【MGC】女子レポート&コメント:鈴木優花が自己ベストで初の日本代表への切符を掴む!一山は積極的なレースでオリンピック2大会連続マラソン日本代表に内定!
【アフロスポーツ】
レースは、フルマラソンとしては初めて東京・国立競技場が発着点となり、札幌開催に伴い幻となった東京オリンピックのコースを一部使用しつつ、近年の世界大会で多くみられる周回路や複数の折返点が盛り込まれた新たなコースで行われました。2022年1月からスタートしたJMCシリーズで進出条件を満たした29名のファイナリストのうち24名が出場。上位2選手に与えられるパリオリンピック代表の座を懸けて、“一発勝負”の戦いに挑みました。
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先頭グループは、その後も前田穂選手がトップで集団を支配。これにぴたりとついた安藤選手、細田選手と、前田穂選手よりも道路の内側でレースを進める岩出選手、岩出選手の少し後方に位置した一山選手、一山選手と安藤選手の後方についた鈴木亜選手といった面々が上位を占める隊列を保ったまま、2分23~24秒前後のペースを維持していきます。集団の後方で歩を進めていた前田彩里選手(ダイハツ)が9kmを過ぎたころから少しずつ後れだし、先頭のスプリットタイムが33分38秒(この間の5kmは16分58秒、以下同じ)だった10kmは、14選手が一団となって走り抜けていきました。先頭集団は、10~15kmは17分04秒にペースを落としたものの隊列を大きく変えることなく15kmを51分02秒で通過。一方で、最初は第2グループでレースを進めていた松下菜摘・谷本観月(以上、天満屋)、川内理江(大塚製薬)の3選手が、この5kmを16分52~55秒に引き上げて先頭集団との差を詰め、天満屋勢は51分12~13秒で、川内選手は51分16秒で続きました。
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【女子 パリ五輪日本代表内定選手コメント】
優勝 2時間24分09秒
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レースでは、とにかく自分のリズムで行けば、行けるという自信があった。(序盤は、先頭からは離れていたが)そこはへんについていかずに、自分のリズムで最後まで押していくという意識で走っていた。すごくリラックスして走ることができていたので、最後は行ける自信があった。(選手が絞られてきた段階でも)無理に(ペースを)上げすぎてもピタッとつかれてしまう気がしていたので、そこの判断を間違えないことだけを常に考えて、同じリズムで押していった。だから(終盤でも)前が落ちるのを待っていたというよりは、常に様子を伺っていたような感じ。追いついたところで、また(相手に)ペースを上げられることも想定していた。
<内定する2位に浮上してからも、先頭の一山選手を追ったときの心境を問われて> 2番以内に入ればオリンピックには決まるけれど、世界で戦うためには、日本国内のなかでも1番をとるところからしっかりと見据えていかなければいけないなと思っていたので、最後の最後まで出しきるということを考えて走った。
<終盤の失速に課題を残した過去2回とは異なるレースができた要因を問われて> ここまでの練習のなかで、30km走、40km走は、何回かしっかりと積み重ねることができていたが、練習の期間はとにかく余裕がなくて、常に息が上がりながらの状態で走っていた。しかし、今日はそれがなくて、30km以降も「ここからだぞ」という余裕が持てていた。そこが後半の力強い走りにつながったのではないかと思う。また、頭のなかで何も考えないで、とにかく「一定のリズムで」というところを考えて走っていた。それも後半の勢いにつながったのではないかと思っている。
(2021年に行われた)東京オリンピックのときは、(大東文化大4年生だった)その時点はマラソンには取り組んでいなかったが、同級生の田中希実ちゃん(1500m入賞)や1歳下の廣中璃梨佳ちゃん(10000m入賞)など、同年代の選手がたくさん活躍しているのを見て、自分は世界を目指すという立場として、まだまだ低い位置にいるなということを痛感するとともに、「辿り着けるのかな」というネガティブな思いがすごく出てきた記憶が残っている。
変わることができたのは、そのネガティブ思考から脱却してから。(2022年度から第一生命グループ所属となって)山下佐知子監督のマラソンの練習にも、本当の本当の意味で勝負するための練習を積み重ねてきた。(この大会に向けては)2カ月間、アメリカで合宿を行ったが、最初は練習パートナーの後ろについて、とにかく「やるしかない」と、ひたすら前を追って走っていた。ただ、その無心になって走ることで、こんなにも練習が積み上げられるんだということを実感した。「積み重ね」というところでは、今までのなかで一番頑張ることができたと思っている。また、一番変わったのは思考回路。大学のころから、駅伝とかでは前を追って「全員抜いてやる」くらいので気持ちで毎回最初からガツガツ行って走っていたが、マラソンというのは全然違う競技だなと思った。監督やスタッフの皆さんから「冷静に行けよ」と、最初は本当に身を潜めるくらいのレース運びで進めることをご指導いただいたなかで、冷静さというところを気持ちの面で身につけることができた。そこが大きく変わったところかなと思う。
ただ、ここが本当にスタートラインに過ぎないと思っている。世界で戦うまでには、まだまだ差がある。これからまたしっかりと本格的な練習を積んで、オリンピックでは世界としっかり戦って入賞して、またさらにその次の(2025年東京)世界選手権や、その先へとずっと続いていくように頑張っていきたい。
2位 2時間24分43秒
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今日は、最後の最後まで(周りのペースに)合わせて走る展開を考えていたが、予定よりも早く前に出る形となった。それは、ちょっと自分のリズムで行きたいなと思ったから。すごく自信があったというわけではなかったが、「行ってみたい」という気持ちになったので前に出た。特に、ペース等は決めていなくて、時計も一切見ていなくて、自分のリズムで押していった。ラスト10kmくらいまでは、呼吸も上がらずに走れていたと思うが、(フィニッシュまでの)カウントダウンに入ってからは、1km、1km進むごとに、後ろとの差があまりないこともわかっていたので、ドキドキしながら走る形となった。
本当に苦しくなって、脚とかにも(ダメージが)来たのは残り4kmくらいから。太ももの後ろのあたりにだいぶ来ていたので、そこは本当に苦しかった。(2番手で走っていたラストは)3番目とはあまり差がないということは感じていたので、「ここで抜かれるわけにはいかない」と思って、もう必死で走った。
<東京オリンピックからの2年間についての問いに> この2年間は、去年もパッとした成績を出せなくて、(オレゴン)世界陸上も走れなかった(現地でコロナウイルス陽性の診断が出て欠場を余儀なくされた)こともあって、自分のしたい走りが全然できない1年だったし、今年に入ってからも東京マラソンでも思うような走りができなくて(2時間31分52秒、14位)、練習でも自分の走りに自信が持てない日々が続いていた。ここ2年ほど良いイメージがなかったので、今回のMGCでも、「本当に、パリ(オリンピック内定が)取れるのかな」という気持ちがあった。ここでパリの切符を取れたということは、一つ吹っ切れるきっかけになったのかなと思う。
今回は、(6位に終わって即時内定を決められなかった)4年前のMGCとは全然違うMGCとなった。今日、内定が決まって本当に嬉しい。東京(オリンピック)が終わってから、ずっとパリ(オリンピック)に行きたいと思ってやってきた。(パリでは)東京オリンピックのときよりも思いきった走りをして、8番(東京オリンピックでの順位)よりいい順位で走れるように頑張りたい。
文:児玉育美(JAAFメディアチーム)
写真:アフロスポーツ
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