【箱根駅伝トリビア】東大の出場は?戦時中も開催?100回を簡単年表でみる
※2023年12月に、笹川スポーツ財団・公式ウェブサイトに掲載されたコラムの一部内容です。
年表で見る箱根駅伝 【写真:Adobe Stock】
第1回大会から戦時中
年表でみる箱根駅伝の歴史(第1回大会から戦時中) 【作成:笹川スポーツ財団】
第二次世界大戦が激化し、1941年、箱根駅伝は初の中止となった。しかし情熱は消えず、明治神宮―青梅熊野神社往復駅伝(8区間)が1月12日と11月30日に実施されるも、回数には数えられなかった。戦時中は、1942、44、45年、戦後1946年は開催されていないが、1943年の戦時中、スタート・ゴールは靖国神社、折り返し地点は箱根神社に設け「靖国神社-箱根神社間往復関東学生鍛練継走大会」を開催。第22回箱根駅伝として数えられる。
戦後から昭和、平成、そして令和
年表でみる箱根駅伝の歴史(戦後から昭和、平成、令和) 【作成:笹川スポーツ財団】
1987年・第63回大会で日本テレビが生中継を開始する。往路は7時55分-10時25分、12時-13時55分。復路は7時55分-9時25分、12時-13時55分という形で、1989年に完全生中継を実現した。昭和64年、平成に入る直前に箱根駅伝は大きな飛躍となる技術革新の波に乗った。
平成に入ると、1991年・第67回大会の大東文化大学が初めて大学駅伝三冠を達成する。1996年・第72回大会では中央大学が最多となる14回目の優勝を果たす。1999年・第75回大会で、最終10区のコースが日本橋経由に変更され、現在の光景となった。
2000年代に入ると01年から09年まで駒澤大学が平成初の4連覇を果たすなど、優勝は6回。強さを見せつけた。2003年・第79大会では復路視聴率が31.5%と、初めて30%を超える。2009年・第85回大会、東洋大学が67回目の出場で悲願の初優勝。翌年に連覇を達成すると、2012年・第88回大会、2014年・第90回大会も優勝、2019年まで3位以内と安定した強さが際立った。
東洋大学が初優勝を飾った2009年、青山学院大学が史上最長となる33大会ぶりの復活出場。その後、青山学院大学は2015年~2018まで4連覇。2016年・第92回大会では39年ぶりに1区から10区まで1位の完全優勝。平成は駒澤時代から東洋時代、青山学院時代となり、令和では群雄割拠となっている。2020年・第96回大会で、箱根駅伝は創設100年を迎え、翌第97回大会、復路で過去最高の平均視聴率33.7%を記録した。100回大会、駒澤大学の史上初・2年連続大学駅伝三冠の偉業が注目される。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ