【連載】早大『令和5年度卒業記念特集』 星川堅信/男子バスケットボール

チーム・協会
【早稲田スポーツ新聞会】記事 権藤彩乃、写真 落合俊

一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ

 屈指のスコアラーとして、チームをけん引してきた星川堅信(スポ4=京都・洛南)。スター選手として順風満帆なバスケ人生を歩んできたが、今年度は関東大学リーグ戦(リーグ戦)での連敗、そして無念の2部降格と、苦杯をなめた。さまざまな苦悩の中で感じたのは、「一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ」。今年1月、越谷アルファーズでプロデビューを果たした星川にとって、この1年の経験は大きな意味を持っていた。

京都産業大戦でペネトレイトする星川 【早稲田スポーツ新聞会】

 小学生の頃、父もバスケ経験者である星川は、ミニバスチームの誘いを受けてバスケを始めた。その後、宇都宮の強豪校・鬼怒中へ進学。中学3年時には全国大会へ出場し、決勝トーナメント1回戦で29得点の活躍を見せた。

 スコアラーとしての才能を開花させた星川は、Bリーガーを多数輩出している名門・洛南高へ。星川は高校時代を「大学よりもバスケの毎日だった」と振り返る。高校3年時には2年ぶりのウィンターカップに出場し、エースとしてその名を全国に知らしめた。高校入学時にはスラムダンク奨学金でアメリカに渡ることも考えていたというが、最終的に日本の大学へ進むことを決意。早くから試合の経験を積むことができる少数精鋭の早稲田大学を選んだ。

 「1年生の時は悩んでいた」という星川。高校まで何でもこなすオールラウンダーと言われていたが、レベルの高い大学において突出した武器がないことに悩んでいた。しかし、試合で経験を積み、成功体験を重ねるにつれてその悩みは解消されたという。オールラウンダーとして大学でも通用する選手だという自信をつけていった。

 そんな星川が壁にぶつかったのは、ラストイヤーでのリーグ戦。常にコートに立つ上級生は星川のみ。1・2年生中心のチームで約3カ月間のリーグ戦を勝ち抜くことは容易ではなかった。「リーグはしんどかったかな。健康じゃなかった。心も体も。」なかなか勝ち切れない状況で、体力だけでなく精神も疲弊していた。関東2部への自動降格が決定し、星川は次のステージへと気持ちを切り替えようとしていたが、他大学による入れ替え戦の結果により全日本大学選手権(インカレ)の出場が決定。インカレといえば4年生の最後の晴れ舞台だが、星川は「インカレが決まった時は正直嬉しくなかった」という。2部降格が決まり、そのまま引退の可能性もあった中、他力本願の出場権を純粋に喜ぶことはできなかった。

 何を目的にインカレのコートに立つのか。モチベーションはチームメイト、そして応援してくれる人たちの存在だった。インカレは「自分だけのモチベーションでは臨めなかった大会」だったという。まだ一緒に戦いたいと言ってくれる仲間、そして応援し続けてくれた人たちへ頑張っている姿を見せて引退したい。その一心だった。インカレでは星川の活躍で予選リーグを全勝し、続く関西2位・京都産業大との接戦を制した。東海大撃破という目標には届かなかったが、仲間とともに勝ち上がる喜びを実感した大会だった。

京都産業大戦での星川 【早稲田スポーツ新聞会】

 大学バスケで学んだことは「一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ」だと言う星川。それはプロの世界に飛び込んだ今の目標にも通じている。「今の目標は毎日納得できるだけの努力をすること。そして対価を払われるだけの価値がある選手になること。」準備を怠らず、高いパフォーマンスを発揮することで、応援してくれるファンに還元する。それが今の志だ。支えてくれる人たちへの感謝を胸に、星川は新たな道を歩み始めている。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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