驚き、葛藤、喜び。青年海外協力隊スポーツ隊員が体験した世界の常識
【写真提供:JICA】
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用具の確保から掃除の仕方まで、技術指導以前の問題
スリランカで野球指導にあたった望月翔太さん(写真一番右) 【写真提供:JICA】
「スリランカには過去に野球を指導する隊員が派遣されていましたが、それは中心部だけだったので、スリランカ全土に野球を普及させようということから、私は地方隊員として派遣されました。しかしスリランカではメジャーなスポーツと言えばクリケットで、野球はマイナースポーツ。そのためバットやグローブなどの用具がなく、売っている店もありませんでした。そこで日本の野球協会や自分の母校に連絡をして用具を集めるところから始めました」(望月さん)
その他にも、そもそも野球を指導していない学校に赴き、子どもたちに野球を教える機会を作ってほしいとお願いすることからスタートしたこともあったそうだ。また、モロッコに卓球隊員として赴任した蔦木詩歩さんは日本との習慣の違いに戸惑ったという。
モロッコで子どもたちに卓球を指導する蔦木詩歩さん 【写真提供:JICA】
エルサルバドルで剣道を指導した小川直生さんも同じような体験をしている。
エルサルバドルで剣道を指導する小川直生さん(写真中央) 【写真提供:JICA】
そこで小川さんは、掃除をして環境を整えることや用具を丁寧に扱うことの大切さを説明したり、自ら模範を見せることで現地の人たちは、その重要性を理解し徐々に
宗教による考え方で異なる、試合に負けた時の反応
蔦木さんがモロッコに赴任してから、このように卓球台を掃除する習慣ができた 【写真提供:JICA】
「たとえば試合に負けてコーチに『どうして負けたと思う』と聞かれたら、日本人ならば戦術が悪かったとか、相手のあのプレーに対して自分が対応できなかったとか、試合を振り返って反省します。でもイスラム圏であるモロッコの人たちは、『相手にアッラーの導きがあったから、今回は私の番ではなかった』と答えたんです。もちろん技術的に反省してほしいことはたくさんあるんですが、それを聞いたとき、負けても凹まないポジティブさを感じました。イスラム教徒の人すべてがそうではないと思いますが、負けた後の切り替え方として、そういう考え方もあるんだと驚きましたし、ある意味素敵なことだと感じました」(蔦木さん)
このモロッコの選手の考え方も面白いが、その考えを否定せず素敵だと言える蔦木さんの姿勢もまた素敵ではないだろうか。これがビジネスだったら仕方ないでは済まされないだろうが、スポーツならではの面白さがここにある。また、ジャマイカにバレーボール隊員として派遣されていた諸橋美千代さんは、人種差別を体験したという。
「当時、ジャマイカ人には『自分たちの祖先はアフリカから連れてこられた黒人なんだ』とはっきりと言う人が結構いて、学校内でもそれにちなんだブラッキーやブラウニーなんていうニックネームで呼ばれている人たちもいました。それに対して白人を『ホワイティー』と呼んだりしていたので、『じゃあ、私のようなアジア人は?』と聞くと『イエロー』とはっきりと言うのが当たり前でした。当時は自分たちは白人よりも下だけれども、黄色人種はそれよりももっと下といったイメージがまだまだあって、街を歩いていてもアジア人の私は子どもたちから馬鹿にされたりすることもあったんです。でも、チームのみんなと一緒にバハマに遠征に行ったりして、過ごす時間が長くなるにつれ、肌の色に関係なくどんどん仲良くなり、バレーボールを通じて徐々にネットワークを作ることができたのはすごく良かったと感じています」(諸橋さん)
日本の規律がもたらした子どもたちの成長
モルディブでバドミントン指導をする若井さん(写真中央) 【写真提供:JICA】
「私は技術だけでなく、時間を守ることなどの基本的なことも厳しく指導したのですが、それは練習にもいい影響が出ました。たとえばそれまでは適当に数をこなす練習、例えば素振りなど10回やらなければならないことを、数をきちんと数えないでこなす、という感じだったと思いますが、集中して正しいフォームでの素振りを10回行う事を指導した結果、フォームも抜群に良くなり技術力も上がりました。自分で立てた計画をしっかりやり通すことができるようになり、集中力も備わり学校での成績も上がるなど、子どもたちの成長を実感しました。当時教えていた幼稚園児くらいの子どもが、ロンドンオリンピックに出場できたのは、嬉しかったですね」(若井さん)
また、スリランカに赴任していた望月さんは野球を通じて現地の人たちの就労の機会が増えたと話す。
「スポーツが子どもたちや選手たちを次のステップに繋げてくれたことが印象的です。たとえば、進路や自分のキャリアを考える際に、スリランカ以外の海外も視野に入れるようになり、それができる環境が整いました。野球のコミュニティをきっかけに、現在日本で生活をしている方や、審判として日本のアマチュア野球に携わっているスリランカ人の方もいらっしゃいます。そういった野球を通じて世界へアプローチするチャンスが増えたというのは、本当に嬉しいですね」(望月さん)
対立していた2つの民族が野球では同じチームに
グローブやボールを手に満面の笑みを浮かべる、望月さんがスリランカで野球を指導した子どもたち 【写真提供:JICA】
「スリランカはかつてシンハラ民族と、タミル民族が対立する民族紛争があった国です。当時対立していた両民族の方たちが、野球では同じチームの選手として、同じ目的にむかって協力するという姿が見られたのは、スポーツならではだと感じました」(望月さん)
また、若井さんはモルディブ駐在中にイスラム圏特有の貴重な体験をしたという。
「バドミントンの大会に、イスラム教の女性しか参加しない大会というのがありまして、引率でイランまで行ったのですが、そこでは選手だけでなく、審判もすべて女性でした。それはとても貴重な経験でした」(若井さん)
かつては女性が外に出てスポーツをすることもかなわなかった国、いまもできない国もある。こうした機会を増やすことで、いつかすべての国の女性が当たり前に社会参画できるようになるのではないだろうか。
スポーツ隊員たちのやりがいとは?
現地の人々に溶け込む、モルディブ派遣時代の後藤大祐さん 【写真提供:JICA】
モルディブに陸上隊員として派遣されていた後藤大祐さんは、駐在中はスポーツ隊員としての意義や喜びを感じられずに帰国したという。しかし、その後、別組織で業務に携わる中であることがきっかけでスポーツの持つ力、スポーツ隊員の意義を実感し、ボランティア調整員となった。その時に更に意義を実感したことがあるそうだ。
「ある国の柔道に関する案件にかかわっていた時のことです。派遣された隊員の上司が、障がい者柔道協会の会長というもうひとつの顔を持っていたんですね。それをきっかけに、彼も一から手話を覚えるなどして、障がいのある子どもたちに柔道を教えるようになりました。その繋がりから、私も障がいのある選手たちに会って話をする機会を持つことができたんですが、彼らが言っていたのは『僕らは柔道であれば健常者と同じフィールドで競うことができる』ということでした。それを聞いたときにスポーツは様々な人の社会参画を促す一つの手段になり得るんだと実感しました。自分がスポーツ隊員だった時には感じることができませんでしたが、今になって振り返ると、障がいのある人だけでなく、普段は宗教や文化的に女性の地位が低いとされる国でも、スポーツというフィールドに立てば、みんなと対等に競い合えると感じられる、自分が自分であっていいんだという感覚をスポーツを通じて得られるのだとしたら、スポーツ隊員はすごく意味のあることをしているんじゃないでしょうか」(後藤さん)
エルサルバドルで剣道を指導する小川さん(写真前列中央) 【写真提供:JICA】
「エルサルバドルの人たちに、なぜ剣道を始めたのかと聞いたところ、日本のアニメの『鬼滅の刃』や『るろうに剣心』を見て、日本の剣道に興味を持ったからだと言うんです。実際彼らは、楽しそうに素振りなどの稽古をしていました。当時の私にとって剣道は楽しむものではなく、強くなるための修行、自分が一歩先に進むためにやるものという認識が強かったので、楽しいと思ったことは少なかったです。もちろん、技術がついてきたら、もっと強くなりたいとか、上の段を目指したいと思うようになると思うんですが、まずは楽しいから始まっていることが新鮮でした。純粋に剣道を楽しいと感じる気持ちを、エルサルバドルに行って初めて持ちました」
途上国にはスポーツを楽しむだけの余裕がない子どもたちがまだまだたくさんいる。スポーツをすること、スポーツを観戦すること、スポーツを応援することは、決して当たり前のことではない。平和で経済的に余裕があり、さらに宗教や社会的な習慣や差別など、さまざまな問題をクリアして、はじめてスポーツを楽しむことができる。そして、その問題をすべての人がクリアして、みんなが同じようにスポーツを楽しむことができたら、世界はもっと寛容で平和になれるのでないだろうか。
モルディブに派遣されていた後藤さんは赴任中、一生分と言っていいほど、ありがとうを言われたという。
「私の指導できるレベルは決して大したことはなかったのに、毎日のように子どもたちや、保護者の方から、『あなたのおかげです』と感謝されるんです。当時のまだ若造だった自分なんかに申し訳ないと思うと同時に、それが自分のモチベーションにもなっていました。本当に貴重な体験をさせていただきました」(後藤さん)
後藤さんのように、今も世界のどこかで、スポーツ隊員たちが平和と平等をもたらす種を蒔いている。混沌とした世界に、ひとつでも多くの種が芽を出し花開き、世界が笑顔であふれる日が来るのを願わずにはいられない。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:JICA
※本記事はパラサポWEBに2024年6月に掲載されたものです。
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