三竿健斗。

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チーム・協会

【三竿健斗。】

【これはnoteに投稿されたロニーさんによる記事です。】
三竿健斗の欧州移籍が正式に発表された。

「苦しかったな、もっと勝ちたかったな、、、」もしも三竿健斗に一言声をかけられるなら、こんな言葉を真っ先に伝えてしまうかもしれない。

三竿とは共にアジアタイトルを取ったし、いくつもの勝利を共にする事が出来たけれど、それでもやはりギリギリで勝てなかった試合やタイトルを逃してしまった事ばかりを思い出してしまう。

チームのリーダー

正直に書くと「三竿もっとやれるだろ。こんなもんじゃないだろ」と思う事はこの数年で何度もあった。それは三竿のポテンシャルを信じていたからだし、彼は日本代表になれる器だと今でも信じているからだ。
それでも「もっとやれるだろ!」なんて言葉を発する事は中々出来なかった。
ピッチに立つリーダーとして、常勝の看板を背負ってどうにかチームを勝たせよう、鹿島を良くしようと三竿が努力を重ねている事は充分に伝わっていたからだ。

おそらく三竿は「自らのスキル向上」と「鹿島というチームの勝利・向上」の間でもがき、ギリギリのバランスを取るように努力していたのではないかと思う。
エゴイスティックに自分にだけ矢印を向ける事はリーダーとして許されないような、他者やチームのバランスを常に意識しなければならないような、そんな数年間だったのではないか。
三竿がいなければ、鹿島は遥かにボロボロだったかもしれない。

そう考えるとやはり「苦しかったな、もっと勝ちたかったな、、、」と伝えたくなってしまう。

準備と意識、責任感

三竿が入団して大岩さんにその素質を見出され試合に出始めた時、苛烈にボールを刈り取る姿を見て「これは素晴らしい才能の選手が来てくれた」と思った事を昨日の事のように思い出す。

しかし何年も三竿のプレーを見ていると、彼のスキルのほとんどは才能の一言で片付けられるものではない事にも気付いた。

三竿のストロングポイントといえば球際の強さやボールを刈り取る力だが、その一つ一つは身体能力任せではない。抜かりない予測から丁寧に相手との距離を詰め、相手のバランスを見て、苦しい体勢でもボールに足を伸ばして触る。身体を入れる。それを毎回やる。

三竿のそれは才能というよりむしろ、日々の習慣や意識から少しづつ磨かれた武器なのだと強く感じる。だからこそ見ている側にとっても、苦しいゲームの三竿健斗は頼りになった。苦しくても毎回必ず相手に体をぶつけ、ボールを触ってくれるという信頼があった。三竿のプレーは何度もチームを救ってくれた。

一言で表すならば「責任感」という言葉がふさわしいだろうか。彼のプレーの一つ一つには、「自分の責任を必ず果たそう」という矜持を感じられた。

ヨーロッパへ

三竿健斗はヨーロッパへ行く。
「ついに」という表現が相応しいかもしれない。

鹿島を応援している身としては来年を一緒に戦えないのは残念だが、それよりも「頑張ってくれ」という気持ちが強い。

もしも可能ならば、次のチームではリーダーとしてではなく、自分のスキルと向き合い、1人の選手としてもっと上手く、もっと強くなって欲しいと願う。まだまだ伸びしろがある選手だと思うし、まだまだ上手くなる選手だと思う。

時には優磨のようなアグレッシブさを、時には安西のような明るい心を、時には岩政さんのようなインテリジェンスを、持ち前の責任感のあるプレーの上に携えてヨーロッパで闘ってほしい。

移籍のリリースで「またいつか鹿島で」などという甘い言葉を使わなかったのも三竿らしいと思う。未来に何が起きるかなんて分からない世界だ。それでも、鹿島を支えてくれた事への感謝と未来への成長を願って。またいつか鹿島で会おう。
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