「F」rontale×「F」ormula。競技の垣根を超えたコラボはどうやって実現したのか【前編】

川崎フロンターレ
チーム・協会

7月8日横浜FC戦の選手入場後に記念品を受け取る両チームキャプテン 【©KAWASAKI FRONTALE】

7月8日の横浜FC戦のホームゲームで開催された「Fサーキット2023」は、大盛況のまま幕を閉じた。

9年ぶりの復活となったアジア最高峰のモータースポーツ「スーパーフォーミュラ」とのコラボイベントには、どんな思いがあったのか。川崎フロンターレ事業部の天野春果部長と、スーパーフォーミュラを運営する日本レースプロモーション(JRP)の上野禎久社長に、企画復活までの道のりと当日の舞台裏をたっぷりと語ってもらった。前編と後編でお伝えしていく。
—最初にお二人のつながりから聞かせてください。「Fサーキット」の始まりであるFormula NIPPONコラボイベントを行った2012年前後から関係性が始まったと聞いています。

天野「僕の方から説明すると、上野さんと僕を両方知ってる新聞記者の方がつないでくれたのが最初ですね。朝日新聞の松沢さんという記者なんだけど、フォーミュラーに知り合いがいるということで『絶対に気が合う人ですよ!』って言ってくれた」

上野「僕はその松沢さんから『Jリーグの川崎フロンターレに天野春果っていうすごく面白い男がいて、会見に出ない選手の首根っこを捕まえてバスから引きずり下ろした』みたいな伝説を聞かされて…」

天野「あははは」

上野「『それは面白いね!』と思って会った時に、ちょうど銭湯のコラボレーションをやっていた。フロンターレの『F』や風呂つながりで、いろんなところと関係性を作っていると話していたので、『世間でFと言ったらフォーミュラカーだよ』と自動車業界代表として僕が言ったんですよ。そこがスタートだった気がします」

天野「そうです、そうです。思い出しました!」

上野「フォーミュラカーっていうのが天野さんの琴線に触れたみたいで、『面白い!ぜひ走らせましょう!』って話になってその場で電話したんだよね」

天野「あー、覚えてます」

上野「この人、すごいスピードだなって。僕もいろんな業界の人と付き合ったんですけど、これほど反射的に物事が進むのはすごいなと思った。ただ当時の僕は鈴鹿サーキットにいて、自分が車を手配するとかそういう立場になかった。言ってみたもののどうしようかなって思っていました。そこでJRPの当時社長だった白井裕に相談をして 『こういう話があります。お客さんに見てもらうことはすごく価値があると思います』と提案をしたのが、このイベントの最初でした」

最初にフォーミュラカーが等々力を走った2012年 【©KAWASAKI FRONTALE】

—上野さんからすると、サッカークラブとコラボするのはどんな感覚だったんでしょうか。

上野「僕自身は中学、高校、大学とずっとサッカーやっていたので、サッカーにはすごく関心もありましたよ。ただ当時のモータースポーツはどちらかというとマニアックな世界。他のプロスポーツ興業にいろいろと学ぶとこがあるので、いろんな方々と交流を持つ機会を作ってたんです。当時は競馬だったりボクシングだったり野球ともいろいろとやりましたね。自分たちのビジネスに生かせるものがないかなって言ってたところに、天野さんみたいな特異な方がいらっしゃったんで(笑)、すごく刺激を受けましたよ」

天野「類は友を呼ぶじゃないけど、こういう出会いでどんどんつながるっていうことなんですよ」

—等々力でフォーミュラカーを走らせる。これまでのコラボの中でもかなり大変なイベントだったと思いますけど、当時の天野さんはどういう思いで企画を進めていったんですか。

天野「日本のスタジアムは陸上トラック兼用が多いですけど、サッカー専用よりも劣っていて『陸上トラックは邪魔』という認識をすごく言われてました。このトラックをうまく活用できないかなというのは考えていた時だったんですね。そこでフォーミュラカーを走らせることができたら、陸上トラックがあるからこそできる企画だと思っていました。ただ、これを走らせるってなると、実際にはすっごく大変だなって。ちなみに僕は他のプロジェクトも抱えてたんで、当時プロモーション部にいた恋塚唯に『よろしく!』って。だから大変だったのは恋ちゃんです(笑)」

上野「大変だったけど、すごく楽しそうだったよ、恋ちゃん(笑)」

天野「そうなんですよ。結局、やったことのないこと、大変なことにモチベーションが上がってしまうドM体質の僕と恋ちゃんが当時のプロモ部にはいたんで、それは大きかったです(笑)」

2014年には翌年の加入内定が発表された「車」屋紳太郎がチェッカーフラッグでフォーミュラカーをお出迎え 【©KAWASAKI FRONTALE】

—スタジアムの陸上トラックを走らせたいって聞いた時、上野さんはどんな感想を持たれたんですか。

上野「僕もやってないことをやって驚かせたいなと思ってました。僕たちモータースポーツの世界って非日常的な空間を提供している仕事なんですね。300キロで目の前を走らせて、聞いたことないようなエンジン音を聞かせる。それも見たことない形の車が走ってる。それはお客さんからにとっては非日常の空間なんですよ。それがサッカーグラウンドの周りを走るなんて、さらに非日常になる。そういう驚きを提供すれば、モータースポーツファンになっていただくきっかけになるという確信がありました。ただやるって決めたら、いろんなハードルがありましたね」

天野「ハードルしかなかったですよ!」

—その辺の大変さを語ってください(笑)。

上野「まず、お金の面でいうと、レーシングマシンを走らせるのは大変なんです。一台を走らせるのに数百万円のコストがかかることなので、そういった理解者、協力者を探す作業が大変でした。結局、トヨタもホンダも『これは価値があるね』と理解してくれて、メーカーもチームも理解してくれて、かなりのサポートしてもらって実現したっていうのがあります。それに、サッカー場の周りを走らせるってことが安全上の問題でできるのか。何も考えずにやろうぜって言ったところがあったので、決めてから『何を考えているんだよ』って叩かれましたね(笑)」

天野「本当にね… 上野さんみたいな人じゃないと、これはできないですよ。やっぱり難しいからやめるっていう発想の人の方が圧倒的に多いんです。僕の肌感覚だと85%ぐらいはそういう感じ。もちろん、これはリスクヘッジを考えると間違ってはいないんです。ただ残りの15%ぐらい濃い人がいる。さらにその中でも3%ぐらいで『やろうと決めてから、出てくるハードルを越えようぜ』っていう順番になる人がたまにいるんですね。上野さんはその3%の人で、『ついに来た!』っていう感じでした。フロンターもこういう人とつながりたいっていうのがあったので、すごく記憶にあります」

上野「3%というパーセンテージはわからないけど(笑)、僕たちプロモーターの仕事って、できない理由を探すといくらでも出てくるんですよ。『こんなことができるよね』とか『こういうところがこうなったらこうなるだろう』と、できる可能性を求める作業ってすごく楽しいじゃないですか。それも普段と違う環境でいろんな可能性を探らせる作業って、人を育てるんです。人材育成にもつながる」

開場前のスタジアムでは入念なリハーサルが行われた 【©KAWASAKI FRONTALE】

—なるほど。

上野「今回のイベントを通して、関わったみんなが変わったんですよ。あの歓声とファンの声を聞いて、終わった後はみんなが『楽しかった』って言ってくれました。中でも一番喜んだのがドライバーの関口雄飛なんです。今でこそ言えるけど、関口は午前中からイベントに呼んでいたので、『拘束時間が長いっす。JRPさんは人使いが荒いですね(笑)』と半分冗談で言ってたんです。でも『まあまあまあ。終わったら楽しくなるよ』って話をしていました。でも終わったら真っ先に自分のとこにきて、『次もやるんだったら、ぜひオファーお願いします』って(笑)」

天野「(笑)。こうやって達成した喜びっていうのは何事にも変えがたくて、自分自身もすごく成長できている部分があって、そこが大事ですよね。フォーミュラに関しては、今回もめちゃめちゃ大変だったんですけど、上野さんがね、そういう空気を出さないんです。前回だったら社長ではないし、広報っていう立場での交渉が色々とあっただろうけど、そういう大変さを全然出さない。今回だってものすごくハードルがあったんですよ。7月8日にやった翌週には富士スピードウェイが入っている。スケジュール的にもそうだし、あとはスポンサーを取ってくるとか予算的な部分とかでも。でも上野さんはそういうところを出さない人。僕はそういう姿勢から学ぶし、大変なことでも前向きにやっていてみんなを巻き込む… 自分自身もそうありたいなと思ってやってます」

上野「それ言うとね、僕はフロンターレさんとのコラボだから自信があったんです。手前ではいろんなネガティブなことがあったし、難しいだろうって言う人もいたけども、2万人を超えるサポーターの皆さんの大歓声を受けて、選手たちや我々スタッフが迎えられるシーンを作れれば、全てが○(マル)になる自信があったんです。実際、そうなったじゃないですか。やっぱり川崎フロンターレさんは、すごく素晴らしいサポーターを持って、自分たちのこのイベントを楽しもうっていうスタッフの思いもあって、必ず最後はみんなが納得して帰るなって自信があったんです」

サポーターの声援にこたえる関口雄飛ドライバー。リハーサルからの長丁場を“完走” 【©KAWASAKI FRONTALE】

—スタジアム周辺の公道を走らせるイベントなどもありましたが、試合当日の裏話的なものがあれば。

上野「アスファルトの上でやる作業に関しては全く心配してなかったんです。慣れてるので、できるんだろうなと思ってました。だから、安全上の問題だけですね。事故を起こさないようにしっかりやってねって」

天野「フロンターレサイドで行くと、全部恋塚がやってたんで僕は全く知識なかった。前例があるとはいえ、初めてという感覚で全てのことが新鮮でした。ただエンターテイメントを積み重ねてきてるから、川崎市だったり、スタジアムや公園を管理している川崎とどろきパークの皆さんの理解があるので、いろんなハードルがあったけど気持ちよくできましたよ。それに上野さんがこういう感じだからね、『それをやろう』、『これをやろう』も、どんどん『オッケー、オッケー』で」

上野「いやいや、気を付けろよとは結構言いましたよ(笑)。後で見たら割と攻めてたな、と(笑)」

サポーターの目の前を走るフォーミュラカー。安全対策についても綿密に打ち合わせを行った 【©KAWASAKI FRONTALE】

天野「VTRを見て焦ったことがあって。選手が練習する前に散水した水がバックスタンドのトラック上を濡らしていて、リハーサルの時と違う路面状態だったんですよ。リハーサルの時には散水してなかったから、スリップしていた!」

上野「滑ったと関口が言ってたよ」

天野「車体が揺れてるんですよ!」

上野「プロなので、そこはコントロールしてますよ。大丈夫です。安心してください」

天野「その中で、あの迫力のあるドライビングができるんだ。ただあれは後で聞いて、流石にゾッとしました。散水した水でトラックが濡れるっていうのは計算に入れてなかったんですよ」

上野「イベントはアクシデントも起きますから(笑)。これはマッチ(近藤真彦会長)が言ってた受け売りなんですけど、僕たちモータースポーツってコースがあってその先にセーフティーゾーンがあって、その先に金網があって、その先にスタンドがあるんですね。要は、あの距離であのマシーンを見れるって実はあの場所だけ。僕たちも見たことないの迫力があったんです」

天野「ケンゴ(中村憲剛FRO)が子供のように興奮してたからね。彼は僕の後ろにいたんだけど、現役時代は試合で見れなかったから、『すげえ!楽しい』とずっと言ってました(笑)。自分もあの日は興奮して寝れなかったもん。あの爆音がずっと頭の中に残って。なかなかないでしょ、この歳になって。試合も勝ったし、こうやって全部が揃うと『またやりたい!』と思うようになっちゃう(笑)」

上野「マッチも言ってたよね。『来年もやります』って」

天野「いや、これね。マッチさんに『また来年って言いましたよね?あれどういう意味ですか』って聞いたんですよ。マッチさんは『ノリ』って言ってました(笑)」

上野「俺も『言っちゃったよー』って思って聞いてました(笑)」

天野「別に深い意味のないノリ… 面白いなぁ。あの後、『天野さん、来年もやるんですよね』ってサポーターにめちゃくちゃ言われたからね(笑)」

上野「いやー、でもマッチなりのアイデアとかも計算もあると思うよ」

(取材・構成:いしかわごう)

後編に続く

始球式の後にサポーターの前で「また… 来年。」と話した近藤真彦会長。果たして… 【©KAWASAKI FRONTALE】

Fサーキット当日のプロモーション部を追った「1カメ」

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著者プロフィール

神奈川県川崎市をホームタウンとし、1997年にJリーグ加盟を目指してプロ化。J1での年間2位3回、カップ戦での準優勝5回など、あと一歩のところでタイトルを逃し続けてきたことから「シルバーコレクター」と呼ばれることもあったが、クラブ創設21年目となる2017年に明治安田生命J1リーグ初優勝を果たすと、2023年までに7つのタイトルを獲得。ピッチ外でのホームタウン活動にも力を入れており、Jリーグ観戦者調査では10年連続(2010-2019)で地域貢献度No.1の評価を受けている。

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