれ、『89ワールドカップ争奪リーグ戦』以来2年ぶりとなるシングルリーグ戦でしのぎを削った。

Aブロック単独首位は、藤波やベイダーからシングル初勝利を飾った武藤。Bブロックは蝶野と橋本が同点首位で並び、優勝争いを三銃士が独占する展開に。その優勝決定戦が行なわれたのは、史上初となる両国3連戦の最終日。

まずは蝶野が橋本との最終決戦進出を懸けた戦いに勝利。そして『G1』ファイナルで蝶野と武藤、共にデビュー戦で戦ったライバル同士が対峙することに。

互いを知り尽くした両雄は、持てる力を序盤からぶつけ合う。1日2試合のハンディを背負った蝶野だったが、トペ・スイシーダまで繰り出し奮闘。試合が佳境に入ると、武藤は勝負を懸けたムーンサルトプレスを敢行する。

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だが、蝶野は両膝で迎撃すると、“奥の手”パワーボムを炸裂し3カウントを奪取。その瞬間、両国には座布団が乱舞し、場内はハイボルテージに。エンディングでは三銃士が揃って観客の歓声と拍手に応え、新時代到来を感じさせた。

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ダークホースだった蝶野の劇的V、そして両国3連戦の大成功により『G1』は爆発的人気を博し、一気にブランドを確立。“真夏の最強戦士決定戦”は90年代の新日本黄金期の大きな礎となり、いまも変わらぬ輝きを放っている。
■1999年_第三世代で優勝一番乗り! 90年代最後の『G1』で野人・中西学がついに覚醒!

1999年8月15日 東京・両国国技館
第9回『G1 CLIMAX』優勝決定戦
〇中西学(14分43秒 アルゼンチンバックブリーカー)武藤敬司× 
1999年の第9回大会は3年ぶりにリーグ戦形式が復活し、総勢12選手が2ブロック制で争った。ここまで過去8大会の優勝者の顔ぶれは、蝶野(91、92、94年)、武藤(95年)、橋本(98年)の闘魂三銃士と、藤波(93年)と長州(96年)、そして佐々木健介(97年)。そのあとに続くべく、若き頃の“第三世代”が切磋琢磨していた。

そもそも第三世代とは90年代初頭にデビューした選手たちのことを指し、一般的に定着したのは永田裕志が98年8月に海外修行から凱旋帰国し、同じヘビー級の天山広吉や小島聡、中西学らと競いあった頃となる。

いったい第三世代の中で誰が最初に時代に風穴を空けるのか? ファンや関係者がリング上に熱視線を注ぐ中、99年の『G1』で気を吐いたのが“野人”中西学だった。

元バルセロナ五輪のレスリング代表である中西は、92年に鳴り物入りでデビュー。その後は95年3月にヤングライオン杯優勝(95年3月)や、海外修行後の97年5月に小島とIWGPタッグ戴冠を果たすなど一定の実績を残しつつも、どこか己の殻を破れずにいた。

実際、『G1』ではこれ以前にトーナメント制で実施された97年と98年に出場し、どちらも1回戦で敗退。99年大会もノーマークと言っていいポジションだった。

しかし、90年代最後の『G1』で野人がついに覚醒。Bブロック出場の中西は豪快無比なファイトで白星を重ね、両国3連戦の最終日に行なわれたリーグ戦では橋本から初勝利をスコア。単独首位で最終決戦のチケットをゲットした。

対抗のAブロックは両国最終日に当時IWGPヘビー級王者の武藤が小島聡、そして永田裕志が安田忠夫を仕留め首位タイに。この二人のあいだで優勝戦進出者決定戦が行なわれ、勝利した武藤が4年ぶりにファイナリストとなった。

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迎えた優勝決定戦で、この日3試合目となる武藤は第三世代を3タテすべく、IWGPヘビー級王者の意地を爆発。徹底した足殺しで中西を追い込む。もがき苦しんだ中西だったが、驚愕の野人パワーで挽回。最後は武藤がドラゴンスクリューに来たところを強引にアルゼンチンバックブリーカーで担ぎ上げ、豪快にギブアップを奪った。

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第三世代で優勝一番乗りとなった中西は「やっと“夏男”になれました!」と咆哮。この時、キャリア6年10ケ月。32歳。第1回大会の蝶野を彷彿とさせる巻き返しを見せた中西は、バックステージで「自分を疑うことなく、このスタイルでこれからも進んでいきたい」と、目をうるませた。
■2007年、“暗黒期”からの脱却……新世代エース・棚橋弘至が決意のマイクアピール! 

2007年8月12日 東京・両国国技館
○棚橋弘至(19分02秒 ハイフライフロー→片エビ固め)永田裕志×
2000年代に入ると、『G1』で第三世代がさらに躍進。永田が01年に初優勝を飾り、天山は03、04、06年と3度の優勝を達成。その第三世代の壁を打ち崩すべく、立ち向かったのが新世代の棚橋弘至や中邑真輔だった。

棚橋はこれまでに『G1』を3度制覇しているが、初めて真夏の勲章を勝ち取ったのは07年の第17回大会。00年代中盤の新日本は観客動員に苦しむ“暗黒期”からの脱却を目指していた時期にあたり、その中で棚橋は新世代エースとして台頭してきた。

デビュー3年目の02年に『G1』初出場した棚橋は、3度目のエントリーとなる04年には早くも準優勝を達成。翌05年に第1回『NEW JAPAN CUP』初制覇を果たすと、06年7月にはIWGPヘビー級王座決定トーナメントを制し同王座を初戴冠。

しかし、ファンの中には華やかな出で立ちに加え、試合後に「愛してま~す!」と叫ぶ王者を“新日本らしさ”とかけ離れていると見たのか、ブーイングにさらされる時期もあった。 

これに対し、ファンからの支持を集めたのが“ザ・ストロングスタイル”ともいえる永田。07年4月、永田は大きな声援を背に棚橋を下し、約4年ぶりにIWGPヘビーを戴冠。その勢いを駆って01年以来6年ぶりの優勝を目指し、『G1』に出陣した。

この年の『G1』は12名の2ブロック制で行なわれ、各ブロックの上位2名が決勝トーナメントで争うことに。Aブロックを勝ち抜いたのは当時ヒールとして飛ぶ鳥落とす勢いだった真壁刀義(1位)と、王者の意地を見せた永田(2位)。

Bブロックからは中邑真輔(1位)と棚橋(2位)、新世代のライバル同士が揃って進出した。そして準決勝では棚橋が真壁を丸め込みで下し、永田は雪崩式エクスプロイダーで中邑を戦闘不能に追い込みTKO勝利。

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結果、優勝決定戦では現IWGPヘビー級王者と前IWGPヘビー級王者が対峙することに。永田は鋭い打撃、強烈な投げ技で追い込むも、棚橋も残された栄冠を手にすべく必死に応戦。最後はダルマ式ジャーマン、ドラゴンスープレックス、そしてハイフライフローと怒濤のたたみかけで第三世代の雄を撃沈。念願の初優勝を成し遂げた。

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死闘を見届けた場内が祝福ムードに包まれる中、棚橋は「オレみたいなクソヤローに応援してくれてありがとうございます」と自虐的なコメントを残すと、続けて「オレたちの世代でもう一度、プロレスを爆発させます!」と決意のマイクアピール。

この当時、棚橋はキャリア7年10カ月の31歳。その後、新日本が2010年代にV字回復を遂げたのは、プロレスファンなら誰もが知るところ。

この棚橋のマイクアピールは、以降の『G1』の煽り映像で幾度となく使用されることに。『G1』最多出場記録を持ち、“真夏の生き字引”ともいえる逸材は、歴代大会屈指の名場面も生み出した。

後編は、後日公開!
■『ヤマダインフラテクノス Presents G1 CLIMAX 34』

8月15日(木) 17:00開場 18:00開始
千葉・幕張メッセ 国際展示場9ホール
※「ロイヤルシート(最前列)」は完売となりました。

※リンク先は外部サイトの場合があります

8月17日(土) 15:30開場 17:00開始
東京・両国国技館
※「砂かぶり席(最前列)」「砂かぶり席(2-4列)」「レディースシート」「マス席4人用」「ボックス席4人用」「ボックス席5人用」は完売となりました。
※「マス席」「2階指定席A」は残りわずかとなりました。

※リンク先は外部サイトの場合があります

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8月18日(日) 13:30開場 15:00開始
東京・両国国技館
※「砂かぶり席(最前列)」「砂かぶり席(2-4列)」「2階指定席A」「マス席4人用」「ボックス席4人用」「ボックス席5人用」は完売となりました。
※「マス席A」「マス席B」は残りわずかとなりました。

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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