「どんな相手にも、一歩も退かない」 リュウジは強気なプレーで相手に挑む #1青木龍史

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#1青木龍史は小学2年生のときに家族の事情でアメリカに渡り、そこでバスケットボールと出会った。

「日本にいたころに、小学校の昼休みとかにシュートをして遊んでいたことはありましたし、遊びのバスケはアメリカでもやっていました。クラブに入ってやり出したのはアメリカに住んでいた小学校6年生のころでしたね」

真剣に取り組むとすぐにその魅力に魅了され、アメリカでずっとバスケを続けた。そんな彼に転機が訪れたのは、大学生のころ。母国である日本で、Bリーグが開幕したのだ。

「アメリカの大学に入ったころに、日本でBリーグが始まったんです。バスケがない人生は考えられなかったので、大学を卒業したあとも、日本で挑戦してみたいと思ったんです」

その目標が、現実になった。ローズ・ハルマン工科大を卒業し、2019年に当時B2の信州ブレイブウォリアーズに特別指定選手として入団。その経緯は少々異色で、きっかけのひとつは彼を取り上げたネットの記事だった。

「その記事は勉強とバスケでいい成績をあげて、表彰されたという内容でした。それを信州の勝久マイケルヘッドコーチ(HC)が読んで、僕のプレー映像も見てもらって、連絡をいただいたんです。今思うと勉強も頑張っていなかったら、マイケルHCから声がかかっていなかっただろうし、最終的に勉強は大事なんだなって思いました」

彼が選出されたのは、学業とスポーツで優秀な成績を収めたものを表彰する「アカデミック・オールアメリカン」という制度。19万人以上の学生アスリートのなかから、わずか15人しか選ばれないひとりに、青木は選ばれたのだ。こうして意外なきっかけで日本のプロリーグでプレーする機会を得た彼だが、その船出は順風満帆とはほど遠いものだった。

「バスケットのスタイルもそうでしたが、それ以前にチームメイトやコーチたちとの接し方や先輩後輩の関係、周りへの気遣い。そういったことに、すごく苦戦しました。アメリカでは、みんなが主張しあう。だけど日本では言葉に出さなくても、なんとなくその場の空気を読んで発言したり、行動したりする。僕がそれまで接してきた文化的なものとは、ギャップしかなかったです。あのころはバスケ意外のことを考え過ぎていたところもあって、気持ち良くプレーできたのはすごく少ない時間だったかなと思います」

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ルーキーイヤーに残したスタッツは18試合出場、1試合平均のプレータイムと得点は2.4分、0.7得点とホロ苦いものだった。その翌シーズンはカテゴリーをひとつ落とし、B3の岩手ビッグブルズでのプレーを選択。それが吉と出た。

「信州で1シーズンを経験して、日本の文化には慣れました。岩手では最初から選手やコーチたちとすごく話をして、本当にバスケに集中できた。信州で辛い思いをしたからこそ、岩手で少しいい方向にいけたのかなと思いますし、それがあったからこそ、今の自分があると思うんです。B3だからと周りから言われたり、自分でも思ったりしたことはゼロではなかったです。だけど今の現状を変えることはできないから、自分がそのなかでできることを精一杯やることだけに集中していました。それが、良い結果に繋がったのかなと思います。自分にとっては、すごくいいシーズンでした」

シーズンを通じてほぼスターターで起用され、1試合平均のプレータイムと得点は21.1分、12得点と、B3ではあるが成績は大幅にアップ。持ち前の得点力を発揮し、シーズン中には1試合で12本の3Pを成功させ、日本人選手の1試合最多得点記録となる46得点をあげたこともあった。信州の時代を助走期間とするならば、岩手でようやく自分らしさが発揮できた。そして今季を迎えるにあたって、その類い稀な得点力に着目したエヴェッサが、青木に獲得のオファーを出す。B3からB1への移籍は、いわば飛び級。それに挑戦する不安は、ないわけではなかった。

「プレータイムが減るかもしれないとか、いろいろと考えましたね。『まずは、B2で結果を残してからというのが普通の考え』だと、周りからアドバイスの声を聞くこともありました。だけど今まで自分が歩んできた道は、あまり前例がない。B3からB1への挑戦も、そのひとつだと思ったんです。自分がしてきた努力が、ここまで導いてくれた。このまま努力をし続けていれば結果が出るという自信は、なぜかあったんです。最終的には100%のマインドで、エヴェッサへの入団を決意できました」

今季は開幕からスターターで起用されたが、やがてプレータイムが減少し、最近はベンチに座ったまま試合を終えることも少なくない。

「ここまでの自分の成績を振り返ると正直、良くないですね。B3とB1の差は、やっぱり感じます。いちばんは、フィジカルが違うなと思いました。個人の運動能力が高いので簡単にボールをもらえなかったり、簡単にシュートができなかったり、相手とのズレを作れなかったりする。それに対応するために、自分の体をもっと強く、速くしないといけない。そう思ったので、最近はトレーニング方法を変えたりして、少しずつ結果が出てきています」

さらなるレベルアップを図るため、身体面だけではなく、自らの内面とも向き合う。
「確かにB1のプレーのレベルは高いですが、それよりも自分の気持ちの面だと思うんです。前半戦は自分ができるプレーができなかったりして、自分の弱さが出たのかなと思います。これからはもっと良くなる自信があるので、自分を信じてやるだけ。後半戦は、もっと結果が出せるように取り組んでいきます」

得点力の高さに加えて、彼のもうひとつの持ち味は強気なプレー。サイズで優る相手と対しても、真っ向から勝負を挑んでいく。

「背が小さいからとか、昨季に下のリーグで結果を出しただけだろとは、まったく思わせないような強いメンタルと強いプレーで、相手チーム向かっていこうと思っています。そういう反骨心みたいなものは、つねに持っています。アメリカでも、なめられてきました。だけどそれに反発することが自分を成長させるエネルギーになるし、いちばんのモチベーションにもなります。ブースターのみなさんには僕の、そういう一歩も引かない姿を見てほしいです」
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著者プロフィール

2005年にクラブ創立。七福神のお一人で商売繁盛の神様である「戎様」を大阪では親しみを込めて「えべっさん」とお呼びするところから、 人情・笑い・商売の街大阪を活気づける存在であることを願い「大阪エヴェッサ」と命名。 同年にスタートしたbjリーグで開幕から3連覇を成し遂げる。 2016年9月に開幕した男子バスケットボールの最高峰・Bリーグでは、ホームタウンを大阪市とする大阪唯一のクラブとしてB1に参戦。

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