【ラグビー】立教大学ラグビー部創部100周年記念祝賀会
努力と汗の結晶。次の100年へー立教大ラグビー部創部100周年
祝賀会の冒頭、同部のOB・OGクラブの大原俊一会長はこう、あいさつした。
「この100年間、幾多のOG、OBによって、部の歴史は脈々と受け継がれて参りました。それは、その時代時代、ラグビー部に関わった人々の営々たる努力の集積であり、流した汗の結晶であると思います。(中略)。いま大切な事は、この歴史を次の100年に向けて継続し、伝統として発展させることであります」
◆国内7番目の創部。はじめに情熱ありき
ラグビーの起源は、ロンドン郊外のラグビー校でエリス少年がボールを持って走った1823年とされている。その100年後の1923(大正12)年秋、立大ラグビー部が誕生した。日本の大学ラグビーでは、ルーツ校の慶大(1899年)、同志社大(1911年)、早大(1917年)、東大(1921年)、京大(1922年)、明大(1923年)に次ぎ、7番目だった。
1923年といえば、9月1日に関東大震災が起きた大変な年である。でも立大ラグビー部創部に携わった学生たちには、火のごときラグビーへの情熱があったのだろう。
実は、1923年の春には明大も創部されている。明大OBで、日本ラグビー協会の森重隆名誉会長は祝辞で「来月、明治大学も(創部100周年祝賀会が)ありますので、ひとつよろしく、お願い致します」と言って笑いを誘った。
「今日は本当におめでとうございます。慶大のあと、大学ラグビー部が次々と産声を上げ、立大は7番目に創部された。ラグビーでは、他のスポーツのようにプロ化、興行化、技術向上が進む中、ルールを超えたフェアプレー精神、レフリーへの尊重、交流を尊ぶノーサイド精神など、とても誇らしく思っています。この100年を振り返る時、僕らの昭和の時代は、”死ぬ気でやれ”とか指導者に言われ、僕らはみんな血走った目をしてプレーをしていました。でも、鬼のような指導者も本当に熱い心の持ち主ばかりでした。時代は変われど、ラグビー魂とか、仲間とか、思いやりとか、ラグビーの芯のところは、これまでの100年も、これからの100年も、ずっと変わらないものだと、僕は思います」
◆精神的支柱「立教ラグビー宣言」
ラグビー精神でいえば、立大には『立教ラグビー宣言』なる精神的支柱がある。2005年9月につくられた。
<1.ルールの有無に関わらず、常にフェアの精神で、自ら律してプレーします。
2.レフェリーの存在意義を正しく理解し、心から尊重します。
3.ノーサイドの精神を尊び、相手チームに心から敬意を表します。
4.アフターマッチファンクションは、その趣旨に則り、相手チームと積極的に交流します。
5.ホームゲームでは、必ずアフターマッチファンクション開催を提案します。
6.生涯、これらの精神を遵守します。>
立大もまた、浮き沈みはあった。戦後の復興を経て、グラウンドの移転問題、入試制度の変更に伴う部員数の減少などで雌伏の時も。1997年に関東大学ラグビー対抗戦グループがA(一部)B(二部)のグループに分かれると、立大はBグループに甘んじた。
立大は2000年度、「現役強化プロジェクト」を発足させ、2002年度、念願のAグループ昇格を果たした。以後、入れ替え戦出場からグループの昇降格を繰り返し、2020年度、Aグループに5年ぶりに復帰した。昨年度は、Aグループで日体大、青学大を破り、初の同グループ2勝を挙げた。目下、全国大学初出場をめざし、チーム一丸で強化と人づくりに励んでいる。
◆他校との切磋琢磨、絆を励みに
他校との切磋琢磨を通して人との絆が紡がれていくのだろう。祝賀会には数百人の人々が集った。日体大ラグビー部OB会の村中宏行幹事はしみじみと漏らした。Bグループに転落した日体大はことし、創部90周年。
「これだけの人々が集まっています。100周年を迎える大学はすごいですね。10年の差はかなりあります。とても励みになります。まずは今年、Aグループに上がらないといけません」
余談をいえば、祝賀会の記念品には菓子パンの『銀座木村屋總本店』の小さな“あんぱん”の5個入り箱も入っていた。同社の5代目社長は、立大ラグビー部OBで監督も務められた故・木村栄一氏である。立大の歴史に思いをはせつつ、ひと口食せば、100年の汗の結晶を思わせる甘じょっぱい塩味がしたのだった。(松瀬学)
立大ラグビー部創部100周年記念祝賀会で祝辞を述べる日本ラグビー協会の森重隆名誉会長 【撮影:筆者】
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