【連載】早大『令和5年度卒業記念特集』 星川堅信/男子バスケットボール
一緒に戦ってくれる人たちのありがたみ
京都産業大戦でペネトレイトする星川 【早稲田スポーツ新聞会】
スコアラーとしての才能を開花させた星川は、Bリーガーを多数輩出している名門・洛南高へ。星川は高校時代を「大学よりもバスケの毎日だった」と振り返る。高校3年時には2年ぶりのウィンターカップに出場し、エースとしてその名を全国に知らしめた。高校入学時にはスラムダンク奨学金でアメリカに渡ることも考えていたというが、最終的に日本の大学へ進むことを決意。早くから試合の経験を積むことができる少数精鋭の早稲田大学を選んだ。
「1年生の時は悩んでいた」という星川。高校まで何でもこなすオールラウンダーと言われていたが、レベルの高い大学において突出した武器がないことに悩んでいた。しかし、試合で経験を積み、成功体験を重ねるにつれてその悩みは解消されたという。オールラウンダーとして大学でも通用する選手だという自信をつけていった。
そんな星川が壁にぶつかったのは、ラストイヤーでのリーグ戦。常にコートに立つ上級生は星川のみ。1・2年生中心のチームで約3カ月間のリーグ戦を勝ち抜くことは容易ではなかった。「リーグはしんどかったかな。健康じゃなかった。心も体も。」なかなか勝ち切れない状況で、体力だけでなく精神も疲弊していた。関東2部への自動降格が決定し、星川は次のステージへと気持ちを切り替えようとしていたが、他大学による入れ替え戦の結果により全日本大学選手権(インカレ)の出場が決定。インカレといえば4年生の最後の晴れ舞台だが、星川は「インカレが決まった時は正直嬉しくなかった」という。2部降格が決まり、そのまま引退の可能性もあった中、他力本願の出場権を純粋に喜ぶことはできなかった。
何を目的にインカレのコートに立つのか。モチベーションはチームメイト、そして応援してくれる人たちの存在だった。インカレは「自分だけのモチベーションでは臨めなかった大会」だったという。まだ一緒に戦いたいと言ってくれる仲間、そして応援し続けてくれた人たちへ頑張っている姿を見せて引退したい。その一心だった。インカレでは星川の活躍で予選リーグを全勝し、続く関西2位・京都産業大との接戦を制した。東海大撃破という目標には届かなかったが、仲間とともに勝ち上がる喜びを実感した大会だった。
京都産業大戦での星川 【早稲田スポーツ新聞会】
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