日本で大輪の桜を咲かせたリーチマイケル選手の軌跡とアジアラグビーにかける想い
【photo by Shugo Takemi】
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日本人学生の上手さに驚き、興味を持った少年時代
「すごく良いスタートになりましたね。3試合とも強い相手に勝ったので、自信がついてきています」
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今や“日本ラグビー界の顔”にまでなったリーチ選手が留学生として来日したのは15歳の時、今からちょうど20年前のことだった。ニュージーランド出身の彼にとってラグビーは国技。そして、同国代表のオールブラックスは5歳で競技を始めた時からの憧れ。それがなぜ、ラグビー“弱小国”だった遠い日本に行くことを決めたのか。
「中学生の時に日本の大学がニュージーランドに遠征に来ていて、自分は試合のボールボーイをやっていたんです。また、日本の留学生が僕の家でホームステイしていたこともあって、それで仲良くなったりもしました」
当時は日本が真剣にラグビーに取り組んでいるイメージはもっておらず、「テレビゲームで日本人選手を覚えた」程度。だが、留学や遠征でやってきた日本人学生の上手さにリーチ少年は驚いた。
「ニュージーランドに来る日本の学生はみんなすごく上手だった。それでちょっと日本に興味がわいて、いつか行きたいなと思っていたんです。そうしたら、ちょうど留学生が来ていた札幌山の手高校から『日本に留学したい子はいないか』という話があって、すぐに僕が手を挙げました。違う国に行ってみたい、ただそれだけ。このチャンスはもう二度と来ないと思ったから、そのチャンスをつかみました」
父、母の異なる文化の中で学んだ柔軟性
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季節によって複数の異なるスポーツをする海外とは違い、日本の学生は1つの競技を通年で取り組むのが一般的。時にはこれが批判されることもあり、リーチ選手も「いろんなスポーツができたら面白いと思う」と語る。だが一方で、「1つの競技を1年中やる。その日本のスタイルが自分には合っています」と、日本の学生スポーツのスタイルがむしろ自身にとっては大きなプラスになったことを明かした。
また、日本の高校、大学スポーツにある特有のものといえば、先輩・後輩の厳しい上下関係。これもしばしば批判の対象になり、日本とニュージーランドにおけるスポーツ文化の違いの1つにリーチ選手が挙げた点でもある。留学生にとっては最も面食らう“システム”かもしれない。ところが、リーチ選手自身に戸惑いはまったくなかったという。
「先輩の洗濯物を洗うなんてニュージーランドでは考えられないと思います。でも、日本に行く前にお父さんから言われたことは『日本人のすることをマネしなさい』。だから、部室の掃除、洗濯、グラウンド整備、全部やりました。僕は留学生だからと気を遣われるのが好きじゃない。普通に接してほしかったし、気を遣われると仲間に入れない。日本人と同じように洗濯や掃除をすることで周りからリスペクトされるようにもなりました。そうした上下関係から学ぶチームプレーや絆もあると思う。これは日本の文化。変える必要はないと思います」
父からの言いつけをただ守っただけではない。リーチ選手には他国特有の文化をすんなりと受け入れられる柔軟性が備わっていた。それは自身が育った家庭環境も大きかったと振り返る。父はニュージーランド人で、母はフィジー人。それぞれ異なる文化、習慣を背景に持つ両親だったからこそ、リーチ選手独特の人格と柔軟性が形成されていった。
「お父さんとお母さんは文化が全く違う2人で、いろいろな文化、考えが入り混じった家庭。その中にずっと僕はいました。どっちに転んだらいいか分からなくなる時もあって(笑)、フィジーに行った時は外国人扱いですし、ニュージーランドにいる時も日本にいる時もちょっと何か違う。僕は面白い感覚を持っているかもしれないですね。だから、結構柔軟性があって、どこの国に行っても馴染めると思います。日本だけじゃなくてどこの国でもやっていける自信があります」
お互いを理解して、チームを回していく
ラグビーのナショナルチームにおいては、国際統括団体であるワールドラグビーが規定する「国の代表チームでプレーする資格」の中に「国籍」についての条件はない。以下に挙げた通り、その国で一定期間居住しプレーし続けていれば、国籍に縛られることなく外国籍の選手でもナショナルチームのメンバーに加わることができる。国籍主義ではなく、所属している協会主義。それが、他のスポーツとは大きく異なる特徴だ。リーチ選手は2013年に日本国籍を取得しているが、それまでは当時の規定だった3年間継続して日本で居住しているという条件をクリアしたことで日本代表に選ばれている。
(a)その国・地域で出生している、または
(b)両親、祖父母の1人がその国・地域で出生している、または、
(c)その国・地域の代表としてプレーする直前に60ヶ月間継続して当該国・地域を居住地としている、または、
(d)その国・地域での累積10年間の居住を完了している
つまり、日本代表も含めてラグビーのナショナルチームは様々なルーツ、バックグラウンド、国籍を持った選手が混在するチームとなる。だからこそ、ニュージーランド、フィジー、そして日本と、それぞれが違う多様な文化の中で育ち、生きてきたリーチ選手はチームをまとめるキャプテンとしても適任だった。
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リーチ選手の考え方は、互いの価値観を尊重し、理解し、認め合うこれからの社会に向けてもまさに通じるところでもある。
「選手だけでなく、コーチでも『なんで?』となってストレスが溜まる人もいる。それはお互いを理解していないから。これが結構大変で難しい(苦笑)。でも、ラグビー代表は(多様性社会の)良いシンボルかなと思います。いろんな人がいて、同じ目標に向かっていくから」
アジアの子どもたちが日本でプレーできる環境を作りたい
「僕は日本のリーグを世界一のリーグにしたい。今、リーグワンが注目を集めていて世界のスーパースターが日本でプレーしています。でも、それだけじゃなくてアジア全体も巻き込んでいきたい。アジアのマーケットは広くて選手の可能性は絶対にある。日本だけが強くなるんじゃなくて、選手、コーチをアジアから日本に連れてきて合宿、交流、プレーすれば各国代表が強くなってアジアのスターも出てくる。そうすれば世界一のリーグになるし、自然と日本代表も強くなります。そういう大きなビジョンがあります」
数多くの海外トップ選手がリーグワンでプレーすることは日本ラグビー界にとって喜ばしいことだ。しかしながら、一方で前身のトップリーグ時代にはあったアジア枠(外国人枠とは別に設けられたアジア圏の国籍を持つ選手1名の出場権)が撤廃されたことで、韓国、香港、タイ、フィリピンなどの選手がリーグワンでプレーできる機会が減ってしまった。リーチ選手はこのことを危惧している。
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アジアの子どもたちに夢を――そうした思いからリーチ選手がすでに実行しているプロジェクトがある。それがアジア圏からラグビー留学生を招き、日本で夢を叶える手助けをすること。第1号として白羽の矢を立てたのが現在、国士舘大学でプレーするモンゴル人のダバジャブ・ノロブサマブー選手、通称ノロブくんだ。2019年にリーチ選手自らが現地で開催したセレクションで“発掘”し、自分を育ててくれた恩師がいる母校・札幌山の手高校に推薦。ノロブくんはそこでリーチ選手と同じように汗を流し、高校日本代表候補にも選ばれた。
アジア圏の選手たちが日本でプレーできる環境を作り、そして自分と同じように日本で夢を叶える子どもたちを育成する。リーチ選手が心に抱くこれからの目標はまだまだ始まったばかりだ。
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幼いころから2つの文化が入り混じった家庭の中で育ち、さらにもう1つ文化が異なる日本でも柔軟に根付いて、大輪の桜を咲かせた。そんなリーチ選手だからこそ描けるアジアラグビー界の未来がある。「やりたいことはいっぱいあります」。有言実行のトライに向けて、リーチ選手は走り続ける。
text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
edited by Adventurous
photo by Shugo Takemi
※本記事はパラサポWEBに2024年1月に掲載されたものです。
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