「箱根路を走る誇りを取り戻す」 新 雅弘 監督 就任インタビュー
日本大学陸上競技部特別長距離部門の監督に就任した新 雅弘監督 【日本大学】
だが2023年5月、高校駅伝界でその名を知られる名将・新雅弘氏が、母校日大の特別長距離部門監督に就任。岡山県・倉敷高(旧岡山日大高)で37年間、コーチ・監督を務め、全国高校駅伝男子では45年連続45回出場(就任時は8回出場)、3度の日本一に導くなど全国屈指の強豪校に育てあげたその手腕に、チームの再建が託されることになった。4年ぶり90回目の本戦出場を目指し、新たなステージに挑む指揮官に「古豪復活」への思いを聞いた。
(2023年5月取材)
近年の箱根駅伝はさびしい気持ちで見ていた。
昨年末の全国高校駅伝(2022年12月25日)で3度目の優勝を飾ることができ、高校での指導は一段落したと思ったので、後進に道を譲るということで4月に倉敷高校を退職しました。その後、今回のお話をいただいたのですが、ここのところ日大は箱根駅伝から遠ざかっていますので、私もOBの一人として母校復活のために協力させていただきたいという気持ちがありまして、お請けすることにしました。
−近年の日大チームの状況をどうご覧になっていましたか?
お正月は毎年気になってテレビで箱根駅伝を見ていましたが、やはり日大が出場していないというのは、さびしさがありましたし、見ていて張り合いがないですね。順位は関係なく、大会に出場する、箱根を走るということが一番大事だと思うので、頑張ってもらいたいなという気持ちでいました。
−指導する相手が高校生から大学生に変わりますが?
高校生に対してはやり切ったと思っていますが、高校と大学ではステージが違うので不安もあります。しかし、それ以上に楽しみの方が大きいですね。選手たちと会うのはこれからですが、私より彼らの方がいろんな知識を持っていると思うのでそれを学ばせてもらい、その一方で、私が持っている力で選手の良いところを引き出していきたいと思っています。
−指導に関する信念や大切にされていることは何でしょう?
「継続は力なり」ということですね。コツコツと積み上げていくのが大切だと思っています。高校で何十年も全国大会に連続出場してきた中で、「強さの秘密は?」とマスコミの方にもよく聞かれたんですが、私自身どこがいいのかはっきりわかりません。練習はいつも腹八分目で、同じことをずっと継続してやってきましたし、特別変わったことをしたつもりもなく、当たり前のことをずっと続けてきただけです。短距離と違って長距離に技術はいりませんから、どれだけ自分でコツコツ努力するかだと思うんです。積み重ねたものが自分の身になりますし、良いことをしても悪いことしても、やったことは自分に返ってきます。だからこそやりがいがあるんだと思いますね。
−高校では、練習は短時間でという方針を取られていましたが、大学でも同様でしょうか?
そうですね、できるだけ短い時間で効率良くやりたいと思います。ダラダラするのは時間の無駄ですから、それを選手自身が考えてやってくれたらいいと思います。高校では、グラウンドに出たら無駄話や無駄な動きをせず、集中してさっとやってさっと終わってという感じでした。その分、寮に帰って疲労回復とか体のケアなどに時間を使ってもらいたいと。大学でも、練習を集中してやってくれれば、あとは自由なんですが、大学生はもう大人ですし、一人の人間として自分の気持ちをしっかり持ち、責任を持って行動してほしい。そして周囲の皆さんから応援してもらえるような選手になってほしいと思いますね。
−「選手を見極めるのがとても大事」ともおっしゃっていますが、そのポイントは?
高校の時は、24時間の中で朝と午後で計3時間くらい練習がありますが、目の前に私がいるのでみんなちゃんとやるんです。むしろ残りの21時間ほど、普段の生活の中での行動の方が大事で、自主性がないとやっぱり強くならないんです。大学でも同じで、計4時間の練習を除いた約20時間、その見えていないところの生活が最も重要です。それが一番に競技につながると思っています。逆に、走りのフォームを大きく直したりしたことはないですね。長年、選手たちはそのフォームで走ってきて体ができていますから、よっぽどバランスが悪いようなことがあればちょっとアドバイスしたりしますが…。
−そういうお話を今後選手たちにされていくんですね。
はい、やるのは選手自身ですから。いい記録を出せれば自分がうれしいし、またご両親も喜ぶ、親戚も喜ぶ、そして大学も喜びます。一生懸命やってくれればみんなが幸せになりますね。
−また高校では選手たちと共に寮生活をされていたそうですが?
はい、寮で選手と同じ空間にいて、いろいろと行動を見ていました。特段にコミュニケーションを取るというよりも、同じ場所にいるだけで朝から寝るまで見ていられるので、今日はこうなのかな、どうなんだろうかって、選手たちの状態を把握できるんです。それゆえ大学でも陸上競技部の学生寮に入ります。大学の選手たちのことはまだ全くわからないので、これから日々の生活の中で理解していこうと考えています。
「箱根路を走りたかったから日大に入りました」と言う新監督。3年生の時は怪我でメンバー入りを逃したが、その悔しさを糧に毎朝走り込みの自主練習を重ね、4年生で第59回大会に初出場。復路10区を任され、総合4位でフィニッシュした。「箱根を走る喜びを、これからの選手たちにも味わわせたい。今の時代の選手は言葉で納得させないといけないので、こちらも勉強をしていかないといけません」 【日本大学】
チームづくりは試行錯誤しながら。
やはり箱根駅伝の予選会(10月)を突破しての本選出場です。それには個人個人がしっかり自己記録を出してもらいたいと思うし、出せるようにすることができれば、箱根に近づけるんじゃないかと思っています。6月に全日本大学駅伝の予選会もありますが、これから1ヶ月ほどしかないので、そこはまったく考えていません。目先のことよりも、秋にしっかり力を出せるようにやっていきたいと思います。
−箱根駅伝予選会突破に向けて、どうチーム強化を図っていくのでしょう?
今はまだ、選手のことがわからないので、どうすべきかをいろいろ考えているところで、決まったことはありません。1年間、試行錯誤しながらやらなきゃいけないだろうと思っています。ただ、強くなるためにはしっかりした走り込みをやるしかないし、距離に対する不安をなくしたいですね。「これだけやったんだから」という自信をつけさせることが必要ですし、それには継続してコツコツ練習していくことが大切だと思いますね。
−これまでの指導経験において重視したことは何でしょう?
私はタイム設定や目標設定などを決めたことがありません。レースがスローペースだったり、風がきつくなって影響を受けたりして、設定したタイムで行ける保証がありませんから。想定通りに行けばいいのですが、そうならないのは嫌ですし、目標設定を考えることも僕からしたら時間の無駄です。そのぶんゆっくりしたい(笑)。目標は選手が自分で決めてくれればいいし、それを私に言わなくてもいい。最後は自分自身が納得するかしないかですからね。大学ではそういうやり方が合うかどうかわかりませんが、高校の時はタイムやら何やらよりも、まず順位だけでした。遅かろうが早かろうが関係なく、順位だけを大切にしていました。箱根駅伝でも予選会の順位やシード権の順位というのが大事ですからね。
−選手個々に目標を持たせても、あえてそれを知ろうとしなかった?
そうですね。選手の目標を聞かされても忘れます。結局、最後は自分です。自分をどれだけ信頼して、自分でやるかというところです。私が目標を聞いて、本当にその通りになれば良いけれど、悪かったら腹が立って怒らなきゃいけない。それは無駄ですね。選手も一生懸命頑張って走っているのに、コンディションなどの理由で悪くなったとしても責めるわけにいきませんし、「これだけ練習やったのになんで走れないんだ」というようなことはしたくない。上手くいかない時に、自分よりも選手を怒るようなことは、私はダメだと思います。選手を主体としてチームを引き上げていくようにこれまでやってきたので、大学でも踏襲していきたいと思っています。
−選手と監督の関係性という部分はどうお考えでしょう?
コミュニケーションということで言えば、高校の時も選手とべったりはしていませんでした。こちらがつきあわせたくても、彼らも大人ですから自分でやりたい、やらせてくれっていうのもありますからね。ミーティングもほとんどやりませんでした。練習の時にちょっとやるだけで、合宿や遠征などに行ってもそう。全国高校駅伝当日でも5分ぐらいで終わりますから。毎日少しずつやっておけば特別にやる必要はありません。それは選手に一人の時間を作ってあげたいという考えがありましたからね。選手との距離感をどう保つのかというのが大事だと思うので、大学生に対してもそこを探っていこうと思います。走るのは選手なので、監督としては選手がスタート地点に立つまでしっかりフォローして、自信を持って走ってもらえるようにしたい。ああしておけば良かった、こうしておけば良かったなど、不安な思いだけは選手にさせたくないですし、選手自身もちゃんと自信を持ってスタートラインに立てるように準備してほしいと思います。
−これまでのお話の中で「無駄を省く」ということがよく聞かれましたが。
私自身、高校・大学・実業団と選手をやってきた中で、無駄なことがいっぱいあったから、そうならないようにしていきたいだけです。自分の競技生活を振り返って見ると、あれはこうしておけば良かったのかなと思うことが多くあったので、そこは選手にとってより良くなるように持っていきたいということですね。
−駅伝という競技は、どういうものだと思われますか?
駅伝はチーム力が出ると思いますね。普段の生活から、お互いに仲間意識を持ってやらないと襷がつながりません。1年生であろうと4年生だろうと、みんな1つの家族ですから、思いやりを持ち、助け合いながら生活をしないと、競技でも襷はつながらないと思います。
【日本大学】
プレッシャーがあるのは幸せなこと。
それは私が何か決めて持っていくよりは、選手たちが話し合って決めた方がいいのかもしれないので、今はまだ何もありません。高校の時もスローガンは考えていませんでしたが、
正月のミーティングの時に選手の意見を聞きながら「優勝する」とか「連覇する」とかの目標は立てていました。私からは一切どうしようとかは言いません。実行するのは選手たちですし、自分たちが決めたらそれに向かってやらなきゃいけないんです。監督が勝手に決めたら、それに対してやらない選手も出てきますからね。やっぱりスローガンは選手たちみんなで話し合って決めさせるというのが、自主性という面でもいいのかもしれません。
−先ほども「自主性」という点を重視されていましたね。
トラックレースならば途中で選手に指示をすることができますが、駅伝では選手が各中継所に行ったら、もう自分で考えて動くしかありません。レース途中も1人で行きますからね。だから、そういうことがやれるようになるために、ふだんの生活からいろいろ考えて行動してほしいと思いますし、そうした自主性を植え付けていきたいと思っています。
−先生が日大の監督に就かれるというのはインパクトのあるニュースだと思いますし、周囲の期待も大きくなるかと思いますが。
いや、そんなことはないでしょう(笑)。しかし、今まで優勝とか連覇といったプレッシャーを味わってきましたが、それらとはまた別のプレッシャーというのは確かにあります。でも、プレッシャーがあるというのは幸せなことだと思います。高校の選手たちにもそう言ってきました。一般の生徒にはないプレッシャーを経験できるというのは幸せなことだとね。プレッシャーがあることが、生きている証しなんだと思って頑張るしかないですね。
−長期的なスパンでの展望はいかがでしょうか?
今季は100回大会出場が目標ですが、そこに向けても厳しい戦いになるでしょう。でも、ここから選手たちの意識改革が上手くいけば、やってくれるかなっていう期待はありますね。もちろん、大学のバックアップのもとでしっかりした体制を整え、私たち指導者側も復活を目指し頑張りますし、日大ファミリーの皆さんにもしっかり応援・ご協力していただければ、自然と強いチームになっていくと思います。チームだけが一生懸命やるのではなく、周りの方々がどれだけ一生懸命バックアップして盛り上げてくれるか。そうなれば選手たちも自然と頑張らなきゃいけない、しっかり練習しようという気持ちになってくれると思いますね。
−覚悟を決めて挑むということですね。
もちろんです。この歳になって単身赴任して、イチかバチかじゃないですがやるしかないですよ。まずは箱根路を走るということ、それをしっかりやっていきたい。本当に正月はさびしいので、多くの皆さんに幸せを届けられるようなチーム、そこを目指していきたいと思っていますし、選手たちがどれくらい頑張ってくれるかを楽しみにしています。
−有り難うございました。
節目となる第100回大会で「箱根路を疾走するピンクの襷を見たい」と願う多くの人々がいる。その期待を背負いながら、第二の指導者人生を歩みはじめた新監督。「私は口数は少ないですが、胸の内に闘志だけはしっかり持っていますから」と笑みを浮かべる瞳の奥には、37年間の経験に裏打ちされた確かな自信がみなぎっていた。 古豪復活へ、新たなストーリーがいま始まろうとしている。 【日本大学】
【しん・まさひろ】1961年生まれ。兵庫県出身。1983年経済学部卒。’78年、岡山日大高(現・倉敷高)の全国高校駅伝初出場時に主将を務め、日本大学では4年時(’83年)に箱根駅伝に出場し10区を走った。社会人で競技を続けた後、’86年に教諭として倉敷高に着任し、陸上競技部のコーチを経て’94年から監督を務める。2011年に全国高校駅伝男子では初のメダルとなる2位に入ると、’16年には全国初制覇、’18年に2度目の優勝を果たした。45年連続45回目出場となった’22年は大会新記録、高校国内国際最高記録を樹立して4年ぶり3回目の高校日本一に輝き、これを置き土産に’23年4月に同校を退職。同5月、日本大学陸上競技部特別長距離部門の監督に就任した。
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