【浦和レッズスペシャルインタビュー】今も忘れぬ「兄貴」と「大恩人」のアドバイス。1つ壁を越えた小泉佳穂が臨む、彼らが所属する札幌戦へ

浦和レッドダイヤモンズ
チーム・協会

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12日、浦和レッズは埼玉スタジアムで行われる、明治安田生命J1リーグ第27節 北海道コンサドーレ札幌戦【MATCH PARTNER DHL】に臨む。

8日のサガン鳥栖戦を2-1で制し、ホームで連勝を狙うレッズ。鳥栖戦でゴールを決めるなどチームの勝利に貢献し、札幌に所属する2人の選手にゆかりのある小泉佳穂に話を聞いた。

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相手からボールを奪い、勢いそのままにドリブルを仕掛け、左足で思い切りよくシュートを放つ。ボールの行方を確認するとスピードを緩めぬままにゴール裏に向かい、腰の下から拳を突き上げ、咆哮した。

チームメートと抱擁すると、再びゴール裏を向いて声援を受け止めるかのように手を広げる。そして踵を返すと、両手の親指で背中を指し、左胸のエンブレムを3回叩いた。

「昨日のゴールパフォーマンスは今までで最も自然だったかもしれません。背中を指すポーズは意識して付け加えましたが、その他は何も考えずに、ただただ溢れ出てくるものでした」

ゴール後の一連の行動についてそう話した後、小泉はかみ締めるように言葉を加えた。

「点を取るって、いいですね」

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鳥栖戦の3日前、26歳の誕生日を迎えた小泉は、25歳の1年間を「苦しかった」と表現した。もう誕生日を祝われてもうれしい年齢ではなく、「22歳で止まりたかった」と笑いながら、小泉の口から出たのは焦りや葛藤だった。

小泉はいつも悩んでいる。1年のうちで悩まない日は何日あるのだろう。おそらく圧倒的に少なく、数えるくらい。もしかしたら全く悩まない日は1日もないのかもしれない。

考え込んでいるという表現の方が適切かもしれないが、考え込んでいるうちに悩んでしまう。無我夢中になっているときは悩むことを忘れるが、「もっと上に行くにはどうすればいいんだろう?」と頭に浮かぶと、また考え込んでしまう。

「面倒くさい性格なんですよね。それは自分でも分かっていますし、もっと楽に生きたいとも思ったりもしますが、こればっかりはどうしようもないです」

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今季は小泉にとって、現時点では何よりも先に「苦しかった」という言葉が出てくるシーズンだった。その大きな要因は、トレーニングキャンプで怪我を負ったこと。FUJIFILM SUPER CUP 2022 川崎フロンターレ戦を欠場し、明治安田生命J1リーグ 第1節 京都サンガF.C.戦には途中出場したものの、しばらくベストコンディションでプレーできず、自分のプレーを取り戻すために時間を要した。

ただ、怪我をした、悩んだということだけではなく、シーズン序盤はそれを消化しきれないもどかしさもあった。

小泉にとっての良き相談相手の1人、西 大伍がチームを去ったからだ。

何でも話せる間柄だった。西は何でも受け入れてくれる気量はあるが、何でもうなずきながら聞いてくれるわけではない。だからこそ信頼できた。

「後輩の意見をまとめてくれる人というのはそう多くはいないと思います。こちらの意見を受け入れてくれることがまずすごいと思いますし、受け入れた上で違うと思うことは、はっきりと違うと言えるんです。しかも感情を抜きにして。今では話せるチームメートも増えましたが、新加入の選手が多く、どういう人なのか観察していた時期は、大伍さんのような人に自分の苦しみを話せたり、違う視点でアドバイスしてくれたりする人は、確かにいませんでした。大伍さんを一言で表現するなら、まさに『兄貴』です」

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悩むことが自然である小泉だが、一方でプロになったばかりのころは割り切って考えていることもあった。

「僕はつい、『こんなもんだろ』と思ってしまうんです。こういう仕事は自分向きではない。自分はそういうタイプではない。それはそれで大事な考え方だとは思います。できることとできないことを割り切って、できることにしっかりと取り組むことも大事なメンタリティーだと思います。でも、『こんなもんかな』と思うと、そこで成長が止まってしまう」

その考えを変えるきっかけを与えた人物がいる。小野伸二だ。現在は北海道コンサドーレ札幌でプレーし、FC琉球で小泉のチームメートだった。かつてレッズで8番を背負い、活躍をしたその人である。

「最初に『お前はもっとできる』と言ってくれたのが伸二さんでした。『お前はもっと点が取れる。もっとシュートを打て』。伸二さんからはよくそう言われていました」

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小野と出会って3年が経った。当時から「分かっているつもり」だったことが、それからの経験で「本当の意味で理解できるようになってきた」

そして小野から言われていたこと、レッズに加入して以降、「すごく考えてやってきた」ことが結果として現れたのが、鳥栖戦のゴールシーンだった。

「チームのために何ができるのか、どうすれば守れるかということをこの2年はすごく考えていました。チーム戦術もそうですが、個人戦術も考えながら守備をしていたことが、今シーズンになって自分の強みになりつつあると感じています」

大畑歩夢、キャスパー ユンカーが敵陣で続けて相手にプレッシャーをかけ、相手がボールを下げると、全速力でボールに向かい、相手がパスを出すと足を伸ばしてボールを奪った。チーム戦術と小泉の個人戦術がかみ合った結果だった。

「まず歩夢の押し上げが素晴らしくて、あのプレッシャーの速度と間合いの詰め方で下げさせているし、相手のミスを誘っていました。キャスパーも守備をしてくれました。あれだけ集団で守備ができると、いい奪い方ができる。すごくいい連動ができました」
そして思いきりの良いシュート。今でもシュートを打つことが必ずしも最優先ではなく、ベストな判断をしたいという気持ちが強いが、鳥栖戦のゴールシーンはシュートが最善の選択だった。

「中に人がいたら、パスを選択していたかもしれません。角度がなかったのでそうそう入らないとも思いましたから。でも、ブライアン(リンセン)が間に合っていなかったので、シュートを打ちました。やっぱり大事ですね。思いきってやってみるということは」

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そして試合後、SNSで勝利とゴールを報告すると、メッセージが届いた。

差出人は、小野だった。

「『ナイスゴール』と伝えてくれました。それから『頑張れ』って。伸二さんは僕にとって大恩人です。伸二さんがいなければ、絶対にここまで来ていなかった。そんな方から言われたら、頑張らなきゃ」

満面の笑みを浮かべながら、しかし語尾で口調を強くして、小泉はそう言った。

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「先週1週間はいろいろな葛藤、いろいろなストレスがありました。」

その一方、悩んだからこそ分かったこと、そして成長を実感できた。

「いろいろな葛藤があって、いろいろなストレスがあった1週間でしたけど、それをいいエネルギーに変えられました。いいエネルギーにしただけではなくて、そのストレスや葛藤は一旦置いておいて、ただただプレーに向き合って勝利に向き合うこともできました。エネルギーには変えながらもそこからはしっかりと距離を取って、いい準備、いい状態、フラットなメンタリティーで試合に臨めました。そこは今年、特に成長したというところだと思っています」

壁を乗り越えた。そう表現していいのだろうか。そう問われると、小泉は少しだけ間を空けて答えた。

「乗り越えたと言えると思います。小さな壁かもしれないけど、その繰り返しですから。できることが1つ増えたというか、幅が広がったと思います」

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1つの壁を乗り越え、次に迎えるのは札幌戦。小学生時代から好きだったことに加え、2人が付けていたことも多分に影響している8番を背負って戦い続けた2022シーズンのホームゲームも、札幌戦を含めて残り2試合となった。

2人の今季の出場試合数を見れば、ピッチでの『再開』は難しいかもしれない。「最初は怖かったけど、実際にはすごく優しいし、お世話になった」興梠慎三もレッズからの期限付き移籍であるため契約上の理由で出場しない。

それでも、彼らが自チームの試合を見ないはずはない。つまり小泉が試合に出場すれば、プレーを見てもらえることになる。

「それはいいモチベーションをなります」

小泉は真っすぐに答えた。しかし、すぐにそれを打ち消しもした。

「先週のストレスや葛藤と同じように、それはそれ、試合は試合と考えています。ただただいい準備をして、試合に勝つためにやるべきことに目を向けて、モチベーションを高めたい。それができるようになってくればようやくプロサッカー選手らしくなってきたと言えると思います。ようやくなってきたな、と思います。伸二さんと出会った大卒1年目のころには絶対にできませんでしたから」

彼らに成長した姿を見せたいが、まずは最善を尽くす。札幌戦でチームが勝利するために。そして、また考え込んで、悩んで、次の壁を越えた先にある、さらなる成長のために。

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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