「病室での決断」NTTリーグワン2022第3節 試合前コラム

チーム・協会

【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

リーグワンでナンバー1のフッカーになる

絶好調だといえる。
今シーズンの杉本博昭選手は。

先週末行われた第2節のSA浦安戦で確信した。
まずはフッカーのポジションとしての肝ともいえるラインアウトやスクラムといったセットプレー。
ラインアウトにボールを投げ入れるスローイングでは、投げ入れる前から手元でボールをくるくると起用に回すルーティーンから安定したスローイングを供給した。スクラムでは、相手の強みであるこのプレーに対し、相手、味方、そしてレフリーに至るまでコミュニケーションを取り、見事にコントロールしたスクラムを組み、80分を通して相手の反則を奪い続けた。
特に後半のゲームの流れがどちらに転ぶかわからない、ある意味「停滞した」といえる時間帯に、このセットプレーで有利に立てたことは、勝因のひとつと言っていい。

また、セットプレー以外のフィールドプレーでは、激しい接点はもちろん元ナンバー8というポジションの経験が活かされたプレーで、チームのピンチをしのぎ、チャンスを作った。

特徴的なのは、どのプレーにおいても周りを活かすプレーを心掛けていること。
スクラムではとにかく味方と話し、両プロップの強みを活かす。フィールドでは、細かいパスやオフロードパスで、チームのアタックに勢いを作る。

杉本選手自身も
「チームプレーを意識している。周りを活かしてチームの士気を上げる。これが僕のプレースタイル。」

と語るプレーは、高校・大学と名門校でキャプテンを務め、個性的なメンバーを束ねてきたキャリアが出した答えだ。

だが、その杉本選手も昨シーズンはリザーブという立場から、プレー時間を獲得することが難しかった。そしてその際、先発として出場していたのは世界最高峰のフッカーと呼ばれるマルコム・マークス選手。そのマルコム・マークス選手がこの第3節からチームに合流する。

だが、こうしたライバルの存在を前にして、杉本選手の掲げる目標は明快だ。
「リーグワンでナンバー1のフッカーになる。」

この言葉に掛ける思いとは。
「マルコム・マークス合流、即メンバー入り」が注目される本節。
この試合、2番で先発する杉本選手にその胸の内を聞いてみた。

↑杉本博昭 (すぎもと ひろあき)/1989年2月27日生まれ(32歳)/大阪府出身/身長181cm体重105kg/大阪工業大学高校(現:常翔学園)⇒明治大学⇒クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(2011年入団)/ポジションはフッカー/愛称は「ひろ」 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

怪我、そして手術。家族がいたからこそできた病室での決断

生え抜きのベテラン。
スピアーズ入団11年目。在籍年数ではチーム最長となる杉本選手は、チームでは「兄貴」のような頼れる存在。だがそんな杉本選手は三兄弟の末っ子でもある。しかも、ただの三兄弟ではない。
「杉本三兄弟」といえば、兄弟そろって同じ高校・大学でキャプテンを務め、各代表カテゴリにも選出されているラグビー界では有名な兄弟だ。

「末っ子だからこそ周りをよく見るようになった」
と語る杉本選手から、その兄弟の存在が自身に与えた影響を汲み取った。

杉本選手のラグビーキャリアは、スピアーズ3年目で大きな転機を迎える。
そのきっかけはアキレス腱の断裂だった。

アキレス腱を断裂したその日に緊急手術。
「これで俺のラグビー人生は終わりか。」
病室で様々な思いがよぎった。

そんな心が折れそうな瞬間に、寄り添うように支えてくれたのは家族の存在だ。
親と電話したり、兄弟に連絡するうちに
「ここで終わらせてたまるか。」
と、小さくなっていた心の炎が再び燃えた。

「自分の目標は日本代表になることだ。」
今まで育ててくれた家族のために、日本代表のジャージーをプレゼントすることがラグビーをプレーする理由の一つだった。

やることは決まった。再び走るだけだ。
手術した晩に、当時のヘッドコーチ トウタイ・ケフに病院待合室から電話すると
「フッカーにポジション転向させてほしい。」
と直訴した。
当時のポジションはフランカーとナンバー8。
ポジション変更することが、自分の目標へ近道だと思ったからだ。

ただその道は、茨の道だ。

フッカーは専門職。新しく習得するプレーも多く、これまでとは全く違う。
また当時のスピアーズのフッカーには、経験値が高い絶対的な選手もいた。
それに加えて、アキレス腱の怪我。
スクラムにおいて、味方8人の全体重を支えるフッカーの足には、想像以上の負荷がかかる。
スクラム中のアキレス腱の断裂、といった話はたまに聞く話だ。
それらの壁を飲み込んで、フッカー転向の決断を下す覚悟は相当なものだ。しかも、怪我してオペをしたその日に。

覚悟が決まった杉本選手は、壁を一つずつ超え、あらゆる葛藤を振り払い、現在まで走ってきた。

↑練習中の杉本選手(2022年1月20日撮影)杉本選手のフッカーとして公式戦初出場は、2015年11月14日に行われたトップリーグ2015-2016の開幕戦 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

「マルコム・マークス、成長させてくれてありがとう」

「運がよかったです。実践の練習を重ねられたことが自身の成長につながった。」
と杉本選手は、フッカーとしてここまでプレーを続けてこれた理由を話す。

「(プレー中の失敗などで)たくさんチームメイトに迷惑をかけた。だがそのおかげで努力し、成長することができた。」

このように実践から経験を積んできた杉本選手だが、前述の通り昨シーズンはプレー時間が短かった。しかし、今季は冒頭のような活躍。80分通して動き続け、周りを活かし、自身がプレーヤーとして成長していることを示した。

これは、杉本選手の「周りをよく見る」気質のおかげからもしれない。

杉本選手は昨季マルコム・マークス選手の入団が決まった際、多くの人から
「大変だね。」などと心配される声をもらった。

「なにを心配する必要があるのだろう。」
と思った。
むしろ
「成長させてくれてありがとう。」
と思った。

マルコム・マークス選手の選手としての能力やキャリアはわかっている。
けれど、負けるつもりはない。杉本選手には、杉本選手のやり方でチームを勝利に導き、リーグワンナンバー1のフッカーを目指す。
どんなキャリアの選手が来ようと、あの病室で決めた覚悟は揺るがない。

多くの世界的有名選手が活躍するリーグワン。
その選手たちにどうしても注目されがちだが、その選手たちとポジションを争う選手たちは
「試合に出れなくて仕方ない。」と思う選手はいない。

グラウンドの上に、キャリアや国籍は関係ない。
キックオフの笛が鳴れば、15人対15人のフェアな戦いがあるだけだ。

勝敗はもちろん、メンバー編成も注目される第3節 コベルコ神戸スティーラーズ戦。
どの選手が出ても、その時の「最良の決断」で出場する選手たち。

病室での決断から8年半。
多くの壁を乗り越えて、ここまで走ってきた背番号2番に注目したい。


文:クボタスピアーズ広報 岩爪航
写真:チームカメラマン 福島宏治

↑杉本選手の一番上のお兄さんは同じくフッカー。最初は「まだまだだな」と言っていたお兄さんも最近では「共感してくるようになってきた。」と末っ子は話してくれた。 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ(ラグビー)】

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著者プロフィール

クボタスピアーズ船橋・東京ベイ

〈クボタスピアーズ船橋・東京ベイについて〉 1978年創部。1990年、クボタ創業100周年を機にカンパニースポーツと定め、千葉県船橋市のクボタ京葉工場内にグランドとクラブハウスを整備。船橋市及び周辺エリアを拠点にチーム強化を図ってきた。以降、着実に上位リーグへの昇格を重ね、2003年、ジャパンラグビートップリーグ発足時からチーム名を「クボタスピアーズ」とし、トップリーグの常連として戦って来た。 「Proud Billboard」のビジョンの元、強く、愛されるチームを目指し、ステークホルダーの「誇りの広告塔」となるべくチーム強化を図っている。2021年2月~5月に開催されたトップリーグ2021では、過去最高順位である3位でシーズンを終えた。 2022年1月開幕予定のラグビー新リーグ「Japan Rugby League One」では、新チーム名「クボタスピアーズ船橋・東京ベイ」として参入する。

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