早大野球部 【連載】春季早慶戦直前特集 『ONE』 第4回 安田虎汰郎

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】取材・編集 富澤奈央

 ここまで4試合に登板し、2勝をあげている安田虎汰郎(スポ1=東京・日大三)。チェンジアップを決め球に無失点の好投を続け、絶大な信頼を得ている。早慶戦を目前に控えた今、期待の新星が考えることとは。

ピンチの場面を任されることは「幸せ」

【早稲田スポーツ新聞会】

――今季はどのようなことを目標にして試合に臨んでいますか

 今季は特に終盤のリリーフでの登板が多いので、その中で任された自分の仕事を、最大限のパフォーマンスでできることを心掛けて登板しています。

――救援での起用についてはどのように感じていますか

 終盤で1点を競っている場面で1点も取られちゃいけない場面で任せてもらえることが多いので、それをプレッシャーに感じるのではなく、そういった場面で投げさせてもらえることに喜びを感じて、幸せだなという気持ちに変換してマウンドに立っています。

――ここまでの今季の試合で一番印象に残っているのはどの試合ですか

 全部印象に残っているのですが、ここって時をあげるとすれば、明大1回戦の一死満塁で 最終回の場面でマウンドに上げてもらった時です。あの時は小宮山監督(小宮山悟監督、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)がマウンドまで来てくださって、「思い切って腕振れよ」と言ってボール渡してもらったので、すごくうれしかったです。緊張というよりも、第1戦の絶対落とせないところで、ああいう大ピンチにマウンドに上げてもらえるというのは、自分のピッチングの長所というか、持ち味を最大限に出さなきゃいけない場面だと思っています。結果として後続を断って勝利につなげられたことは、多分今までの自分ではできてなかったことだと思うので、 また1つあの試合で成長できたところかなと思います。

――東京六大学リーグ戦初登板となった立大1回戦の時の心境を教えてください

 開幕戦で、大事な場面でリリーフを任せてもらえることは本当に幸せなことです。神宮球場は高校時代、西東京大会からずっと投げてきた場所で、それと同じ場所で最高の舞台に出させてもらえることにすごく喜びを感じた試合でした。

――高校時代ずっと投げてきた神宮球場の印象と、大学生になってから立つ神宮球場の印象に変化はありますか

 球場の雰囲気が全く違うというのが率直な感想です。大学野球の応援がすごいなっていう。もちろん高校野球もすごい応援です。西東京大会の準々決勝で駒大高とやった時とか、準決勝で明大中野八王子とやった時も、応援に飲まれそうになった場面があったのですが、やはり大学の応援は比べ物にならないぐらいの迫力があります。ですがそれに飲まれてしまうと本来の自分の投球ができないので、とにかく慣れるというか。特に明治戦前は、明治の応援がすごいと聞いていたので、暇があればずっと、寝る前とかに明治のチャンステーマを聴いていました。気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、マウンドに立った時はバッターと目合わせずにずっとアルプスを見ていました。音で自分のパフォーマンス崩されたら本当に嫌なので、アルプスの方を見て、自分のこと応援しているんだなぐらいの気持ちで投げていました。神宮の六大学の応援というのはなんかすごく嫌な雰囲気というか、迫力がすごいなと感じています。

――ここまでの試合で許した安打はわずか1など、ルーキーながら大活躍されていますが、この成績の背景にはどのような要因があると思いますか

 上級生の皆さんがバックで本当にいい声かけをしてくださるというか、前向きな言葉をかけてくれています。また、捕手の印出さん(太一主将、スポ4=愛知・中京大中京)が全神経を集中させて、自分のパフォーマンスを最大限に引き出すリードをしてくれているので、本当に周りの方々には感謝の気持ちがいっぱいあります。

――前回の対談で自分の課題点について、まっすぐの質やコントロールの精度についてあげていらっしゃいましたが、その成果は表れてきていますか

 大学野球という4年間のスパンで見た時に、やはりスピードとまっすぐの質は(課題点として)あがってくるのですが、この春のリーグ戦に限っては今ある武器で戦わなきゃいけないので。もちろんまっすぐの質も入部してすぐよりは上がっていますが、自分の持ち味は変化球なので、それをうまく使った配球というものを印出さんのリードでやらせてもらっています。

「(チェンジアップは)存在意義」

【早稲田スポーツ新聞会】

――チェンジアップはご自身にとってどのような球種ですか

 存在意義です。自分からチェンジアップがなくなったらただのピッチャーになってしまうというか、全く抑えられないと思います。ピンチで任せてもらえるということは、あの球種があるからこそで。ボールをきっちり投げないと抑えられないですし、そのボールを評価していただいてマウンドに上げてもらっていると思います。そういった面で、チェンジアップというボールをこれからさらに操っていけるようにしなきゃなと思います。

――練習に参加したての頃と今では、練習の雰囲気は違いますか

 勝ちへの執念、絶対に負けられないんだというハングリーな気持ちが、リーグ戦が近づくにつれて日に日に増してくるのがすごく伝わってきました。もちろん、高校野球の時も負けてたまるか、という気持ちでやっていました。ですがそのマインドの部分で、リーグ戦に対してどんどん気持ちを盛り上げていくというのは(負けたら終わりの)高校野球とはまた違うモチベーションで大学生がやっているので、すごくレベルが高いなと感じました。

――先輩との交流は深まりましたか

 ピッチャーの方とは皆さん、先輩方によくしてもらっていて、ピッチングのことだったり、練習のことだったりたくさんアドバイスをいただいています。これから先輩方からそういう技術や調整法、練習法をどんどん吸収していって、自分のパフォーマンスにつなげていきたいです。

――安田選手といえばチェンジアップはもちろんですが、柔軟性の光る独特な投球フォームも印象的です。日頃から柔軟などのストレッチに力をいれているのですか

 それがですね、本当に馬鹿にされるぐらいやっています。(周りから)「安田は本当にストレッチしかやらないな」と言われるくらい。練習メニューでいうとストレッチ、柔軟よりも、可動域の部分のトレーニングというかストレッチというか、可動域メニューというのを自分で組んでいます。例えば肩甲骨や胸郭の可動域などです。自分の投球フォームだとどうしてもスピード重視のものはできません。高校の頃からしなりで強いボールを放るということをやっていたので、自分の体のしなやかさがなくなったら、必然的に持ち味も失われてしまうと思っています。そういった意味で、投げ方もしなやかさを心がけていますし、可動域や柔軟性のメニューもたくさんやっています。

――メニューはご自身で考えられたのですか

 高校の時にトレーナーの方に教えてもらったものだったりとか、あとは高校の先輩で大学や社会人野球に進まれた方に聞いたりとかして、自分に合ったものや自分に足りないものを選んで、自分でメニューを組んでやっています。

――試合当日のルーティーンを教えてください

 このルーティーンは高校時代から変わっていないのですが、神宮に着く一番最後の曲はロッキーのテーマを聴くという。実は影響されたのは、これも小倉監督です。小倉監督はロッキーが大好きで。自分が高校2年の秋に、国学院久我山に14ー2の5回コールドで負けた試合がありました。その試合の後に小倉監督が0からやり直しだって言って三高全員でロッキーの映画を見させられたんです。それを見て、泥の中から這い上がったロッキーの精神、ハングリーな気持ちをわからせたくて、多分小倉監督は(映画を)見せてくれたのだと思います。それから自分もロッキーの大ファンになってしまい、映画も全部見て、それでロッキーの曲がすごく自分の中で燃えてくるようなものを感じるようになりました。大体高速の出口ぐらいから流し始めて、神宮に着くぐらいで曲が終わるので、その間何を聴いていたとしても一番最後は絶対ロッキーのテーマを聞くというのが自分のルーティーンです。

「最高峰」の舞台で

【早稲田スポーツ新聞会】

――安田選手にとって早慶戦とはどのようなものですか

 大学野球の最高峰だと思います。高校野球で言うと、高校球児には甲子園に行きたいという想いがいっぱいあると思うのですが、大学野球で早慶戦の舞台というものは最高峰だと思います。神宮の舞台で、本当にそれ以上の舞台はないと思っています。

――ご自身の注目ポイントはどこですか

 緩急を使ったピッチングです。ピンチを耐えしのぐ、そういうピッチングをしたいと思っているので、ピンチで自分がもしマウンドに上げていただいたら、緩急を使ったピッチングがどんなものかなと見てもらえるとうれしいです。

――今年の早慶戦は優勝の懸かっている試合になりますが、 やはり緊張はありますか

 多少の緊張感は必要だと思います。ですが、どちらかというとワクワクしています。すごく楽しみです。

――最後に、早慶戦への意気込みをお願いいたします

 いつも言うことは同じなのですが、任されたマウンドを、自分の仕事を最大限にできるように頑張ります。

――ありがとうございました!


◆安田虎汰郎(やすだ・こたろう)
2005(平17)年5月27日生まれ。176センチ。東京・日大三高出身。スポーツ科学部1年。大学入学後も高校時代の恩師たちと連絡をとりあっているようで、小倉全由氏は立大戦にいらしていたそうです!安田選手の人柄のよさがうかがえます。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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