【物語りVol.32】 PR 木村 星南「選んだ道で成功をつかむ」
【東芝ブレイブルーパス東京】
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【物語りVol.32】 PR 木村 星南
大阪産業大学付属高校では、1年次と2年次に右肩の脱臼を繰り返した。本格的にプレーできるようになったのは3年になってからで、当然のことながら代表歴もない。関東や関西の名門大学から勧誘されることはなく、木村は関西のとある大学へ進学するつもりだった。
「その大学の練習に参加させてもらって、ぜひ来てくれと言っていただきました。僕自身もそのつもりでいたのですが、一か月後ぐらいに松前杯にウチの高校が参加したところ、東海大からぜひ、と言われたんです」
松前杯とは、東海大学の付属高校を中心とした大会だ。試合は東海大学のキャンパスで行なわれる。当然のことながら、同大学のラグビー関係者の目に留まる機会となる。
「僕からすると『えっ』という感じでした。高校のコーチからは『こんなチャンスは二度とないぞ』と言われましたが、東海大へ行ったとしても通用するかどうか分からない、東海へ行ったほうがいいのか、行かないほうががいいのか。どっちが正解かなんて分からないですけど、そのときに思ったんです。自分が選んだほうを、成功へ導くしかない、と」
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「1年の秋にジュニア選手権の決勝に初めて出て、そのあとに朝練で膝をケガしました。2年は1試合も出ていないです。高校1年から大学2年までは、休んでいるほうが長かったぐらいです。3年も秋のリーグ戦に、リザーブで2試合出ただけです」
東海大学でほとんど実績を残せないまま、木村は最終学年を迎えた。人生の岐路がやってきた。
トップリーグのチームへ行きたい4年生は、監督にその旨を伝えることになっていた。木村は迷っていた。トップリーグではなく下のカテゴリーのチーム行きを考えていた矢先に、コーチに『どうするんだ?』と問われた。
「FWコーチの志村さんに、『実は強いところでやりたいんです』と伝えたら、『監督に言いにいけ』と。練習参加できるチームがあれば行かせると言ってもらいまして、(採用担当の)望月さんが練習を観に来ていた朝練のスクラムが良くて、僕を含めたフロントローの3人が東芝ブレイブルーパス東京の練習へ行くことになりました。そこでアピールをして、その後の試合も望月さんが観に来てくれて、ブレイブルーパスにお世話になることになりました」
東海大学から加入した選手と言えば、16年リオ五輪セブンズ日本代表の豊島翔平、15人制日本代表でW杯に出場している三上正貴とリーチ マイケルらが名を連ねる。15年度主将の藤田貴大、19年度主将の眞野泰地も在籍する。
「僕らの大学で語り継がれてきた選手ばかりで、日本ラグビーの顔であるマイケルさんもいて。『うわああ、オレ、東芝行くんかあ』と。僕にとっては非現実的な場所だったんですけれど、入ってみたらホンマに温かさとかアットホームさがありますね」
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「いままでのチームメイトとは、アイツはレベルが違います。いまはアイツがおるから、自分も頑張れてる。メチャメチャ練習するんで、オレもやらなあかんと思っています」
同じプロップのポジションで、大学の先輩でもある三上の存在も大きい。木村にとっての羅針盤と言っていい選手だ。
「プロ意識がものすごく高いです。普段の準備とかオフの過ごしかたとかを見ていて、だからこんなに長くラグビーを続けていられるんだと肌で感じます。真似している部分あります」
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「ふたつの選択肢があったとして、どちらが正しいのかは進んでみないと分からない。だから、選んだ道で成功をつかむ。それが自分なりのこだわりです。ブレイブルーパスに入った先の成功は、もちろんチームの優勝です。試合に出ているだけでは全然足りないですし、ひとりのプレーヤーとしてもっと磨かなければいけないところがある。スクラムは自分としても自信があるので、絶対に負けたくない。ここで試合に出ていくことは、日本代表入りの道にもなると思います」
学生時代からの友人は、東芝ブレイブルーパス東京でプレーしている木村に驚きを隠さないという。ケガに悩まされてほとんどプレーできなかったかつての姿と、東芝ブレイブルーパス東京のフロントローを担う現在の姿が、なかなか結びつかないのだろう。
「まあだから、ちょっと見返してやりたい、っていう気持ちもあるんですよね」と、木村はいたずらっぽく笑った。
(文中敬称略)
(ライター:戸塚啓)
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