監督に「もう負けても良い」と言わせた、東慶悟を沈める一発

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チーム・協会

【監督に「もう負けても良い」と言わせた、東慶悟を沈める一発】

【これはnoteに投稿された菅原 崇人 Takahito Sugaharaさんによる記事です。】
これは、自分がサッカーの試合に勝って初めて泣いた日の忘れられないエピソード。負けてはいけない究極の戦いの中、監督が「もう負けても良い」と言った当時の体験は、当時から20年経過した今もなお、自分の脳裏に深く焼き付いている

時は日韓ワールドカップで盛り上がった2002年。自分は小学4年生。もう20年も経過したのかと思いながら文章を綴っている。

当時「九州大会」と呼んでいた小学6年生にとって最後の公式戦で、自分が所属する「青葉SC」が 東慶悟(現FC東京)を擁する「深町(ふかまち)SC」を1-0で破った。

これだけ聞くとちょっとした番狂わせが起きたくらいにしか思えないだろうが、強豪を倒して県大会出場を目指していた当時の自分たちにとっては、この上ない達成感に満ち溢れ、感動的な試合となったエピソードなのだ。

青葉サッカークラブ

自分は小学校4年の頃に、親の転勤を機に静岡県御殿場市から福岡県北九州市へ引っ越した。転校した青葉小学校は、当時生徒数が日本で2番目に多い
マンモス学校で、各学年6〜7クラスあるのが当たり前の学校だった。

越して直ぐに「青葉サッカークラブ(青葉SC)」でサッカーを開始。
青葉SCはメンバー全員が自校の生徒で構成されているサッカーチームだった(現在はクラブチーム化され「フラッププライド青葉FC」として活動中)こともあり、チームメートの殆どと日常から接する機会があったことで直ぐに馴染むことができた。

自分が6年生時の青葉SC 【菅原 崇人 Takahito Sugahara】

当時の監督は、鹿島アントラーズやギラヴァンツ北九州でも活躍した本山雅志のお兄さんで、自分たちは「本山監督」と呼んでいた。
Jリーグがオフの時に本山雅志がグラウンドに遊びに来てくれたこともあり、当時のサッカー少年にとっては嬉しい出来事だった。

当時の青葉SCは北九州の中ではそこそこ強かったが、いつもあと一歩で県大会にいけないというようなチームだった。
特に、小倉南FCをはじめとするクラブチームの強敵には勝てないことが多く、実際に自分は青葉SCに所属した3年間で、一度も県大会に進むことができなかった。

全て一次リーグで敗退していたチームの快進撃

春の「全国少年サッカー選手権(ぜんにち)」と夏の「さわやか杯」で北九州予選の一次リーグで早々に敗退したチームは、冬の「九州大会」を迎えた。笑っても泣いても6年生にとっては最後の大会だ。
自分は本山監督から信頼を受け、4年生ながらレギュラーとして起用されていた。

5〜6チームの中から上位2チームが勝ち抜ける一次リーグでは、同じグループに「ながなが帝踏イレブン(平山相太の出身チーム)」など強いチームがいたが、僅差をものにし続けて(記憶が正しければ)グループ2位で突破。

唯一残っていた当時の写真 【菅原 崇人 Takahito Sugahara】

二次リーグでは、3チーム中1位のチームのみが突破できるという厳しい戦い。同じグループには当時強かった「行橋(ゆくはし)」がいて、二次リーグすら初めてだった我々は、ぶっちゃけなめられていたと思う。

今でも忘れられないのは、1勝同士で迎えた対行橋の試合前に、行橋の親御さん達が決勝トーナメント進出を祝って(正確には、トーナメント進出が決まったものだとして)バーベキューをしていたことだ。
しかも、相手となる青葉の選手やスタッフに全く隠すこともなく「おめでとうございまーす!」と言いながらビールを飲んでいる。

この様子を見て選手たちはが何も思わないわけがない。みんな怒っていた。本山監督も激怒して目が血走っており、試合前のミーティングでも「まじであいつら許さん。ぶっ飛ばしてこい!!」と怒鳴っていたのをよく覚えている。
チーム全員が怒りをモチベーションに変えて戦士となった結果、青葉は行橋を圧倒して4-0で蹴散らした。4年生ながら猛烈にプレスをかけて相手を削りまくったのは懐かしい思い出だ。笑

結果、二次リーグで首位となり、決勝トーナメント進出が決まった。

東慶悟擁する深町に勝利

初の決勝トーナメント。

8チーム中上位5位までに入れば県大会進出が決まる。
ベスト4の4チームと、敗者復活で勝ち残った1チームの合計5チームが北九州代表として県大会に進出できるレギュレーションだった。

ベスト8の相手は「東谷(ひがしたに)」。小学生ながら170cmを超える選手が3人くらいいて、その圧倒的なフィジカルを武器に勝ちあがってきていた。
青葉は東谷のフィジカル攻撃を凌いで善戦し、延長戦でも0-0というところまで持ち込んだが、PK戦の末に敗れてしまった。




負けた4チームによる残り1枠をかけたサバイバルゲーム。敗者復活トーナメントで2勝すれば5位となり、県大会への切符を勝ち取ることができる。

初戦の相手は「深町」。
当時の深町には、当時小6の東慶悟と小5の刀根亮輔(現大分トリニータ)がいた。のちに大分トリニータでプロとなる二人を擁するチームは、福岡県の中でもトップクラスに強いチームだったが、一回戦で小倉南と当たる運の悪さもあり、敗者復活に回っていた(当時の小倉南は全国大会にも出場するくらいの圧倒的なチームだったため、北九州では敵なし状態)。

試合前は本当にワクワクした。当時の自分にとっては、こんな強い相手と試合をするのは初めての経験であり、地元で名を轟かせていた東慶悟と試合ができるからだ。

試合は東を中心とした攻撃に押し込まれる展開が続いたが(記憶が正しければ)5バック気味にブロックを作り、ワンチャンスを狙う戦術で善戦した。
相手のレベルの高さもあり、自分も殆ど何もできなかったが、終盤に思わぬ形でチャンスが舞い込んでくる。

(これは映像としてはっきりと覚えているが)右サイドハーフェイラインの手前から青葉のフリーキック。相手は強気に最終ラインをかなり高めに設定。自分は左サイドに膨らみ、オフサイドにならないギリギリのタイミングを狙って、最終ラインの裏へ思いっきり走りこんだ。
チームメイトが蹴りこんだボールは、センターバックのちょうど後ろに落ちる絶妙なボール。相手がギリギリ触れなかったこともあり、信じて走っていた自分の足元に絶好のチャンスが転がり込んできた。相手ゴールキーパーが最終ラインの裏をケアしようと少し飛び出していたのを見て、ダイレクトでループシュートを打った。。。。ゴ〜〜〜〜〜〜〜ル!!!!!!

本山監督とベンチ前で抱き合ったことだけは覚えているが、あとは殆ど覚えていない。とにかく嬉しかった。

この1点で青葉は深町に対して、奇跡とも言える勝利。あの東慶悟のチームに勝ったのだ。選手全員が全てを出し切った。
当時の深町の強さを考えれば、番狂わせであったことは間違いない。

たかが1勝ではあるが、青葉の選手・スタッフにとっては達成感に満ちた感動的な試合となった。コツコツと積み重ねてきたことが間違いではなかったことを証明できたのだ。

試合終了後のミーティング

試合終了後は全員で喜びを爆発させ、木陰でミーティングを行った。が、本山監督の表情が明らかにいつもと違う。
強面で「ぶっ飛ばしてこい!!」と大声を出していた監督が、声を詰まらせて泣いている。号泣していた。

周りのコーチたちも泣いている。自分たち選手ももらい泣き。
試合に負けて悔し泣きすることは度々あったが、勝って泣いたのはこの時が初めての経験だった。

本山監督はミーティングの場で、顔をクシャクシャにして声を震わせながら「もう負けても良い。。」と呟いた。
今思うと、県大会出場まであと1試合を残している選手に対して言うべきではない言葉にも思えるが、本山監督自身が自分たちの戦いに感動して自然と出てきた言葉だったように思える。

普段は目つきが鋭く、サッカーに厳しい監督が放った言葉は、当時小学4年生の少年にとってはある意味衝撃で、20年後の今も尚心に残り続けている。

最終的な結末

深町に勝ったチームはヘトヘトで、5位決定戦で戦う体力が残っていなかった(小学生は試合時間が短く、一日も何試合もこなすため)。
結果、「負けても良い」と監督に言われたチームは、5位決定戦で「永犬丸(えいのまる)」に0-5で本当に負けてしまった。(笑)

最後の最後で県大会には出場できず、北九州6位で終わることにはなったが、チームの一体感と下馬評を覆す結果を見れば、青葉がこの大会のベストチームの一つであったことは間違いない。個人的にも、この大会を通じて小さな成功体験をたくさん積むことができて、心身ともに大きく成長した




P.S.
この大会後、青葉のキャプテンと副キャプテンは、東慶悟と一緒にサッカーをするために若松中学校へ進学。のちに東福岡で10番をつける横山を擁する福間中学校と共に、若松中学校は福岡県内の中体連で無双した。

東慶悟(1個下の学年の刀根も)は若松中学校を卒業後、大分トリニータU-18へ。当時対戦した地元のスターが大分トリニータでプロとなり、ロンドン五輪にも出場したことは誇らしいことであり、現在もFC東京で10番を背負っている姿を見て、密かに応援し続けている。




Twitter ID: @clasico_suga
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