ロッテ 吉井監督 「多少音が外れていても情熱をこめて勢いのある演奏の方が聞いている相手の心に響くことがある。それはピッチングも一緒」。悩める左腕エースに送った言葉
千葉ロッテマリーンズ 吉井理人監督 【千葉ロッテマリーンズ提供】
マリーンズで2023シーズン開幕投手を務めるなど左のエースと言われる小島和哉投手が強く印象に残っているゲームがある。しかし、それはシーズン143試合目のラストゲーム、勝てば2位。負ければ4位という勝ち負けで天国と地獄の明暗が分かれる大一番となった10月10日のイーグルス戦(楽天モバイル)の先発登板ではない。9月12日のイーグルス戦(ZOZOマリンスタジアム)。小島には勝ち負けがつかず6回を投げて3失点でマウンドを降りたゲームだ。
開幕から好調に首位戦線を戦っていたチームは8月に負け越すと9月もこの試合まで2勝6敗と低空飛行を続けていた。流れを変えて欲しいと吉井理人監督が期待をこめて送り込んだ小島はしかし、初回からピンチを背負うなどピリッとしない投球をつづけた。初回に先制するも三回に追いつかれ、六回に2点を失い、勝ち越された。6回を投げて106球、3失点。先発としての役割は果たしてはいるが、「小島はもっと出来る投手。こんなものではない」と思っている指揮官には大いに不満だった。試合はその後、打線が奮起し、勝利した。が、翌日の試合前、2人の話し合いの場を持った。その時の吉井監督との会話を小島は忘れない。
「音楽に例えるなら楽譜を奇麗に弾いているだけの投球に感じる」
吉井監督は悩める小島にそう告げた。そして続けた。
「音楽において楽譜通りに弾いているより時には、多少音が外れていても情熱をこめて勢いのある演奏の方が聞いている相手の心に響くことがある。それはピッチングも一緒だではないかな」
本格的に楽器を奏でる経験がない小島だったが、この比喩はスッと心の奥深くまで入り込んでいった。どうしても完璧を目指していた。初回からストライクゾーンぎりぎりを狙うあまり自分を苦しめる投球が目立った。厳しいゾーンを狙えば一歩外れるとボールと判定されるリスクを伴う。おのずと球数は増えていく。時には大胆に投げることも大切。指揮官の言葉がその後の小島のピッチングを変えていく。
打てるものなら打ってみろ。ストライクゾーンを広く使い、投げ込んでいく投球に打者はまるで気後れしているかのようなスイングで凡打を重ねていった。10勝目を挙げたシーズンラストゲームとなった10月10日の仙台の夜はまさにそうだった、気迫あふれる投球でテンポよくどんどん投げ込み、チームを勝利に導いた。
後日、小島は契約更改会見でこのエピソードをメディアに披露する。「本当はいつまでも自分の胸に秘めておこうと思っていたんですけど」と照れ笑いを浮かべた。この話を聞いた吉井監督は笑った。小島は「ピアノを弾く時」とメディアに説明していたが、「ワシはギターと言ったつもりやった。ピアノはさすが音が外れると厳しい。ギターのイメージやった。伝わりにくかったかなあ」と指揮官は嬉しそうに笑いながら頭をかいた。
「もっと大胆な投手になって欲しいというのはずっと思っていたこと。慎重になりすぎてマウンドでの雰囲気まで窮屈になって、それが野手にも伝播していた。球数も増えるし守っている野手もキツイ。もっと大胆にズドドドーンと投げて欲しい。あとはボールに聞いてくれと言うような勇気。なにかいい例えはないかなあと思っていて考えていた時に中高生の時に聞いたり弾いていたギターのことを思い出した」と吉井監督。
指揮官は野球少年ではあったが、音楽もこよなく愛していた。フォークソングが好きだった。レコードを聞いたり、ラジオを聞いたり。あまりにも好きで和歌山に住んでいた中学生時代、ミカン畑の収穫を手伝うバイトで稼いだお金でフォークギターを買った。1万円札を握りしめてお店に入り、名のあるブランドではなく日本製の聞いたことがないメーカーのギターを手に入れた。それを毎日のように弾いた。宝物だった。
高校時代には部活の合間に軽音楽部に借りてエレキギターを弾かせてもらった。色々な人に聞いてもらうのが好きだった。その時、「ちょっと音が半音 外れていても情熱をもって勢いで引けば、相手に伝わることがわかった。それは当時の自分にとってはロックのギタリストのイメージ。音がずれても勢いのある音の方が聞いている方はノッってくる」。思春期の思い出をプロ野球の監督となった58歳の時に思い返し、悩める若き左腕に、ピッチングの例えとしてぶつけた。情熱をもって伝えた。ピアノとギターの誤解はあったものの小島にとっては印象深く、心に残る話となった。
小島はその後、勝てばファイナル進出となるZOZOマリンスタジアムでのクライマックスシリーズファーストステージ第3戦にも先発。絶対に勝つという強い想いのこもった情熱の投球を披露。6回3分の1を投げて無失点。勝ち投手にこそならなかったが、試合の流れを作り、最後は劇的な幕切れが生まれた。2023年は背番号「14」にとって、指揮官の言葉に支えられ、成長することが出来た一年だった。
千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章
開幕から好調に首位戦線を戦っていたチームは8月に負け越すと9月もこの試合まで2勝6敗と低空飛行を続けていた。流れを変えて欲しいと吉井理人監督が期待をこめて送り込んだ小島はしかし、初回からピンチを背負うなどピリッとしない投球をつづけた。初回に先制するも三回に追いつかれ、六回に2点を失い、勝ち越された。6回を投げて106球、3失点。先発としての役割は果たしてはいるが、「小島はもっと出来る投手。こんなものではない」と思っている指揮官には大いに不満だった。試合はその後、打線が奮起し、勝利した。が、翌日の試合前、2人の話し合いの場を持った。その時の吉井監督との会話を小島は忘れない。
「音楽に例えるなら楽譜を奇麗に弾いているだけの投球に感じる」
吉井監督は悩める小島にそう告げた。そして続けた。
「音楽において楽譜通りに弾いているより時には、多少音が外れていても情熱をこめて勢いのある演奏の方が聞いている相手の心に響くことがある。それはピッチングも一緒だではないかな」
本格的に楽器を奏でる経験がない小島だったが、この比喩はスッと心の奥深くまで入り込んでいった。どうしても完璧を目指していた。初回からストライクゾーンぎりぎりを狙うあまり自分を苦しめる投球が目立った。厳しいゾーンを狙えば一歩外れるとボールと判定されるリスクを伴う。おのずと球数は増えていく。時には大胆に投げることも大切。指揮官の言葉がその後の小島のピッチングを変えていく。
打てるものなら打ってみろ。ストライクゾーンを広く使い、投げ込んでいく投球に打者はまるで気後れしているかのようなスイングで凡打を重ねていった。10勝目を挙げたシーズンラストゲームとなった10月10日の仙台の夜はまさにそうだった、気迫あふれる投球でテンポよくどんどん投げ込み、チームを勝利に導いた。
後日、小島は契約更改会見でこのエピソードをメディアに披露する。「本当はいつまでも自分の胸に秘めておこうと思っていたんですけど」と照れ笑いを浮かべた。この話を聞いた吉井監督は笑った。小島は「ピアノを弾く時」とメディアに説明していたが、「ワシはギターと言ったつもりやった。ピアノはさすが音が外れると厳しい。ギターのイメージやった。伝わりにくかったかなあ」と指揮官は嬉しそうに笑いながら頭をかいた。
「もっと大胆な投手になって欲しいというのはずっと思っていたこと。慎重になりすぎてマウンドでの雰囲気まで窮屈になって、それが野手にも伝播していた。球数も増えるし守っている野手もキツイ。もっと大胆にズドドドーンと投げて欲しい。あとはボールに聞いてくれと言うような勇気。なにかいい例えはないかなあと思っていて考えていた時に中高生の時に聞いたり弾いていたギターのことを思い出した」と吉井監督。
指揮官は野球少年ではあったが、音楽もこよなく愛していた。フォークソングが好きだった。レコードを聞いたり、ラジオを聞いたり。あまりにも好きで和歌山に住んでいた中学生時代、ミカン畑の収穫を手伝うバイトで稼いだお金でフォークギターを買った。1万円札を握りしめてお店に入り、名のあるブランドではなく日本製の聞いたことがないメーカーのギターを手に入れた。それを毎日のように弾いた。宝物だった。
高校時代には部活の合間に軽音楽部に借りてエレキギターを弾かせてもらった。色々な人に聞いてもらうのが好きだった。その時、「ちょっと音が半音 外れていても情熱をもって勢いで引けば、相手に伝わることがわかった。それは当時の自分にとってはロックのギタリストのイメージ。音がずれても勢いのある音の方が聞いている方はノッってくる」。思春期の思い出をプロ野球の監督となった58歳の時に思い返し、悩める若き左腕に、ピッチングの例えとしてぶつけた。情熱をもって伝えた。ピアノとギターの誤解はあったものの小島にとっては印象深く、心に残る話となった。
小島はその後、勝てばファイナル進出となるZOZOマリンスタジアムでのクライマックスシリーズファーストステージ第3戦にも先発。絶対に勝つという強い想いのこもった情熱の投球を披露。6回3分の1を投げて無失点。勝ち投手にこそならなかったが、試合の流れを作り、最後は劇的な幕切れが生まれた。2023年は背番号「14」にとって、指揮官の言葉に支えられ、成長することが出来た一年だった。
千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章
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