湘南ベルマーレ連載 Jリーグ加盟30周年企画「共に歩んだ30年」【下】
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事実、歴史に刻まれる歓喜のその後も道のりは険しかった。
親会社を持たない市民クラブにあって、昇格したからといって予算規模がいきなりJ1の水準に追いつくべくもない。加えて相次ぐ負傷離脱もあり、1年で降格すると、翌2011年もJ2で厳しい戦いを強いられ、14位に沈んだ。
チームの苦境と重なるように、経営も危機に瀕した。悲願達成と前後して、勝利給の拡充やJ1昇格後の強化など資金面でベルマーレをバックアップしてくれていた主要スポンサーの銀行グループが突如、経営破綻してしまう。
時は2011年、さらに大地震が東日本を襲い、スポンサー活動どころではなくなった。資金繰りは行き詰まり、クラブは債務超過に陥った。
債務超過がもたらす社会的な意味の重さを眞壁は心得ていた。なにを差し置いてもベルマーレを潰してはならないと固く誓ってきたなかで、多くのひとたちの尽力のもとに守られてきたクラブの根幹を壊してしまったという自責の念に駆られ、以来眠れなくなった。目を閉じても、アルコールを煽っても、1時間と眠ることができない。
目の下にクマをつくり、プレッシャーに苛まれる日々のなかで、支えになったのがチームの戦いだった。とりわけ2012年の開幕戦は脳裏に深く刻まれている。
かたや、対戦相手の京都サンガF.C.は前年度の天皇杯で準優勝し、昇格の最有力候補と言われる強敵である。
当然のように京都有利の予想が大勢を占めるなかで、しかし新生ベルマーレは先制を許すも試合終了間際に逆転し、劇的勝利を手に入れた。
いずれはオサスナのように、ピッチのなかの半分以上がうちのアカデミーの子なんだと胸を張れるようになりたい――。かつてそう思い描いた未来像に沿ってクラブはたしかに歩を進め、リーグ屈指の強豪に勝利した。
そんな彼らの戦いを目にしていると、勝利給を遅滞なく払うにはどうすればいいんだというプレッシャーは消え、彼らのために俺はもっとやらなければいけないと、沸々と自信が湧いてくるのを眞壁は感じた。
不眠も自然となくなり、心身の回復とともに冷静な判断力も取り戻していく。曺のもとで躍動する若きチームに勇気をもらって眞壁は再生し、債務超過も1年で解消したのだった。
クラブ史の節目にして初タイトルを掲げたこの年、経営面でも大きな変化があった。フィットネスジム事業などを手がけるRIZAPグループの連結子会社となり、湘南ベルマーレとなって初めて責任企業を持つことになったのである。J1定着はもとより、その先の絵を描くためには、資本力のさらなる強化が欠かせない。後ろ盾を得ることは、眞壁が数年来あたためていた、クラブの未来に必要な道筋だった。
チームはいまももがきながら独自の色を育んでいる。ここからさらに積み上げ、いずれは優勝争いをするベルマーレをつくりたい。だが、それはクラブとしていま以上にパワーを持って臨まなければたどり着けない目標であることも分かっている。であれば、10年ないし20年先を見据えて取り組むことのできる次の世代に任せたほうがいい。
思えば、自身が湘南ベルマーレの代表取締役の任を授かったのは42歳のときだった。この世界の有りようはトップとしてやらなければ分からない。すなわち50歳でバトンを受け渡すのでは遅く、並走しながら40代のうちに経験させなければならないと眞壁はつねづね考えていた。果たして今年6月、元選手の坂本紘司は44歳で代表取締役社長に昇任した。
不思議な巡り合わせを感じる傍ら、世界との距離が近づいていることを思わずにはいられない。
実際、輝かしいキャリアを築いている生え抜きの先輩に続き、齊藤未月や鈴木冬一、田中聡のように、いまやベルマーレから直接欧州に渡る後進も出てきている。中田英寿、そして遠藤航と、日本代表でキャプテンを任される才能を複数輩出している事実もまた誇らしい。
J1に定着し、責任企業も得て、さらにベルマーレは昨年まで代表取締役社長を務めていた水谷尚人のもと、将来のリーグ制覇を見据えて「ターゲット35」を目標に掲げた。年間35億の予算規模でリーグチャンピオンになったサンフレッチェ広島や川崎フロンターレの例を踏まえ、2030年までに年間予算35億を目指す全社的な取り組みである。
年間予算が近年ようやく20億に届いたクラブにとって、容易な数字ではない。そこでカギを握るのがスタジアムだ。コロナ禍以前のJ1平均9億円の入場料収入に対し、ベルマーレのそれは約4億円にとどまる。レモンガススタジアム平塚の収容人数は約1万5千人と少なく、限られたキャパシティに加えて、1987年に開業した施設の老朽化は著しい。ユニバーサルデザインの概念もなく、さまざまな面で観客への配慮に乏しいと言わざるを得ない。
お世話になったこの街と、この街で暮らすひとたちのために、できることを最大限果たしたい。それを自身の最後の仕事にしたいと、眞壁潔は思っている。
【完】
文・隈元大吾
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