【連載】早大『令和5年度卒業記念特集』 深田雄智/レスリング
考
格闘技を見ることが好きだった両親の影響と、古代オリンピックから続くという伝統に引かれ、4歳からレスリングを始めた深田。着々と実力を付け、中学時代に全国3位になると、高校は強豪である日体大柏高に進学した。大学は「早稲田しかない」と勉強に励み、自己推薦入試で早大に合格。レスリング部の同期には、同じ高校出身の山倉孝介(スポ=千葉・日体大柏)と片岡梨乃(社=千葉・日体大柏)をはじめ、トップアスリート選抜入試で入部した藤田颯(スポ=埼玉・花咲徳栄)など世代を代表する選手が揃っており、「自分が一番頑張らないといけない」と深田は感じていた。
2年時には、春に行われる予定だったJOCジュニアオリンピックカップと東日本学生リーグ戦が中止に。ケガも重なったことで深田は目標を見失いかけた。マットに上がれない期間に何をするか。深田は体づくりに取り組み、階級を2つ上げて復帰戦となるインカレに出場。インカレ王者に輝くと、その後の全日本大学選手権では幼い頃からのライバル・佐藤匡記(山梨学院大)を倒して3位に入るなど、大きく飛躍を遂げた。
2年間の結果を受け、自分の中では強くなっているという感覚で臨んだ3年目。しかし、監督の交代やメンタル面などが原因で、結果が振るわなかった。「このままではまずい」と感じた深田は、大学日本一のチームである日体大に出稽古に行くことを決意。その結果、全日本選抜選手権で3位入賞、U23世界選手権出場など、再起の兆しを見せた。
しかし、主将という重圧が深田を苦しめた。当初は「結果を出せるキャプテン」を目指していたが、成績が思うように付いてこなかったのだ。同期が日本一や学生王者に輝く一方で、トーナメントの序盤で姿を消すことが続いてしまった。自分の結果が芳しくなくても、主将としてできることは何かを考えた深田は、仲間の試合のセコンドを積極的に務めるようにした。他の大学、チームであれば監督やコーチがセコンドに付いてアドバイスを送ることが多いが、今年度の早大の場合は深田が務めることが多かった。もともと試合の分析力には自信があり、それを還元する方法を模索した末に導き出した解である。「自分の結果がだめでも、他のみんなが自分を頼ってくれて結果を出してくれたのはキャプテン冥利に尽きる」と充実感を漂わせた。
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