大学スポーツはどう輝けるか(小宮山悟/野球部監督×清宮克幸/ラグビー蹴球部元監督) 早稲田スポーツ『44の円陣』 

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【早稲田スポーツ新聞会】

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【早稲田スポーツ新聞会】取材・写真・編集 臼井恭香、谷口花、山本泰新

出会いは大学1年時。クラスの出席番号で前後になったことがきっかけだった。今も昔も早稲田スポーツを代表する野球、ラグビーというスポーツの中核を担ってきた小宮山悟野球部監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)と清宮克幸ラグビー蹴球部元監督(平2教卒=大阪・茨田)。選手として、指導者として両方の立場から早稲田スポーツに関わってきたお二方が考える大学スポーツの「今」とは――。
 ※この取材は6月6日に行われました。

――現役時代にお二方の交流はありましたか

小宮山 ありますか、というかもう18歳から。

清宮 (笑)。

小宮山 彼はさ、アスリート推薦入試、要はラグビー部の将来中心になる予定で入学している1年生。俺は勉強ができなかったので、受験勉強をして合格して野球部に入れてもらったんですよ。そういうところから偶然同じクラスになって、そこからの付き合いですよ。

――いかがでしょうか清宮さん

小宮山・清宮 (笑)。

清宮 そのまんまよ。それ以上でもそれ以下でもない。

――それは学部が一緒だったのですか

小宮山 そうそうそう。クラスが一緒。

清宮 かきくけこ(でクラス分け)だから。

一同 あー。

清宮 出席番号順に4つのクラスに分けられて、それの2組。

――当時はクラス分けで配属されていたのですか

小宮山 授業がクラスで。教育学部体育学専修って体育会の人たちが。その当時はさ、人数が少なく他の運動部員がたくさんいたんだよね。今もうほぼほぼスポーツ科学部の学生が多い状況になっているけど、野球部でいうとね、その当時その教育学部体育学専修が半数以下だった。8人くらい。であとは他の学部、第二文学部とか社会科学部っていう、他の学部と比べるとちょっと入学しやすい学部が存在していたので、その学部の学生も結構数多くいてっていう感じかな。当時は40人同期がいて、たぶん20人は浪人生だった。10人が普通に現役で通ってて、10人付属みたいな感じ。現役で通った10の人のうちの2人が特別選抜スポーツ推薦っていうルールになってました。

――クラスの様子は

小宮山 彼(清宮)はね、教室でパチンコやってた。

一同 (笑)。

清宮 まあね、プライベートも近かったし、やっぱり授業一緒にやるから仲良くなるよな。

小宮山 そうね、これは今のシステムがどうなっているか分からないんだけど、クラス単位で行動して、4クラスあったうちの1組2組はほぼ毎週同じスケジュールで動くことになっていたんだけど、人数が少ないので2クラス合同で授業とかあったんだよ。で、われわれ体育の実技を授業でしなきゃいけないので、水泳の授業とかそういうのは2クラス一緒にやったりとか、D1D2とD3D4とかそんな組み合わせでいろいろと。ファンキーな4年間を過ごしましたよ

一同 (笑)。

清宮 そうそう一緒にね、千葉の海に。その時の写真あるかな。

小宮山 あれは岡田先生が保存してくださっていた。今ウエイトリフティングの部長やってる岡田純一。今度競技スポーツセンターの副社長の。彼もクラスメイトなんですよ。彼はしっかりしているからいろんな記録も保存していて、いまだに保管しているわけ。ことあるごとに小出しにしてわれわれに提供してくる。

一同 (笑)。

小宮山 学生時代の昔懐かしい写真とかを見せてもらって、懐かしいもんですよ。

清宮 そのクラスの中に、これ(小宮山監督)は野球部のエースでプロ野球選手になったり、まあ俺はラグビーのキャプテンだったり、さっきの岡田は大学時代ウエイトリフティングの学生チャンピオンだったり、レスリングでチャンピオンの木村がいたりとか、いろいろよ。

「ラグビーの連中に対するリスペクトは相当ありました」(小宮山)

――部活動としての接点はあったのですか

小宮山 活動の接点はない。ラグビー部の活動として練習がどうとか、われわれは一切把握できてないので。野球は野球で野球の練習を一生懸命やって。ラグビー部が野球の早慶戦を観に来たか分からないけど、われわれはラグビーの早明戦を見に行ってるの。12月の第1週の早明戦に関しては野球は見に行ける環境なのでね。

清宮 卒業してからラグビー部は野球の早慶戦とか見に行くようになったよ。

小宮山 うん、忙しいから。命の懸け方が違うから。コンタクトスポーツで、ひょっとしたら死ぬかもしれないという練習するラグビーと、われわれは小さい頃から野球をやってたからさ。その技術を上げるために慣れ親しんだことを常に毎日やっているので、危険度で言ったら天と地の差。もちろんね、硬いボールだから頭に当たったら死んじゃうとかバットが頭に当たったら死んじゃうとか危険性はあるけど、そんなことは起こり得ないので、それを考えるとボールを追いかけて行って体でボールを止めてそこに人が乗ってきて。そんなんでいったら怪我の容態が全然違うので。まあこれ(清宮)は1年生の頃からレギュラー取れそうだったけど大変なことだった。そんなのを近くで見ているとね、ラグビーの連中に対するリスペクトは相当ありましたよ。早稲田の学生の運動部員たちは全員がそういう思いを持っていたなあ。

清宮 野球部は早明戦とか見に来てくれてね、あれ監督が言っているんだよね。それがずっと続いていて、俺が2001年に早稲田の監督になった時も、学生を引き連れて、年に1回試合見に来てくれるっていうのはあった。早稲田の野球部はラグビーを必ず見てるっていう環境。

小宮山 体育会、同じ運動部員として「早稲田とは」というのをもう一度改めて感じられる場所。早稲田の学生としてのアイデンティティーの確立だよね。

清宮 今どう?

小宮山 今コロナ。一応頼んではいたよ、チケットの手配。

そんなお二方にとって大学野球・大学ラグビーはそれぞれどのようなものでしたか

小宮山 俺はとにかく早稲田で野球がしたいと思って、受験勉強して、ようやく合格できて、というところから入っているので、もう唯一無二ですよ。だから野球を取り上げられたら何も残らない廃人のようなぐらいの感覚で、入部はしています。ただ、それじゃ世の中に出た時に通用しないというのを見たりして、世の中に出て通用する人間になろうといろいろとやっていました。

清宮 早稲田の体育会の学生とか一般の学生とか関係なく、何年卒業とか説明する時に、野球で言えば「小宮山と同期」、ラグビーでいうと「清宮と同期」、「2年違い」とか、ラグビーと野球の選手って世代を代表する象徴としての扱われ方っていうのはずっと昔も今も(同じ)。

小宮山 さらにいうと、やっぱり飛び抜けた存在にならないとその目印にしてもらえないわけですよ。例えばちょっと前に世の中に出た斎藤佑樹。この年を基準に考えられる。「ハンカチが一年生の時の4年生です。」っていう言い方をされる。そうすると、その4年生の時の野球部のキャプテンだったやつが面目が立たないわけよ。そういうのでいうと本当に、「全早大生の起点になる存在になりうる」というのは、今学生に言っています。それこそ2年前に卒業した早川だね。今はもう早川基準になっているので。早川の前後1、2年は、「早川の1つ上です」とか「早川より2つ下」とかそういう話になるので。そのへんのところでいうと、本当にシンボルとしての存在として、評価される人物かというのが大事なところですね。

「変えられるものは全部変えた」(清宮)

――そんな中で4年生の時に主将を務めていたお二人ですが、引っ張っていく中でご自身が大切にしていたことはありますか

小宮山 俺の時は監督が偉大すぎたので、その監督から「お前がやれ」ということで指名されて。その時に学んだことは、「余計なことは言っちゃだめだ」と。キャプテンとして学生に対して「あれやれ」「これやれ」とか指示するんだったら、てめえでやれっていう話なので。背中で学生たちにいろんな姿勢を見せて。

清宮 ラグビーはね、スポーツの特性かもしれないけど、自分たちで未来を変えていくっていうことを思考するスポーツ。俺がキャプテンだった時は、とにかく前年度勝てるはずのチームが勝てなかった。同じことを絶対したくなかったので、あらゆるものを変えてやろうと思って、変えられるものは全部変えた。例えばロッカーとか。寮の机とか、椅子とか、食器とか、戦い方とか、戦術戦法も全部変えて、とにかく負けた原因を突き詰める。すると、自分たちの強みが出てない試合をしているので、自分たちが勝てるように外国人のコーチを呼んだりとか、歴史的に初めてなんだけどね。そういうのをラグビーは選手たちが自主的にできるっていう。やったほうが結果が出るスポーツなので。やらせてもらったキャプテンだったから。

――指導をしていく中で、現代の選手と当時の選手の違いはどのように捉えていますか

小宮山 言葉がちょっと悪いけど、大人と子供だと思います。われわれくらいの年齢の時って、大学生なんだけど考え方を含め大人だったんだよね。その当時の自分で言うと、「監督の存在は絶対」なんです。その絶対的な考え方で「野球部をこうする」っていう指示のもと、われわれが言われたことをきちんと咀嚼(そしゃく)して、「こうすべき」「ああすべき」って考えてプレーをするということで成り立っている。今は上からトップダウンで「ああしろ」「こうしろ」ってことになると、理解できないレベルになる可能性がある。さらにいくと、さっきラグビーの話でもあったけど、学生たちが自分たちで考えて、「こうしたい」「ああしたい」って。そういう動きでやることをサポートするのが今の監督の立ち位置になっています。

清宮 今と昔の決定的な違いは情報の量の多さで、昔は監督コーチが「こうなんだ」って言ったらそれしかなかった。それが正しいかどうかはさておき、信じ切ってやり切る強さがあったんだけど、今は「こうなんだ」って言っても他にもやり方があるって言うのを学生たちが分かる。情報として。だから、監督が「こうだ」っていっても、いや、「こっちのほうが確率高い」、「こっちの方が面白い」とかっていうのを学生たちが理解をしてしまっているので、物を教える人間はそういうもの全てを理解した上で新しい早稲田ラグビーの創造を掲げないといけない難しさっていうのはあると思う。

身振り手振りを交えて語る小宮山監督(左)と清宮元監督 【早稲田スポーツ新聞会】

――指導する時に心掛けていたことは

清宮 当時は学生たちは何も情報を持っていないから、俺が「こうだ」って言ったことに対して、100%信じ込んでくるから、チームを作りやすかった。それがもう眼から鱗で、選手は自分たちが知らないことばっかり俺が知っているわけだから、それはチームを作りやすかったですよ。

小宮山 野球はさ、単純なスポーツなので、

清宮 単純じゃねーだろ(笑)。

小宮山 いやいや来た球打ちゃいいだけだから。それを自分たちの考え方で「こういう形でこうやって打つ」って言うのを一生懸命取り組んでやっているわけですよ。ところがまあ、経験を積んできてものから言わせてもらうと、「お前のその上っ面だけ見ている知識で打てるわけねーだろ」っていう話。それを頭ごなしに、「打てねえからこうしろ」はいまご法度なわけですよ。打てると思ってやっていることを「じゃあ打てるもんならやってみろ」っていう。その代わり「絶対打てないよ」って最初に言っておいてあげる。そこでこいつが歯を食いしばって、「あんなこと言われたら絶対打ってやる」っていって一生懸命努力する、っていうのがわれわれにとってはよしとしていることなんですよ。ところが「打てない」って分かった時に「やっぱりこうしなきゃいけない」って慌てて思うようになることがないようにこっちでは事前に準備しておかないといけない。打てなかった時のために。「なあ言ったろ、だからこうしなきゃいけないんだ」って適切なアドバイスをしてあげて、打てるようにしてあげないといけない、というのはわれわれの仕事。その探索を常にしておかなければいけない状況です。素直なやつはこっちからのヒントを受けとめて、納得して行動に移せるんだろうけど、意地を張って頑張り続けるやつっていうのもたくさんいるので。そいつらをどうやってうまくチームにフィットさせようかな、というのを毎日考えてる。

「グラウンド入った瞬間に、キリッと空気が変わるくらいの存在じゃないと」(小宮山)

――監督と学生との関わり方はどうあるべきでしょうか

小宮山 難しいところだよね。OBの仲間とかには、「学生のレベルまで降りてこなきゃだめだ」ということはよく言われていました。でも俺はそこまで降りて行っちゃうとだめだと思っていて。「その人に勝てねえ」ってところに立ってないと。彼らに指示できないと思う。「一緒に頑張ろうよ」、じゃたぶん「俺じゃダメ」って言うと思う。そこまで下には降りていないし、ギリギリを保った状態で救いの手を差し伸べているという感じかな。

清宮 まあね、指導者と選手というのは同等の立場というのはあり得ない。例えば俺の前で選手が良いパフォーマンスを見せてやろうとか、普段よりも力を発揮して頑張ろうというような特別な動作をすることが、監督と選手たちの立ち位置の違いで自然と発生するのがあるべき姿だと思います。それくらいの立ち位置じゃないと組織としての結果は出ないというふうに思いますね。いてもいなくても関係ないみたいな立場は僕は違うなと思う。

小宮山 グラウンド入った瞬間に、キリッと空気が変わるくらいの存在じゃないとだめだね。そこを彼らはどう理解していくか。逆に言うと学生マネージャーがレポートで、「監督のことを気にしすぎているんじゃないか」というのが来てるんだけど、こっちの言い分としたら「当たり前じゃないか、監督が来て監督を気にしながらやらなかったら誰を気にしてやるんだ、その監督に使いたいと思わせるような選手にならないといつまで経っても試合なんか出られないよ」と。「グラウンドの中で飛び抜けて目立つようなことをしないと、目に留まらないというレベルのプレーをしろよ」と。そこでアピールするんだという話で、それは監督が見てる時に張り切って頑張るのは当然じゃないか。ところがゲームになった時に監督に叱られるんじゃないかというのを気にするというのは、それが叱られるんじゃないかというプレーをするから、叱られるんじゃないかと思うんだよ。

清宮 まあね、野球とラグビーはスポーツの特性や性質が違うのでね。ラグビーは「こういうことをして、こういう数字が発揮できたら、こういうことができる」という大体のことが計算できるんですよ。例えばフロントローのポジションで体重がどれだけあって、筋肉がどれくらいになるとどれくらいのパフォーマンスが出るということが明確にあるので組み立てしやすいし、再現性の高いスポーツ。つまり練習したことがそのまま成績に出ることが多い。

小宮山 逆にどういうふうにスポーツ見てます? ラグビーって、試合が始まる前に、自分の優劣がひっくり返るということはほとんどない。よっぽどのことがない限り、たぶん下馬評通りの結果や善戦したと言われるような敗北、それは戦う前から分かっている。でもああひょっとしたらというところまで追い詰めたり、

清宮 あわよくばっていう、そういうね。

小宮山 それは相当な評価だと思うよ、ラグビーは。ところが野球は大投手が投げてたった一球のミスで負ける可能性がある。なので、競技性でいうと、野球の方がスリリングだと思う。何が起きるか分からないというのをどっかで期待が持てる競技。エースとされるピッチャーがその日に限って乱調で、思うようにならないと序盤で試合が終わってしまいます。そんなことも含めて競技でいうとかなり試合の中でぐちゃぐちゃになる、それが野球だよね。それを学生に落とし込んで、「お前らしっかりやれよ」と言ったところで、プロじゃなくて学生ですから。結果が伴わないことが多々あるから。それらを学生たちがどう捉えて練習し続けるかということを監督として意識しながら指導していますね。

――印象に残っている選手はいますか

小宮山 早川(早川隆久、令2スポ卒=現東北楽天ゴールデンイーグルス)だね。なんにも言うところないよ。あれだけ黙って練習してて、そりゃああれだけの結果も出るよ。

――早川選手は日頃からトレーニングをしていたのですか

小宮山 うんうん、もう常にお前やりすぎじゃないかと思うくらいの感じでしたから。あとは、その一個上に野口(野口陸良=令元スポ卒)というピッチャーがいて、(元々は)箸にも棒にも掛からないようなレベルでして、でも本当に黙々と、一生懸命努力を重ねてリーグ戦のベンチに入って、なおかつしっかりとしたピッチングを見せてくれた。その挙句、最後の早慶戦で3回で0点に抑えたのかな。その3回0点に抑えたおかげでサヨナラ勝ち出来たというシーンがある。そういうのを見ると努力は報われないとしたらやってて面白くないだろうし、身近なところでそういう存在がいるというのは、他の学生の刺激にもなっただろうと思う。この春、惨敗した結果を受けて、全員にレポート提出させて、そこでコメントでいくつかでていたのは「レギュラーじゃなかったやつが最後試合に出て、活躍した姿を見て刺激を受けた」と。「俺たちもできるんじゃないかという気になった」と。そういう思いにさせるというのも部にとっては大きな効果があったなと。ただ本来のレギュラーの力が出来ていないのが一番の問題だなと、そこを一番なんとかしなければならない。

清宮 このポジションだったらここまでだけど、ちがう環境を与えたらすごい結果を出したみたいな選手がやっぱり印象に残るよね。そういう選手がいると周りが「おれもできるんじゃないか」と思うようになるので、チームの熱が循環する、実際そういうことが起きないと化学変化が起きない、価値がない。想像したとおりに入学した後、卒業までの4年間終わって「まあこんなもんでしたね」じゃあ学生スポーツの意味がない。4年間やったことでこんなに変わったり新しい人格が生まれたり、みたいなことが学生スポーツの良さだと思いますね。

――野球もラグビーも早稲田を代表する大学スポーツです。ご自身の選手時代の環境、現在の環境の違いをどのように捉えていますか

小宮山  野球に関して言うと、ちょうどわれわれの学生の時にグラウンドの移転があったんですよ。今の総合学術センターのところに野球部のグラウンドがあって、そこから今の東伏見の野球場に移転したんだけど、その当時の部員数は学年で大体20名程度だったんだけど、80名を想定して施設を作ったんですよ。ところが倍近い人数が来て。その人数をひとつの室内練習場で、授業がある時間帯を縫って、練習を、機能的にやれっていうのは、まず無理なんですよね。なので施設面は、今、立派は施設をあてがってもらってるけど、野球の競技性を考えると、もう一面練習場がないと、正しい練習をさせることができない。セレクションとかやらないのは、基本的に来るものをこばまず、去るものを追わず、これは踏襲(とうしゅう)しないといけない(ので、部員を減らすこともしない)。

清宮 俺はそれを変えたんだよね。やらないといけない時期に来ている。

小宮山 決められた施設、限られた施設と限られた志望人数とスタッフ、限られた人間で共有する、享受(きょうじゅ)することによって、チームがこれくらい強くなるというのは、あたりまえのことなんだけど、これは強い時にやらないと、弱くなってしまったら、そういう考え方が成り立たないから。(監督になって)3年目、4年目かな。部員の整理をしたわけね。まあ、近々の課題はそれ(部員の人数と練習の質)ですよ。数が多くなればなるほど、練習の内容が薄まっちゃう。その薄まった中で成果を上げようというのがなかなかね。そういうふうにいかないのであれば、本当に選ばれたものしかプレーできないという状況を作れば、それは、中身の濃い練習ができる。チーム力も相当なものになる。ただそれは、1901年創部の早稲田大学野球部の本来目指すべきところとは違ってしまうので、そこの葛藤ですよ。

清宮  歴史的に野球もラグビーも同じで、そのセレクションをやらないというのは、昔からの歴史なんでね、それが良しとしてやってきたんだけど、何が起きたかっていうと、ラグビーの場合セレクションはしないんだけど、精神的に強いものが残る。要は、120人入ってきて、30人、40人になるまで絞るみたいなことね、ずっと歴史的にやってきた。まあ、自主的に止辞めて、人が少なくなる。結果的になにが残るかというと、やめていく人間の方にすごい素質がある人間がいっぱいいる、っていう。素質のある人間をひとまとめに強化するんじゃなくて、ピックアップしてそれぞれの体格、中身にあった新人練習をやるようになった。

――野球の場合は練習時間が決まっていると思うのですが、自主練習はどうしていますか

小宮山  個別で練習したいんだけど、そのスペースがないので、本来やりたいやつらができない、上級生とかが、順番、優先順位があるのでそういう点でいくと、能力が伸びずにいる連中は、そういうところが原因なんだろうな。

――早大で大学スポーツを経験していますが、今に生きていることはありますか

小宮山 恩恵しか受けてないよ。野球部だからってことよりも早稲田大学だからっていうことの方が大きいかな。まあ、とにかく、早稲田の良さというのは、そういうことだと思うので。 さっきも言ったけど、大学ラグビーがシンボリックな存在だということで言うと、その中で応援してくださっている全国の早稲田OBの方とお会いした時に、「何年卒なんですよ」、みたいな話をした時に、野球部だったら、「誰それの時代なんです」とか、われわれもその先輩のことを知っていれば、その先輩をいろいろ話の中に取り込みながら良好な関係を築いて。本当に全国どこにでも稲門の方いらっしゃるので、そういう時に早稲田で良かったとしみじみ思います。

清宮 早稲田というところを出て、出ることの価値、出ることによっての何かメリット、俺たちほど共有している人間はいないと思う。体育会で過ごした分、俺たちはほんとに早稲田のメリットを共有してるなって思う。

――プロに対して大学スポーツはどういう役割と見ていますか

小宮山 一番は、「小さい頃からプロになりたいんだ」という思いを持って育ってきて、中学、高校と名をはせたあとで、「4年間早稲田でプレーしたあとにプロになるんだ」という思いが、「早稲田じゃないと嫌」という思いなのか、それとも「大学で4年間やったあとにとりあえずプロにいくための4年間にするんだ」という思いだと天と地ほどの差があるんですよ。われわれとしたら、「早稲田じゃなきゃだめなんだ」、「嫌なんだ」という人間を欲しているわけです。なので、「プロにいって、野球をしたい」っていう思いのある人間は、1日でも早くプロに行ったほうがいい。ただ、早稲田での4年間を本当に重要なものという位置付け、早稲田という4年間を過ごしてからでも遅くはない、ということを説明したい。で、本人が「お世話になります」っていう気持ちになってくれたら、それはそれで4年後、「いいかたちでプロに送り出したいな」、「送り出せるように鍛えなければいけないな」という感じはある。大学野球の位置付けでいうと、結果プロに行ける、っていうやつは中にはいるんですよ。その典型が俺なんだけど。大学の4年間鍛え上げてもらったおかげで、なおかつ飛び抜けた存在になることができたおかげで、プロのスカウトの目に留まってプロの方に行けるという流れになってる。どこで何がどうなるのか分からない。ただ、プロに行きたいという思いを高校時代に持ってるんだったら、じゃあ、そういうつもりで練習しなさい。そのための4年間の位置付け、なおかつ、「早稲田大学の野球部じゃなきゃダメなんだ」という思いがあるんだったら、早稲田の野球部についての歴史と伝統を学んで、世の中に出た時に早稲田だと胸を張れるような4年間をしっかり過ごすことが大事。

清宮 ラグビーはね、18でプロになっても全く通用しないので。肉体的に、精神的にも大学の4年間というのは貴重な時間、その中で早稲田を選ぶという子どもたちは、やっぱり小さい頃からの憧れがあって、あのジャージを着て気合いを入れて4年間やった後に、まだ上のレベルを狙える人間が、ラグビーをするためのチームに会社に入るし、だいたいはそこでラグビーは一旦終わるっていう感じ。

小宮山 それは、全ての競技でそうなんじゃないの? プロとアマチュアの境について、いろんなとこで話するんだけど、大学までは自分の意思でプレーする、ところが次のステージでは、自分の意思ではどうすることもできない。相手方が来てくれって声を掛けてくれないとプレーすることができない。それを考えると在学中に次のステージで野球がしたいっていうやつはいっぱいいる、でも己を知れって。早稲田で思うように試合にも出れないやつは、もっと狭き門、社会人野球、プロの世界には行けるわけねぇだろ。そこに行って野球をしたいのであればまず、ここで試合に出る選手になれよ。それが思うようにならないやつは、お金もらって野球なんかできるわけねぇだろ。その判断力がない、そういうのは子供だ。

清宮 われわれの頃はそんなことなかった。声掛けられて社会人でやる、プロでやりたいっていうことを口にする人はいなかったよ。

――伝統のある早慶戦は大学スポーツの中でどういう位置付けになるべきだと考えていますか

小宮山 すべての高校の憧れにならないといけないと思いますよ。ラグビーは早慶戦より早明戦の方がこだわりが強くなっていると思うんだけど、早稲田の学生スポーツのトップという位置付けにあらしめるものが、おそらく野球の早慶戦であり、ラグビーの早明戦である。それでいうと、全国の高校球児が神宮の早慶戦に憧れてもらえるような、そんな試合をし続けなければいけないというのがわれわれの宿命だと思います。そういうつもりで練習はしてますけどね。

清宮 早慶とか早明とか、長く歴史があって先人たちが作り上げてきた文化というものをずっと継承してきているけど、それを支えている人たちは実は見にいく人たちなんだよね、どっちかというと。やっている人たちがいくら頑張ったって、観客がいなければ価値のある大会にはならないし、そこの舞台に立ちたいと憧れる子供たちもいないと思うんだよね。そういう意味で、やっている人間たちは人を呼べるようなものをずっと続けていく必要があるし、逆に大人たちにも「ちょっとチケット代が高くなったから」とか「チケットが取りにくいからいかねぇ」、そうじゃなくて、10年前まで5万人入っていた早明戦が2万人になるってなった時に、早明戦の価値がどんどん下がっていく。歴史が途切れていくので。俺がよく言っているのは大人たちの責任。子供たちに夢を見させるのは、自分たちがワンアクションする、試合会場にいく、早慶戦にいく、この行動。それが未来につながっていくというふうに俺はよくいうんだけど、やっている人間だけで価値を継承していくということはできないので。学生たちがスポーツを見にいく機会がめちゃくちゃ減っているからね。

小宮山 コロナで(新聞の)発行部数は激減?

――そうですね

清宮 だからこそ、「早稲田の人間、早稲田の名前を背負って生活しているみんな、早慶戦行こうよ、早明戦行こうよ」となるように。やっているとは思うけど早稲田スポーツにいる人たちは。年に1回授業をやっているんだけど、スポーツ観戦をしている学生はほとんどいないよ。特にコロナで途切れているから。

小宮山 この春の早慶戦、競技スポーツセンターが全学生にメールを送ったのかな。すげーなと思ったんだけど。44部平等に扱わなきゃいけないと思うんだけど、「野球部だから、早慶戦だから」ということでやってくれたことに対しては非常に感謝していますけどね。まぁ、でも今の学生は神宮に一度も足を運んだことなく卒業する可能性があると考えると本当に怖いよ。これは恐ろしい時代だな。

清宮 いやまぁ、今は一桁じゃない。早明戦、早慶戦を試合観戦したことある大学生。

――現在の大学スポーツの指導はどうあるべきだと考えていますか

小宮山 俺はさっき言った通り、学生が考えていろいろするというのは、正しい姿なんだろうと思っているので。学生たちにはある程度やりたいようにやれるような練習をやらせてはいますけど。春のように結果が伴わなかった場合、そこに関しては大鉈を振るわなければいけないと思っていますけどね。そこのところで学生たちとどこで折り合いをつけるのかというのが課題なんだとは思います。彼らも相当悔しいということを口にしているので、その悔しさがあれば多分秋逆襲できると思います。それでいうと負けてよしというのはどうかなとは思うけど、ああいう結果に終わったことは、これからおそらく好転するだろうとは思いますけど。

清宮 選手を、学生たちを変えることができなければ監督としての責任を果たしていないと思うので。結果を出すことはもちろんだけど。生きていくために人格を変える、そういう立場で俺は監督としてそこに立っていたけどね。だから、「あの人に出会って良かった」、「あの人に教えられて俺の人生が変わった」というようなことを一人でも多く作ってやれるような。

――大学スポーツが今後発展していくためにはどういういった取り組みが必要でしょうか

清宮 まだポテンシャルはあるので、いろんなアイデア、やり方はあると思う。まだスタジアムに5万、6万と入っていた時の人は生きているので。「これをやったら」という話ではないんだけど、チャンスは絶対あるので、それをみんなが真剣に考えること、それを行動することだと思う。

小宮山 そもそもがその競技が好きというのが一番最初にこないといけないと思うんだよ。サークル活動の延長で見に行って、そこから好きになるということはあるかもしれないけど、そもそもが早稲田が好きだとか、ラグビーが好きだとか、野球が好きだというものがないと来たって苦痛でしかないと思うよ。野球なんてなにもなかったら3時間座っているだけでさ。

清宮 いやいや、野球はみんな知ってるから。ラグビーは早稲田に入ったからラグビーに出会ったという人がいっぱいいるわけよ。

小宮山 そういう人のためにもまずは面白い試合を提供するというのが大前提なんじゃないの。

清宮 面白い試合をいくらしたってくる人は来るし、来ない人はこないよ。やっぱり仲間たちと一緒に行こうよ、肩組んで歌おうよという価値観を高めていくしかないと思うよ。早稲田大学に入ったからそういう会場に行けて、よその大学ではできないことだから。早稲田に入ったから、母校を愛するものと知り合って、ラグビーを見に行って、わいわい酒を飲む。2019年のラグビーW杯の時に「にわかラグビーファン」が増えて視聴率も40%ってなった時に、いろんな人がもっと早くラグビーにであっていればよかったっていうんだけど、そういう人たちは早稲田とか他の六大学のレベルの大学に行ってない人たちが多かった。早稲田にいっていたから学生時代からラグビーと知り合っていましたよ。

小宮山 その辺の感覚はわれわれは知っているから。ラグビーが、野球が、って話だけど。全く興味のない人のところにいってどうやって提供するかという話じゃないの。

清宮 いやいや、早稲田の学生は仲間たちと行こうよって盛り上がれるから。

小宮山 「ラグビー見にいこうよ」って誘われても「いやいいよ」というやつが多いんでしょ、今は。そこをじゃあどうするか。

清宮 楽しい試合やいい試合をすることは二の次だと思うよ。だっていい試合をしても分からないもん。

小宮山 それでいってさ、まけちゃったら「つまんねぇ」と言われたらダメなわけじゃん。

清宮 いやいや、勝ち負けで面白いんじゃなくて。

小宮山 勝ち負けで面白いって考えられないというのは普通だよ。見に行った試合が負けたら面白くないっていうんじゃないの。

清宮 それは野球だ、野球。野球だって逆転逆転とする試合だったら面白いじゃん。ラグビーのビッグゲームで大差が生まれる試合はないから。必ず、いい試合をするんで、競るので。

笑顔で語る小宮山監督(左)と清宮元監督 【早稲田スポーツ新聞会】

「何者でもなかった若者が、この4年間で何者かになれる可能性がある」(清宮)

――最後に大学スポーツの価値はどういったものになると考えていますか

小宮山 その人にとって本当に自分の人生を決めるところだと思いますよ、大学の4年間というのは。大学の4年間で培ったものをどう武器として使うのかという話だとおもうので。

清宮 まぁ、俺もおんなじような意味なんだよ。「絆」というのはこの時代同じ時間を過ごした仲間たちと一緒に過ごして、人生が決まるというか、人格が決まるというか。

小宮山 世の中に出て、10年、20年たって学生時代のことを振り返った時に、学生時代の仲間たちの顔が浮かんで、「あんなことしたな」とか、そんな話なんだけど。極端な話、俺ら勉強をそんなにやってなかったクチだから、授業のことなんてまるっきり頭に出てこないでしょ。そんなもんなのよ(笑)。学生スポーツに懸けたものが大きれば大きいほど、世の中に出た時に跳ね返ってくるものは大きいんだと思う。そういうふうに思うと全てをかけてというのが望ましいことかなと思いますね。

清宮 何者でもなかった若者が、この4年間で何者かになれる可能性がある。もちろん、まだ何者かに全然到達できていないんだけど、この4年間で変化の最初の第一歩のステップを踏んで、世の中に出ていく。そいつが30になって成功する。50になって羽ばたく、いろいろあるかもしれないけど、その肝が大学4年間だったというのが、大学スポーツの価値かなと思うけどね。それくらい、価値観が似ていて育ってきた境遇が違うけど、同じ方向を向いた仲間なんてそう手に入るものじゃないんだよね。そういう意味で、70、80のおじいちゃんたちさ、酒飲んで、というのはみんな二十歳の時からの仲間なんだよね。

――ありがとうございました! 

【早稲田スポーツ新聞会】

◆小宮山悟(こみやま・さとる)(写真左)
 1990年(平2)教育学部体育学専修卒業。千葉・芝浦工大柏高出身。2年間の浪人生活を経て早大に入学し、レギュラーとして活躍。卒業後はロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)にドラフト1位で入団し、他にもメジャーリーグ・ニューヨークメッツでのプレー経験など数々の華々しい経歴を持つ。日米の野球界で活躍を収め、現在は早大野球部監督として活動。今年度就任4年目

◆清宮克幸(きよみや・かつゆき)
 1990年(平2)教育学部体育学専修卒業。大阪・茨田高出身。選手時代は大学1年時から頭角を現し、4年時には主将としてチームを『荒ぶる』(日本一)に導く。卒業後はサントリーでプレーを継続し、2001年に現役を引退。その後早大ラグビー蹴球部監督に就任し、低迷していたチームを再び全国大学選手権優勝に導いた。サントリー、ヤマハ発動機ジュビロの監督を歴任。現在は日本ラグビーフットボール協会副会長を務める
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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