ここでひと花咲かせたい。はい上がるだけです。#FC今治でプレーする 小澤章人

FC今治
チーム・協会
プロサッカー選手になる夢をかなえるまで。そして、夢をかなえてから。そのキャリアは、まさに波乱万丈です。チームを最後尾から鼓舞するGK小澤章人選手のゲキが、なぜこれほどまでに熱いのか。決して諦めないスピリットが、その源にあります。

【©FC.IMABARI】

▼プロフィール
おざわ・あきひと
1992年8月10日生まれ、埼玉県出身。184㎝、80㎏。利き足は右。GK。背番号33。
FCコルージャ(埼玉県)→前橋育英高(群馬県)→西武台高(埼玉県)→国士舘大(東京都)→SP京都FC→アルビレックス新潟→ブラウブリッツ秋田→AC長野パルセイロ→水戸ホーリーホック→ブラウブリッツ秋田→FC今治

もう一度、ミズさんのもとで

今回、ブラウブリッツ秋田から期限付き移籍でFC今治への加入となりました。今治との縁は、どのように生まれましたか?

ミズさん(水谷雄一GKコーチ)に声を掛けていただいたところからです。ミズさんのもとでもう一度サッカーをしたい、今治でひと花咲かせたいという気持ちで来ました。

ミズさんとは、AC長野パルセイロで3年間、一緒でした(2018-2020年)。僕自身は長野から水戸ホーリーホックに移籍した2021年以降、3年間、公式戦の出場から遠ざかっていました(この間の公式戦出場は、2021年明治安田生命J2第35節・ファジアーノ岡山戦のみ)。

そんな僕の状況を見て、気にかけてくれていたミズさんに、『オザ、まだ全然やれるだろ? 出られる保証はないけれど、J3でも試合に出た方がいいんじゃないか? また一緒にやろう』と誘っていただきました。

僕は今年で32歳になりますが、まだまだ現役でやりたいですし、現役でやる以上、J1を目指したい。そのためにも、試合に出てプレーを見てもらわないと始まらないという思いがありました。J2の秋田からカテゴリーが下がることになりますが、今治で成長して、J2、J1でプレーしたい。そう思って移籍を決断しました。

長野にいるとき、ミズさんはずっと「早く上のカテゴリーに行け」と僕の背中を押し続けてくれました。このタイミングで環境を変え、ミズさんのもとでもう一度サッカーをするのは、とてもポジティブなことだと思っています。

チームが始動した直後に話をうかがったとき、「ここからはい上がっていきたい」という話をしていた小澤選手のキャリアは、まさに波乱万丈ですね。

どうなんでしょうね? 大学は国士舘で、先輩が何人もプロになるのを見ているうちに、『自分も』という気持ちが強くなっていきました。それでJ2のチームを中心に練習参加して手応えもあったんですが、大学4年のとき、たびたび脳震とうになって、ほとんどプレーできなかったんです。

大学を卒業するタイミングではプロにはなれず、でもサッカーは続けたかったので、監督や周りに相談した結果、佐川印刷京都FCからチーム名を変更した、JFLのSP京都FCに加入することになりました。ところがその年の秋に、チームがシーズン終了と同時にJFLを脱会、活動を休止すると発表されたんです。

いきなりチームがなくなることになって、『どうしよう?』という思いと、『サッカーは続けたい』という思いがあって、でも当時はサポートしてくれる代理人がいるわけでもなく、本当に困ってしまいました。そこで声を掛けてくれたのが、J1のアルビレックス新潟だったんです。当時の新潟の強化部に、大学時代に練習参加した大宮アルディージャで僕のプレーを見てくれたスタッフがいて。

新潟はGK3人体制だったのですが、そのうちの1人、今は愛媛FCのアカデミーでGKコーチをされている黒河貴矢さんが、開幕前のキャンプでけがをしてしまって。それで、『アマチュア契約だけれど新潟に来てくれないか?』という話をいただきました。僕としても、とにかくサッカーができる環境を求めていたので、「練習生でもいいからお願いします」と、2016年4月に新潟に行くことになりました。

新潟での1年間はアマチュア契約のままでしたが、新潟に行ったことが、その先へとつながっていきました。新潟と秋田とのトレーニングゲームで僕のプレーを見てもらえたのだと思いますが、2017年、当時はJ3だった秋田に加入することになったんです。

【©FC.IMABARI】

GKとして、1人の人間として成長する

Jリーガーとなる夢を、秋田でついに実現させたわけですね。

そうです。GK陣にけが人がいたこともあって、開幕からスタメンで試合に出続けました。本当にワクワクするシーズンでしたね。それまで新潟の練習でJ1レベルのシュートを受け続けてきたこともあって、自信を持ってプレーできたし、プロとしてやっていくうえでとても大事な時間を過ごすことができました。

秋田では開幕から18節まで先発して、失点は13。1試合平均で1失点以下に抑えることができて、とても充実していました。ところが中断期間中に足首を捻挫してしまって。それがきっかけで、シーズン後半はサブに回ることになったんです。

悔しかったですよ。ですが、だからといって腐っても仕方ない。このとき、ハングリーにやり続けられたことも、自分にとってプラスになっていると思います。

2017シーズン、秋田でプロキャリアをスタートさせて、翌年、長野に完全移籍しました。

同じJ3のチームへの移籍でしたが、とてもポジティブに捉えていました。長野はJ2を狙えるチームだと感じられたし、ここでしっかりステップアップしてやろうという気持ちでしたね。

何より当時の長野では、もう引退されていますが、阿部伸行さんというGKが大活躍していたんです。前の年の僕は秋田所属で、阿部さんは対戦相手のGKでしたが、そのプレーは見ていて実に鮮烈でした。だから阿部さんと一緒にサッカーができるのは、自分にとって大きなチャンスだと思ったんです。

僕は長野に行って、プレーはもちろん、人としても大きく成長できたと思っています。近くにいた阿部さんからも、大きな影響を受けました。

阿部さんは試合に出ていても出ていなくても、誰よりもチームのことを考えて行動している。同じチームになって、そのことがとてもよく分かりました。それで秋田時代の自分を振り返ってみると、『俺を試合に使ってくれ!』という気持ちが強すぎたことに気づかされたんです。

結局、長野の1年目は試合に多く出ることはできませんでした(リーグ戦12試合に出場)。でも、1人の人間としてとても成長したシーズンだったと思います。

阿部さんの人柄は、長野に移籍する前から知っていたのですか?

いや、それまではプレーしているところしか見ていませんからね。GKとしてすごいことしか分かりませんでした。

GKとしての阿部さんは、とにかくシュートを止める。そこに尽きます。J1のFC東京や湘南ベルマーレでもプレーしていましたから、一緒にやることでたくさんのことを吸収できるはずだと楽しみでした。GKコーチにはミズさんがいて、本当に充実した環境でしたよ。選手としても、ひとランク上がった手応えがありました。

阿部さんはピッチを離れたところでも、常にチームの状況を見ているんです。それで、『少し落ち込んでるな』と感じた選手のところにすぐに声を掛けに行って、フォローする。ゴミが落ちていたら、サッと拾う。当たり前なんだけれど、なかなかできないことを自然にやっていて、見習うことばかりでした。

小澤選手自身が、阿部さんから声を掛けてもらうことはあったんですか?

僕が試合に出る前は、いつも「今週、トレーニングですごくいいパフォーマンスだったから、絶対に守れるよ!」と声掛けしてもらっていました。阿部さんも試合に出たいはずだし、悔しかったと思うんですよ。だけど常にポジティブな声を掛けて、奮い立たせてくれました。僕も言われたからには、『いっそう責任を持ってプレーしなければ』と気持ちが入りました。

【©FC.IMABARI】

「今度こそ」と意気込む試合の前日に

長野の3シーズンで試合出場を重ね、2021年、水戸に完全移籍を果たしました。J3からJ2へと戦いの舞台を上げましたが、水戸でのデビューは10月の第35節・岡山戦まで待つことになりました。

長野で充実した3シーズンを送り、とても良い状態での水戸への移籍でした。チームからも、「GKの一番手か二番手か、そこで争ってもらうことを考えているから」と期待を寄せてもらっていたし、僕自身、調子が良かったんです。ところがキャンプ直前にハムストリングスを肉離れして、全治3カ月の離脱になってしまいました。

『何だか太ももの裏が張っているな』という感覚はありました。でも、それまで筋肉系のけがをしたことがなくて、どういう状態か自分でよく分かっていなかったんですね。筋肉痛とばかり思っていました。何よりJ2で試合に出たかったし、無理をしていたら、バチン!と音がして切れてしまいました。

落ち込みましたが、自分にはそれまでの経験があったので、気持ちが折れたり、何かをあきらめるということにはなりませんでした。『けがしてしまったのは仕方ない。まずはしっかり治そう』とポジティブでしたね。

復帰してからは、監督の秋葉(忠宏)さん(現清水エスパルス監督)に、「ちゃんと見ているよ。どんどん状態が良くなっているから。いつでも行けるように、常にいい準備をしていて!」と声を掛けてもらっていました。秋葉さんも熱い人でしたね。普段はとてもフレンドリーで優しいんですが、試合になると、とにかく勝利へのこだわりがすごかった。

そして第35節・アウェイの岡山戦が水戸、J2のデビュー戦となりました。FC今治の選手紹介コーナーを見ると、1-1で引き分けたこの試合が「サッカー人生で一番悔しかった試合」だとか。

本当に悔しかったです。今でも思い出すと悔しくてたまりません。

水戸が押していた試合で、後半のアディショナルタイムになるかどうかというところで、ついに先制したんです。ところが、その直後に追いつかれてしまって……。

味方でブラインドになっている状況なのに、ボールを持った相手選手を無理に見ようとしすぎたんですね。そうではなくて、もっと自然に構えて、来たシュートに反応する準備をしていれば止められたと思います。実際、ニアに飛んできたボールに触ったんですが、遅れてしまいました。

紙一重でしたね。そこでシュートを止めていればヒーローでしたが。勝ちが目の前まで来て、浮ついた自分がいました。

それで、“今度こそ勝利に貢献しよう”と思っていた次の試合が、アウェイのV・ファーレン長崎戦でした。相手にはすばらしいアタッカーがたくさんいるし、『よし、しっかりシュートを止めてやるぞ!』と気合も入っていたのですが、試合の前日練習で右ひざ前十字靭帯を断裂してしまいました。

試合前日ですか……。

セットプレーの確認で、ボールをキャッチしようと出ていったところでひざを誰かに蹴られたような感覚があったんです。『え?』となりましたが、もちろん誰にも蹴られていなくて。右ひざを見たら、グニャリと曲がっていました。このときばかりは、さすがにどん底に落ちました。周りからたくさんの声を掛けてもらいましたが、自分の中に入ってきませんでしたね。

【©FC.IMABARI】

後ろから鼓舞し、今治を変えていきたい

結局、水戸での試合出場は岡山戦のみで、昨年、古巣の秋田に復帰。そして今年、今治への期限付き移籍となります。

去年、秋田に戻って、調子は維持していました。リーグ戦のサブにもずっと入っていて。6月になり、『次の週の天皇杯(2回戦●1-2栃木SC)は、いよいよ出られそうだ』というところで、今度はふくらはぎの肉離れになってしまったんです。結局、去年は公式戦に出ないまま、今治に来ることになりました。

ここまで小澤選手が歩んできた道のりを知ると、「今治で、またはい上がるだけ」という言葉の重みがグッと増します。

今治のGKは本当にレベルが高いです。厳しい競争を覚悟して来ました。

今治のGK陣はJ3で群を抜いているんじゃないですかね。ジョン(セランテス)、シュウさん(修行智仁)、(伊藤)元太の誰が試合に出てもおかしくないし、今はまだリハビリ中ですが、ハル(滝本晴彦)もとてもいいGKだと、以前から今治でプレーしている選手やスタッフからも聞いています。

試合に出られない可能性もあるけれど、だからこそ競争して、自分が成長したいと思います。それに長野時代に感じたのが、ミズさんはそのときベストのGKを選ぶ、ということなんです。いい意味で、先発GKが固定されていない。

だから、毎日のGK練習に全力で取り組むだけです。何よりミズさんのトレーニングは、メニューがとても豊富なんですよ。久々に体の切れが出てきているのを感じます。

それからここ数年、筋肉系のけがを繰り返しているので、ピラティスを再開しました。体のバランスを整え、体の使い方を覚えるためにいいと勧められて水戸で始めたんですが、去年、秋田ではジムを見つけられずに中断していました。今は、松山のジムに週1回のペースで行っています。

しっかり取り組んできたかいあって、第13節・カターレ富山戦(●0-2)で初先発。FC今治デビューを果たしました。先発は、どのタイミングで伝えられたのですか?

試合当日のミーティングです。先発するのは自分なのか、シュウさんなのか、それまで分かりませんでしたが、18人のメンバーには入っていましたから、前日から試合に出るイメージを持って準備していました。慌てることはなかったですね。

心掛けたのは、シュートを止めるのはもちろん、チームを後ろから鼓舞することです。連敗していると、どうしても雰囲気が重くなりがちなので、後ろから変えていきたいと思って試合に入りました。

残念ながらチームは後半2失点。その後、小澤選手のファインセーブもありましたが、反撃も及ばず、連敗を止めることができませんでした。

途中からラインを押し上げられなくなって、押し込まれて耐える時間がずっと続いてしまいました。ピッチの中で改善できれば良かったのですが、なかなかうまく行かず、結果を出せなかったのはとても悔しいです。

今治は、まだまだおとなしいチームだと思います。そこを後ろからどんどん変えていきたい。それが上位、J2昇格を狙うことにつながると思います。

水谷GKコーチからは、どんな声を掛けられ、富山戦のピッチに向かったのですか?

いろいろ言われましたが、「まずは楽しんで来い。自分のため、今治のために頑張ってこい」です。僕自身、今治でひと花咲かせたいですし、J2の舞台に戻りたいと思っています。そしてチャンスをつかむのは、自分にしかできないことです。

今治には、誰が試合に出てもいいGKがそろっています。悪い流れを断ち切れるよう、GK陣みんなでがんばります。そして、その競争の中で試合に出られるよう、これからもやり続けます。

取材・構成/大中祐二
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

2020年シーズンよりJリーグクラブとなったFC今治。ホームタウンはしまなみ海道の玄関口、愛媛県今治市です。わたしたちは「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会づくりに貢献する。」を企業理念に掲げる(株)今治.夢スポーツという法人です。今治.夢スポーツは、FC今治の運営を核に、教育事業や地域貢献活動などさまざまな事業にチャレンジしています。当アカウントでは、イベントや試合情報、選手に関する情報など、クラブの最新情報をお届けします。

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント