【新日本プロレス】武藤敬司が語ったアントニオ猪木、武藤チルドレン、そして内藤哲也

チーム・協会

【新日本プロレスリング株式会社/タイコウクニヨシ】

カウントダウンインタビューの最後を飾るのは、1.4東京ドーム大会にて“新日本プロレスラストマッチ”を迎える武藤敬司選手! 

今年2月の引退試合を控えて、元付き人の棚橋弘至、新世代の旗手・海野翔太とトリオ結成し、内藤哲也&SANADA&BUSHIと対戦する“天才”はいま何を思うのか?

撮影/タイコウクニヨシ


■アントニオ猪木追悼大会『 WRESTLE KINGDOM 17 in 東京ドーム 〜闘魂よ、永遠に〜 』
2023年1月4日(水) 14:45開場 17:00試合開始 
※第0試合は15時20分開始予定
東京・東京ドーム
※「ロイヤルシート」「アリーナA」「バルコニースタンド」は完売となりました。
※アリーナBは残りわずか

創り上げたプロレスラーたちが、あちこちに散らばってるからね。それが俺の財産なのかもしれないし、俺の生きた証というか。

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――さて、武藤選手。今年の11.20有明アリーナでの「グレート・ムタ新日本プロレスラストマッチ」に続き、1.4東京ドームでは「武藤敬司新日本プロレスラストマッチ」が組まれました。プロレスラーとしての生まれ故郷に別れを告げるかたちですが、現在の心境はいかがですか?

武藤 いやもう、やることは変わらないからね。日々トレーニングをして、今日もジムに行ってきたし。やっぱり、原因があって辞めるわけだけど、練習しないと不安だしさ。でも、練習やりすぎると股関節とか炎症起こしちまうし、そのバランスがなかなか難しくてね。

――満身創痍の身体と相談しながら、試合に向けて調整しているわけですね。

武藤 引退試合自体は2月21日に東京ドーム(プロレスリング・ノア)であるんだけど、いまの気持ちとしては「もう、すべてが早く来てほしい!」って感じですよ(笑)。

――早く引退ロードを完走したいと(苦笑)。武藤選手は1984年から2002年まで新日本に所属し、退団以降もビッグマッチにたびたび参戦してきましたね。

武藤 やっぱり、俺は最初、新日本プロレスのストロングスタイルで生まれ育ったレスラーだからね。でも、もう飛び出してからのほうが長いしさ。しかも俺は選手でありながら社長として全日本プロレス、WRESTLE-1を経営して。この経営っていうのは、選手の育成もしっかりしてかなきゃいけないわけで、そこがちょっとほかの選手と違うからさ。

――新日本時代はいちプレイヤーでしたね。

武藤 そうそう。いまは自分でやってる団体はないけど、そのときに創り上げたプロレスラーたちが、あちこちに散らばってるからね。それが俺の財産なのかもしれないし、俺の生きた証というか。

――今回の1.4東京ドームも、生きた証を感じさせるカードとなりました。

武藤 だから、今回はその証の“確かめ”みたいなもんですよ。今回、1.4東京ドームに上がるのも、9月に引退会見をやってから新日本のリングにも一度は上がりたいなって思ってる中で、今年は棚橋(弘至)と意外と接点があったから「じゃあ、いまの俺のコンディションが新日本で通用するかどうか、査定してくれよ」っていうのがきっかけになってさ。

――プロレスリング・ノアの10.30有明アリーナ大会に、棚橋選手が真壁刀義選手と本間朋晃選手と共に乗り込み、武藤選手と丸藤正道選手と稲村愛輝選手のトリオを対戦しました。その試合後、棚橋選手が「合格です。新日本のビッグマッチにぜひとも来ていただきたい」とコメントしたわけですが、「査定してほしい」というのも謙虚というか。

武藤 いつも偉そうなわりにって?(笑)。まあまあ、謙虚っていうか、それは自信の裏返しでもあるんだけどね。

印象深い、1995年10.9東京ドームの高田延彦戦。だが、試合後に猪木さんに怒られた!?

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――新日本マットでの思い出について伺わせてください。さまざまな名勝負を残してきましたが、その中でも強いて印象深いものを挙げるとすると?

武藤 試合に関してはやっぱり、1995年の10月9日に今回と同じ東京ドームでやった高田延彦戦ですね。プロレスラーって、その試合を通じてどれだけ多くの人に影響を与えるかっていうのが一つのステータスだと思うけど、そういう中でアレは手応えがあるので。

――武藤選手は試合のことをよく“作品”と表現されていますが、UWFインターナショナルとの団体対抗戦のメインを飾ったあの試合が最高傑作だと。

武藤 いや、そんなことはないよ。それはまたべつっていうか、だってあの試合のあと、オレは(アントニオ)猪木さんに怒られたもん(笑)。入場のときに(手を広げて)こうやってアピールしてたのが気に食わなかったみたいで、「なんだ、アレは!」って説教食らったんだから。

――くしくも今回はその猪木さんの追悼大会となります。

武藤 そうなんだよなあ…。まあ、自分の中の新日本プロレスって、やっぱりアントニオ猪木なんだよ。ストロングスタイル=アントニオ猪木でさ。自分が新日本を辞めてからは猪木さんとはずっと疎遠だったんだけど、2020年頃に俺、『プロレスリング・マスターズ』っていう興行を手がけててさ。

――往年の新日本のレスラーたちが集うことで話題を呼んだ大会ですね。

武藤 それをやってく中で「そろそろ猪木さんにも出てほしいな」と思って、お願いしに頭を下げに行ったら、「おお、いいよ。出てやるよ」って了解を得てね。……で、『マスターズ』に上がってもらったときだって、俺は最後の最後まで怒られたんだから。

――快く上がってもらえたのでは?

武藤 いや、その大会で猪木さんのデビュー60周年のセレモニーをやったんだけど、ちゃんと話が通ってなかったのか、本人が怒っちゃってさ(笑)。企画したのは俺じゃなくてスタッフなのにさあ。

――俺のせいじゃないと(苦笑)。

武藤 ただ、そのときの『マスターズ』が、猪木さんがリングに上がった最後なんですよ。あれはほかにも藤波辰爾さん、長州力さん、前田日明さん、木戸修さんとか、新日本のOBのかたがたもたくさんいて、その集合写真が多くの報道メディアで使われてるのを見て、「やってよかったな」って思いましたね。

――いいメモリアルの舞台となったわけですね。

武藤 あと、これは最近聞いた話なんだけど、2月21日の俺の東京ドームの引退試合のときに、猪木さんは来場が難しいからビデオメッセージをお願いしようと、スタッフが動いてたみたいなんだよ。で、その前日の2月20日が猪木さんの80歳の誕生日だから、本人が近い人に「80になって最初の仕事が、武藤の仕事なんだな」って言ってくれてたみたいで。

――それはいい話ですね。

武藤 それを聞いてちょっとジーンと来ましたよ。そういうのもあっての追悼大会だから、いろんな思いはあるよね。

俺のジェネレーションで、そういう新日本の下の世代たちとやったレスラーって、俺しかいないんじゃないかなあ。

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――武藤選手は1.4東京ドームという舞台には、グレート・ムタを含め通算18回上がられています。1.4の印象深い試合についても伺えれば。

武藤 なんだろうなあ……。新日本を一回出てからだけど、橋本(真也)が死んだあとに、追悼試合みたいな感じで蝶野(正洋)と組んでテンコジとやった試合は覚えてますよ。

――あれは2007年、新日本と全日本の35周年記念大会でしたね。

武藤 意外と辞めてからの試合のほうが頭に残ってるかな。それより前は古すぎるからさ(笑)。棚橋とやった試合(2009年)とか、内藤(哲也)との試合(2012年)も覚えてるよ。

――2008年にはムタが後藤洋央紀選手と対戦しています。

武藤 そうそう。俺のジェネレーションで、そういう新日本の下の世代たちとやったレスラーって、俺しかいないんじゃないかなあ。

――たしかにそうですね。IWGPヘビーの外敵王者だったときには、中邑真輔選手や真壁刀義選手とも対戦していますし。武藤選手は1992年の記念すべき1.4東京ドームの第1回大会にも出場されてますね。

武藤 ン? 俺、1回目は出てないでしょ。最初は猪木さんが柔道家(ショータ・チョチョシビリ)とやったじゃん。あれは俺、アメリカにいたはずだよ。

――それは89年4月24日に、初めて東京ドーム大会が開催されたときですね。それとはべつで、“1.4”自体がスタートしたのは92年なので。

武藤 アレ? 橋本が「時は来た!」とか言って、蝶野が吹き出したヤツは? アレも東京ドームでしょ?

――それは90年2月10日ですね(苦笑)。1月4日に初めて東京ドーム大会が行なわれたのが92年というお話で、そのときはムタがスティング選手と組んでスタイナーブラザーズと対戦しています。くしくもムタの引退試合(ノアの1.22横浜アリーナ大会)で組むスティング選手と、1.4東京ドームの第1回大会で組んでいたのも歴史を感じさせるというか。

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武藤 ああ、あれが1.4の最初なんだ。スティングは今年、AEWで同じリングに立ったんだけど、あのときはお客がスゲー反応でさ!

――アメリカ人にすればレジェンド二人のそろい踏みですし。

武藤 あの歓声聞いたときは、「スゲー歓迎されてるじゃん!」って、ちょっと引退するのが正直惜しくなったな(笑)。ムタがアメリカでがんばってたのなんて、もう30年以上前なのにさ。

――WCWで80年代後半、スティング選手と抗争を繰り広げてましたね。

武藤 そういえば、前にイケメン(黒潮”イケメン”二郎)とか、あとはKAIRIっていうんだっけ、あのコ?

――はい、どちらもWWEに上がった日本人レスラーです。

武藤 あのコたちに聞いたんだけど、NXT(WWEのブランド)の教材として、過去の俺の試合映像が使われてるんだってさ。

――国境を越えて教科書となってるわけですね。

武藤 「おお、そうか」なんて言いながら、やっぱり業界内では俺もそこそこ……。

――いえいえ、そこそこどころじゃないですよ、武藤敬司がプロレス業界に与えた影響は。

武藤 まあまあ、そこそこ知名度はあるのかなって思いましたよ、ウン。

敵も何もSANADAとBUSHIなんて、昔オーディションがあって、俺が「入れてやるよ」って言った連中なんだから。

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――そして今回の1.4東京ドームのカードは、武藤選手が棚橋選手、そして海野翔太選手と世代を超えたトリオを組んで、L・I・Jの内藤哲也&SANADA&BUSHI組と対峙します。

武藤 海野っていう選手は新日本の未来だもんね? まあまあ、俺はあんまり出しゃばらないように。こっちは引いてく身だからさ。

――でも、今回の試合の主役は武藤選手ですから(苦笑)。

武藤 主役は違うよ、主役はこの未来だろ。あんまり俺も気張ったって、しょうがないじゃん。新日本の未来のためにも、貢献したほうがいいじゃない。俺、もう辞めんだよ? もう出ないんだよ、これで終わりなんだよ?

――もちろんそうなんですけど、だからこそ今回の敵であるL・I・Jは、ここぞとばかりに武藤選手をターゲットにするんじゃないかと。

武藤 敵も何もSANADAとBUSHIなんて、昔オーディションがあって、俺が「入れてやるよ」って言った連中なんだから。

――SANADA選手もBUSHI選手も、2006年の『武藤塾』という新人オーディション出身者なんですよね。まさに“武藤チルドレン”というか。

武藤 アイツら、俺には感謝してもらわないと(笑)。

――二人とも恩返しの気持ちを持って、武藤選手に向かってくると思います。ちなみに海野選手に関する情報というのは?

武藤 ……わかんない。申しわけないけど、いまから研究するよ。

――海野選手はお父さまがレッドシューズ海野レフェリーということで。

武藤 ああ、そうだよね! でも……アレ? 本当は“ウンノ”でしょ? それを“ウミノ”にしてるの? 

――そこは親子で差別化してるというか。

武藤 そうなの? それ、親父をリスペクトしてないんじゃないの?(笑)。

――そんなことはないと思います。海野選手は今年11月に凱旋帰国を果たしたばかりで、“スペース・ローンウルフ”(武藤が86年10月に凱旋帰国を果たした際のニックネーム)のような感じというか。

武藤 ああ、いいじゃない。そういうこれからの選手の横に立ってみたいですよ。

――今回の試合メンバーの中で海野選手は唯一、武藤選手との接点がないので、逆に注目されるというか。

武藤 俺も「なんでコイツがここにいるのか?」っていうのを、試合で確かめてみたいよ。新日本の未来をさ。

俺も必死だし、余裕はないからね。そのときできることを、一生懸命やるしかないわけで。俺は全体的に足を引っ張らないようにがんばりますよ。

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――今回の試合でもっとも注目されるのが、2012年の1.4東京ドーム以来となる内藤選手との遭遇だと思います。11年ぶりの遭遇となりますがいかがですか?

武藤 あのときからはだいぶイメージも違ってるし、どんなものなのか楽しみですよ。

――12年のときは武藤選手の貫禄勝ちという内容でしたが、いまや内藤選手も業界随一の存在感を放つレスラーとなりました。

【新日本プロレスリング株式会社】

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武藤 周りも「メチャクチャ人気ある」って言ってたよ。今年の1月8日、横浜アリーナで新日本とノアがアレ(対抗戦)して、ソッチのグループ(L・I・J)とウチの“金剛”ってグループと試合して。まあまあ、おもしろかったですよ。あれも内藤の人気がすごかったみたいだし。

――内藤選手が武藤選手に憧れてプロレスラーを目指したのは有名な話ですが、武藤選手が1999年にIWGPヘビー級王者だったときに、当時高校生の内藤青年はそのタイトルマッチを生観戦するため、全国各地の会場まで足を運んだそうです。

武藤 エッ、マジ!? マジで? すごいなあ。いや、それからレスラーになって、いまでは新日本の看板になってるんだからうれしいかぎりですよ。

――ちなみに武藤選手を追いかけた理由として、当時のパンフレットのインタビューで武藤選手が膝の状態が思わしくなかったのを踏まえ、「チャンピオンとしての武藤敬司はこれが最後かもしれない」と発言していたのを間に受けたからだそうで、内藤選手は「まんまとだまされた」とおっしゃってました(笑)。

武藤 それは俺に言われてもさあ……(苦笑)。まあ、今回が本当の最後だしさ、そこでこうして当たるのもおもしろいなって思うよ。

――武藤選手と内藤選手がどのような攻防を繰り広げるのか、期待が高まります。

武藤 でも、俺も必死だし、余裕はないからね。そのときできることを、一生懸命やるしかないわけで。逆に言ったら、俺は全体的に足を引っ張らないようにがんばりますよ。もしかしたら俺、あの東京ドームの長い花道、ひさしく歩いてないからたどり着かないかもしれないよ?

――昔は花道疾走ラリアットをやってたじゃないですか。

武藤 そんなの何十年も前だし、いまはたどり着けるかどうかだな(笑)。

俺たちのチームに関していえば、古いのと、中間と、新しいの。これって意外と珍しいよな。

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――では、対戦相手の一人であるSANADA選手のことを、武藤選手はどうご覧になっていますか?

武藤 厳しいこと言うようだけど、俺の耳にはそんなに名前が聞こえてこないなっていうのはあるよ。新日本も選手が多いのはわかるけど、トップ戦線に出てきてないのかなって。何がどうなってるのか、そのあたりも確かめてみたいね。

――WRESTLE-1時代はSANADA選手が“ポスト武藤”というか、次期エース候補でしたよね。

武藤 なんか当時もそうだけど、よさそうなところでもう一歩突き抜けないんだよな。あと、しゃべりがちょっとな……(笑)。

――SANADA選手はL・I・Jに入った当初は寡黙な実力者という感じでしたが、いまはそのマイクアピールも味がありますが。

武藤 いまのプロレスはしゃべるのも重要な一部だから。俺たちの時代のプロレスは逆にしゃべるのがよくないっていうか、想像させるプロレスだったけど、いまはリング上の展開が早いからさ、説明しないと追いつかないんだろうな。

――SANADA選手は力があるからこそ、もどかしさを感じる部分もあると?

武藤 ウン、何が原因なのかってとこかな。

――ただ、SANADA選手はいまや、武藤選手が封印したムーンサルトプレス(ラウンディング・ボディプレス)の当代一の使い手というか。

武藤 これもいい機会だから、アイツにもロイヤリティーを請求しないとな(笑)。

――使用料を請求すると(笑)。BUSHI選手は“武藤全日本”の頃、新日本への1年間のレンタル移籍を経て、2013年に正式に新日本に入団しました。BUSHI選手は全日本時代、武藤選手の付き人をされてたんですよね。

武藤 やってたよ、付き人やってた。アイツもジュニアの中で、よくがんばってるんじゃないの? とりあえずマスクで見た目をさ。中身のほうはよくわからないけど(笑)。

――そのへんも弟子たちへの愛情の裏返しということで(苦笑)。では、あらためて今回の新日本ラストマッチに向けた意気込みをうかがえれば。

武藤 俺たちのチームに関していえば、古いのと、中間と、新しいの。これって意外と珍しいよな。

【新日本プロレスリング株式会社】

――たしかに三世代にわたるのは珍しいですね、エースの系譜というか。

武藤 もしかしたらチームとしてすごい合わないかもしれないし、でもマッチしたらおもしろいかなって思うし。

――化学反応が起こるかもしれないと。最後に武藤選手の姿を目に焼き付けようと思っているファンへのメッセージをお願いできますか。

武藤 そこはもう、1月4日に一生懸命試合をして、「新日本にはこういうOBがいたんだよ」っていうのを見せたいですよ。できれば「ウワッ、すごいレスラーだったんだな」って思われるような試合をしたいよね。(了)

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著者プロフィール

1972年3月6日に創業者のアントニオ猪木が旗揚げ。「キング・オブ・スポーツ」を旗頭にストロングスタイルを掲げ、1980年代-1990年代と一大ブームを巻き起こして、数多くの名選手を輩出した。2010年代以降は、棚橋弘至、中邑真輔、オカダ・カズチカらの台頭で再び隆盛を迎えて、現在は日本だけでなく海外からも多くのファンの支持を集めている。

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