【週刊グランドスラム250】着実に進化する日鉄ステンレスを支える兄弟スタッフ
兄・宗治コーチは故郷である宮崎県の佐土原高を卒業後、2008年に光シーガルズへ入部した。新日本製鐵光が1994年限りで活動を休止し、その後継のクラブチームとして活動していた時期だ。2017年まで選手としてプレーし、翌年からコーチ兼任のマネージャーに就く。そして、会社登録復帰に向けても尽力し、2019年に実現させた。現在の役割は「8対2くらいで、マネージャー業をしています」と、慌ただしい日々を送る。選手は協力企業を含めた15社で勤務し、野球に取り組む時間は年を追うごとに増えてきた。「企業チームとして野球部を支えてもらえる環境が整ってきた中、その体制を磐石なものにして、次の世代へつなげていけるよう注力しています」と話す。
一方、弟の拓馬トレーナーは、大垣日大高を卒業後、JR東日本へ入社した。3年間プレーし、2014年にドラフト4位で中日ドラゴンズへ入団。3年目には一軍のマウンドに立ち、2020年までプレーした。プロ生活ではトレーナーの存在に救われたこともあり、現役引退後は柔道整復師の国家資格取得を目指して東海医療科学専門学校への入学を決意。宗治コーチ曰く「子供の頃は勉強が好きではなかったのに」、新たな道を目指して努力を重ねる。卒業を1年後に控えた昨年2月、「練習を見に行ってもいいかな」と久しぶりに兄へ連絡し、名古屋から山口まで足を運んだ。
兄はチーム全体を見渡し、弟はトレーナーに徹する
宗治コーチは、「同じチームにいるのは、まだ少し違和感があります」と照れ臭そうに笑う。それに対して、「僕は新人で、兄は上司のような存在。仕事中は敬語も使います。兄弟だからと言って、やり辛さはないですよ」とは、拓馬トレーナー。「私が社会人へ、弟が高校へ入学する同じタイミングで実家を離れたので、中学3年生の拓馬という感覚も残っています。お互い野球に携わりながらも、別々の道を歩んできました。その間、色々な経験を重ねてきたのでしょう。成長を感じます」と話す表情は、コーチではなく“兄”そのものだ。自由な発想で、存分に力を発揮してもらいたいと期待を寄せる。そして、選手のよき相談相手にもなってほしいと、コーチとして願っている。
【取材・文=古江美奈子】
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