日本代表の躍進をたたえるジーコ:「新たな歴史を作り始めている」
【@FIFA+】
日本サッカーの成長に多大な貢献を果たしてきたジーコが、カタール大会でのサムライブルーの戦いぶりについてFIFA+に語った。
1970年代から80年代にかけてブラジル代表の背番号10を背負った歴史的選手であり、日本サッカーの後援者ともいえるジーコは、2022 FIFAワールドカップ カタールの開幕数週間前に森保一監督と対談を行った。そのなかで彼は、旧知の戦友を勇気づけ、ドイツとスペインが同居するグループステージを日本が突破できる可能性は十分にあると伝えた。だが一方で、コスタリカには警戒する必要があるとも忠告していた。
グループステージで最高のパフォーマンスを見せた日本は、優勝経験を持つ2チームを撃破。ドイツを敗退に追い込み、グループ首位でベスト16進出を決めた。だがジーコの警告どおり、コスタリカには敗戦を喫してしまった。
「私にとって彼はとてもいい友人だ。最初の頃(1990年代のジーコ来日時)から対戦していた。素晴らしい人柄で、いい監督で、素晴らしい選手だった」とジーコは森保監督についてFIFA +に話してくれた。
「ドイツやスペインに臆するな。いままでのように伝統や歴史の重みではもう勝てないし、ヨーロッパのチームはスピーディなアジア人を相手にするのは難しい」というのが、ジーコが森保監督に伝えた言葉だ。「私も日本代表監督として何度か戦ったが、彼ら(欧州勢)はいつもやりにくそうだった。もちろんドイツもね」
さらにガリーニョ(ジーコの愛称)は、コスタリカ戦での油断は禁物だという忠告を伝えたことにも言及した。「ドイツ戦はタフな試合になると想像していた。そういう集中力を要する試合のあとは、気が緩んで間違った方向に進んでしまいがちだと警告したんだ」。ジーコの言うとおり、日本代表はコスタリカ戦を落としてしまう。しかし幸いなことに、グループステージ敗退という事態には至らなかった。
【@FIFA+】
日本代表はハリーファ国際スタジアムでもドイツ戦に続いて歴史的な逆転劇を演じ、ラ・ロハ(スペイン代表の愛称)を2-1で下してみせた。ジーコもこの激闘を目にしていた。
「スタジアムでこんなに感動したのは何年ぶりだろうか。あらゆる思い出が頭の中に蘇ってきたよ」 10万人以上のサポーターが詰めかけるマラカナンで何百回もプレーした経験を持つジーコは、日本代表の快進撃をそう言って称えた。
【@FIFA+】
「工場の敷地内に土のグラウンドがあった。ちょうどプロリーグ発足の話をし始めていたところだった。国内のトップリーグはすでに存在していたが、経済大国であった日本にとってはあまりにも小さな規模だった」と当時を振り返る。
「キャリアの中ですべてをやり尽くしていたので、プレーをすること自体は私にとってそこまで重要ではなかった。ゼロからのスタートとなる日本サッカーに方向を示すことこそが最重要だった。そして、いまの日本サッカーを見てほしい。プロリーグが発足して以来、彼らは毎回ワールドカップに出場してきた。素晴らしいことだ」
日本が開催国となった2002年大会から現在に至るまで一連の流れを考えれば、日本代表がワールドカップ本大会で旋風を巻き起こすのは時間の問題だとジーコは考えていた。実際にカタールでは、彼らの最高のパフォーマンスを目にすることができた。
これまで日本は2002年、2010年、2018年に16強まで勝ち進んだのが最高成績だった。グループステージを首位通過したのは20年前の1回だけだ。自国開催の大会では、今回のように元世界チャンピオンが相手ではなかったとはいえ、ベルギー、ロシア、チュニジアを抑えてグループを制することに成功していた。
Jリーグ創設時を振り返れば、現在とは隔世の感がある。ブラジルのレジェンドに言わせれば、特に困難だった仕事のひとつは意識変革を促すことだという。
「もっとも苦労したのは、現在の状態から新しい状態へと変化させることだった。失敗を恐れるべきではないが、失敗を恐れることは日本の文化の一部でもあるので難しかった。ミスを犯すことはゲームの一部だ。クロスを上げてミスしたとしても大丈夫だ、と彼らに伝えた。次に成功すればいいんだ、と」
日本が敗退に終わったいま、次にやるべきことは2026年のFIFAワールドカップ アメリカ/メキシコ大会への準備だ。日本代表は再び、成功に向けて4年間の努力を重ねていくことになる。鹿島にいてもリオデジャネイロにいても、ジーコはいつも日本とともにあり、日本サッカーの向上を目指していく。
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