【北京冬季2022オリンピックメダリストインタビュー】藤澤五月・吉田知那美・鈴木夕湖・吉田夕梨花・石崎琴美:チーム全員でつかんだ銀メダル
【カーリング女子団体で銀メダルを獲得した日本。(写真:アフロスポーツ)】
藤澤 五月(カーリング)
吉田 知那美(カーリング)
鈴木 夕湖(カーリング)
吉田 夕梨花(カーリング)
石崎 琴美(カーリング)
女子団体 銀メダル
■カーリング史に残る銀メダル
吉田夕梨花 決勝は勝つことができずに終わってしまいましたが、少し時間が経って落ち着いて考えると、メダルの色以上に、このチームで戦ってきた過程や時間が私にとってはすごく幸せで、本当に「特別な銀メダル」でした。試合が終わってからすごく多くの方が連絡をくださって、私たちの試合を見てカーリング競技自体の面白さに気づいていただけたり、チーム全体の力を感じていただけたり、銀メダルでも本当に喜んでもらえていると感じました。北京にいる時はあまり感じていなかったのですが、地元の方やサポートしてくれている方々が、心から私たちのメダルを喜んでくれているのだと今実感しています。
鈴木 私も負けて終わったことで悔しい気持ちは大きかったのですが、逆にあらためて「世界一になりたい」という思いがすごく強くなりました。一緒に戦ってくれたチームのメンバー、一緒に現地・北京で支えてくれた監督やコーチ、そして、普段からたくさん応援してくださる日本中の皆さんに、本当に心から感謝したいです。ずっと北京にいましたし、今帰国後の隔離期間で、まだ多くの人たちとは会えていないので実感もないのですが、試合前も試合後も、本当にたくさんのメッセージをいただいて心の支えにもなりました。早く感謝の気持ちと銀メダルを見せたいと思っています。
吉田知那美 私も(鈴木)夕湖と一緒で、日本に帰ってきて間もない上に、テレビをほとんど見ていなくて、どういう状況なのかがまだ分かっていないんです。基本的には普段と何も変わりなく、チームで穏やかに、まだ反響も感じることなく、カーリング選手だということすらも忘れて過ごしています(笑)。
今回の北京2022冬季オリンピックは、私たちのチームにとって2度目、私個人としては3度目のオリンピックになりました。4年前は銅メダル、そして今回は銀メダルでした。メダルもそうですが、何よりも、国際的運動会のようなこの平和の祭典で、世界中の人々とオリンピックを楽しめたことがうれしかったです。一番良い色のメダルではなかったですが、初の銀メダルということで、カーリングの新しい歴史となったことは本当に誇らしく、素晴らしいことだと思っています。一方で、「より速く、より高く、より強く」と謳われるオリンピックですが、私自身にとってこの3度目のオリンピックは、「より弱く、より情けない」オリンピックだったと思っています。そういう部分でも悔しさは残りましたが、少し時間が経って、そういうところも含めて私らしいメダルの色だったと感じています。また次に頑張れるチャンスがあると感じられた色のメダルだと受け止めています。
藤澤 初めてオリンピックの決勝という舞台を経験したのですが、負けてしまい、試合が終わった直後はすごく悔しい気持ちもありました。メダルをいただいて日本に帰ってきましたが、まだ帰国後の隔離期間中ということで、直接周りの人に会って声をかけてもらう機会がないんですよね。ただ、帰国して空港に着いた時も、たくさんの方々から「おめでとう」とか「感動をありがとう」と声をかけていただきました。みんなも話してくれた通り、こうやって皆さんが喜んでくださっていることを感じたり、知り合いの方々から連絡をいただいて、「悔しいだろうけど感動したし、胸張って帰っておいで」と言っていただけたりしました。最後負けてしまって悔しさもある中、うれしさや感謝の気持ちが強く芽生えてきました。
石崎 ちょうど今日、私の所属先の病院長から連絡があって、「本当におめでとう。よくやった」ととにかく喜んでくれていたんですよね。私も決勝戦の悔しい思いが強くて、今ももちろんその気持ちはあるのですが、「おめでとう」と心から喜んでくれる人が本当にたくさんいて、たくさん応援していただいたことを本当にうれしく思っています。スポーツは絶対に白黒がはっきりつく残酷さもあるのですが、それ以上に人の心を動かす魅力もあります。チームのことを誇りに思っていますし、今シーズン5カ月近くチームのメンバーで一緒に過ごした時間が私にとって宝物。感謝の気持ちでいっぱいです。
■カーリング精神を胸に
藤澤 オリンピックが始まる前から、どの国が優勝して、どのチームが最下位になってもおかしくないようなレベルになっていると誰もが感じていたと思います。前のシーズンで決勝までいったロシアチームが全然調子を出せなかったですし、どのチームが最下位になってしまうのだろうという緊張感もありました。私たちの勝敗を見ても、本当にギリギリのところでの予選リーグ突破だったように、世界的なカーリングのレベルが本当に上がっていると感じました。
カーリングのいいところは、対戦相手であってもお互いに尊敬し合い、いい試合をして、いいショットをしたらお互いに褒め合うというカーリング精神です。このカーリング精神が強く前面に出た北京2022冬季オリンピックだったと思っています。
――まさに、スポーツマンシップですね。カーリングは、オリンピズムを本当に体現している競技だと思います。スポーツがあまり好きではない人でも、カーリングを気持ちよく見ていたのではないかと感じました。金メダルを獲得したイギリス代表のスキップ、イブ・ミュアヘッド選手も、皆さんのことを「一緒に戦っていて楽しい」とコメントされていました。同じスキップの藤澤選手はミュアヘッド選手に対してどのように思っていますか。
藤澤 イギリスは世界のトップをともに走ってきたライバルチームで、特にミュアヘッドとは年齢的にも同じ世代です。平昌オリンピックの時からずっとお互いに刺激し合ってここまできた選手ですので、北京2022冬季オリンピックで最後の試合を戦えたのはすごくうれしいことです。お互いに刺激し合ってここまで強くなれたことが、この決勝の舞台で証明できました。すごく大好きなプレーヤーですし、また一緒に試合をしたいと願っています。
――準決勝を前に、知那美選手が「予選ギリギリの4位上がりの私たちのアドバンテージは、一番ミスをしたり、劣勢を跳ね返したりしてきたこと」とコメントしていたことが印象に残っています。私たちもうまくいかないことがたくさんありますが、それを乗り越えていくことが大切だとあらためて教えてもらったように思います。コメントの真意をお聞かせください。
吉田知那美 4位上がりの私たちにアドバンテージがあると言ったのは本心でした。それというのも、予選リーグで全勝して、プレーオフも含めて全勝して決勝までいくことほど怖いものはないというのは、今までの経験上感じてきたことだからです。
カーリングは、いかにミスを相手より少なくするかが重要で、100%の確率で投げ抜くことは難しいスポーツです。プレーオフでの緊張感やプレッシャーの中で、どういう時にミスが出やすいのか分からない状態で戦うのは一番怖いこと。私たちは、無難な試合を狙ったり、勝つために自分たちのプレースタイルを捨てたりすることなく、果敢に自分たちのプレーを求めて挑戦し、その結果失敗してきました。プレーオフでも自分たちがやりたいプレーやショットを使うことができました。失敗しようとして失敗した結果には価値がないでしょうが、本気で取り組んだ結果の失敗には必ず価値がありますし、できないことが分かるという証明にもなります。それでも、本当に何も意味のない負け、何の意味もない一投などはありません。戦いながら、常にそう思って自分自身にも言い聞かせています。
■チーム全員でつかんだ勝利
カーリング女子団体で銀メダルを獲得した日本 【アフロスポーツ】
吉田夕梨花 はい、文句を言うことがあるのは(ジェームス・ダグラス・)リンドコーチではなく、小野寺亮二コーチです(笑)。もちろん私たちもですが、コーチも着実に歳を重ねていて記憶力の衰えには逆らえませんからね……(笑)。亮二コーチが苦手としつつある部分も誰かが素直に伝えてあげることが大事だと感じて、私は一つ一つ口を出して指摘するようにしています。そうやってチーム全員でサポートする意味でコミュニケーションを図っているのです。
――なるほど、そうした指導者と選手のフラットなコミュニケーションも大切ですね。さて、皆さんが思う今大会のベストプレーはどのプレーだったでしょうか。
石崎 ベストプレーですか……。すごくたくさんありますが、スイスとの準決勝ですかね。試合に向かう前から、すっかり吹っ切れた雰囲気の空気感が全員から出ていて、見ている私からも「絶対この試合は行ける」と試合前から感じました。あの試合がベストゲームだったと思います。
藤澤 私も準決勝ですね。自分がスキップだからということもありますが、特に印象に残っているのが、最終エンドの最終ショットです。私が投げたとはいえ、あのラストショットは全員で決めたショットだと思っていて。投げたライン、コール、ジャッジ。全てがいい形で噛み合って、最後を締めくくることができました。本当にチームで勝ちとった勝利だったので、すごく印象的です。
鈴木 私もさっちゃん(藤澤選手)と同じで、スイス戦の最後のショットです。本当にみんなで決めたショットだったのですが、若干スイープし過ぎてしまい、実は結構危なかったんですよね。夜になっても、「あー、良かった」と繰り返し思い出していました。止まってくれて良かったのですが、それ以上に、ちょっとドキドキしながら寝たことがいい思い出になっています(笑)。
吉田知那美 一つのショットだけを選ぶのは難しいのですが、すごくよく覚えているのは予選リーグのROC(ロシアオリンピック委員会)チームとの試合です。劣勢の状況から、私たちが必死に我慢して食らいついての逆転勝利でした。戦っていてすごくつらい時間もあったのですが、途中段階で、コーチベンチのみんなが祈るような顔でゲームを見ている様子が見えていたので、4人だけじゃなくて本当にチーム全員でつかんだ勝利だったと感じています。
吉田夕梨花 私は、予選リーグ第3戦のデンマーク戦のさっちゃん(藤澤選手)のラストショットです。試合はずっと劣勢に立たされていて、最後の10エンド目もギリギリの勝負という感じでした。最後は私たちの持ち時間も少なくなってきた中で、チーム全体でやるべきことを把握し、それぞれのポジション、それぞれの役割を本当に全員が果たしたなと。それが本当に最終10エンド目のさっちゃんのラスト一投に全て詰まっていましたよね。あの勝利がこのオリンピックにおける私たちの戦い全体の流れをすごく引き寄せたので、本当に大事な一投だったのかなと思っています。
――チーム全員でつかんだ銀メダルですね。本当におめでとうございます。
全員 ありがとうございました。
■プロフィール
藤澤 五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道出身。
5歳でカーリングを始める。2009〜14年は中部電力で活動し、15年にロコ・ソラーレに移籍。日本選手権は11年から4連覇を果たす。16年世界選手権では2位。18年平昌オリンピックでは女子団体戦で日本カーリング史上初となる銅メダルを獲得した。北京2022冬季オリンピック女子団体戦でスキップとして活躍し、銀メダルを手にした。
吉田 知那美(よしだ・ちなみ)
1991年7月26日生まれ。北海道出身。
小学2年からカーリングを始める。中学入学後、実妹の夕梨花、鈴木夕湖らとともにチームを結成し、日本選手権に出場して注目を集めた。高校卒業後は、カナダのバンクーバーに留学し、カーリングを学びなおす。帰国後、北海道銀行フォルティウスに加入。オリンピック初出場となった2014年ソチオリンピックでは5位入賞した。14年からロコ・ソラーレに移籍し、16年の世界選手権では銀メダルを獲得に貢献した。18年平昌オリンピックでは女子団体戦で銅メダル、北京2022冬季オリンピック女子団体戦ではサードとして活躍し、前回を上回る銀メダルを獲得した。
鈴木 夕湖(すずき・ゆうみ)
1991年12月2日生まれ。北海道出身。
小学2年からカーリングを始める。中学時代に北海道代表として日本選手権に出場。2年連続で3位に入った。2010年7月、高専在学中にロコ・ソラーレの創設メンバーとなる。16年日本選手権で優勝、同年の世界選手権で銀メダルを獲得した。18年平昌オリンピックに初出場し、女子団体戦で銅メダル獲得に貢献。北京2022冬季オリンピック女子団体戦でセカンドとして活躍して、銀メダルを手にした。
吉田 夕梨花(よしだ・ゆりか)
1993年7月7日生まれ。北海道出身。
母と姉・知那美の影響で、5歳からカーリングを始める。中学2年生の時に日本選手権で3位入賞する。高校2年生からロコ・ソラーレに所属。大学在学中の2015年にはパシフィックアジアカーリング選手権に出場して優勝。16年には世界選手権で準優勝を果たす。18年平昌オリンピックでは女子団体戦で史上初のメダルとなる銅メダルを獲得。北京2022冬季オリンピック女子団体戦ではリードとして活躍して、銀メダルを手にした。
石崎 琴美(いしざき・ことみ)
1979年1月4日生まれ。北海道出身。
高校卒業後、東光舗道株式会社に入社し、同社のカーリング部で競技を始めた。2000年日本選手権で優勝。02年にはソルトレイクシティーオリンピックの女子団体戦に出場し、8位入賞した。07年からチーム青森に加入し、10年のバンクーバーオリンピック女子団体戦では8位入賞。20年よりロコ・ソラーレに加入し、北京2022冬季オリンピックに12年ぶり3度目のオリンピック出場を果たす。女子団体戦では銀メダル獲得に貢献し、最年長メダリストとなった。
(取材日:2022年2月23日)
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