早大ア式蹴球部 田中雄大主将×須藤友介副将×田部井悠副将(前編) サッカーインカレ直前特集『Seize the day』〜1を積み上げろ〜

チーム・協会

【早稲田スポーツ新聞会】

【早稲田スポーツ新聞会(取材、編集 長村光 写真 橋口遼太郎、長村光、前田篤宏)】

主将・副将として、先頭に立ちチームをけん引してきたMF田中雄大主将(スポ4=神奈川・桐光学園)、DF須藤友介副将(スポ4=FC町田ゼルビアユース)、MF田部井悠副将(スポ4=群馬・前橋育英)。シーズンを締めくくる全日本大学選手権(インカレ)を前に、今季のチームを振り返ると共に、インカレに向けての意気込みを語る。

※この取材は12月3日に行われたものです。

【早稲田スポーツ新聞会】

「(須藤は)チームに影響をもたらす頼りになる存在」(田部井)

インタビューに答える3人 【早稲田スポーツ新聞会】

――まずは右隣の方の他己紹介をお願いします

田部井  須藤はサッカー選手としては最初はあまり上手くなかったんですけど、4年目とかは本当に上手くなったなと思いますし、チームに影響をもたらしてくれるので頼りになる存在だなと思います。プライベートの面では、須藤は東京出身なので、田舎者の自分からするとすごいかっこいいですね。彼女もいるのでうらやましいです(笑)

――須藤選手は今のを受けていかがですか

須藤  うらやましいとか言ってますけど自分の方がうらやましいと思っていて。

田中  どういうこと(笑)。

須藤  やっぱり高校時代あれだけ有名になって、インスタもかなりフォローされてて。プライベートも攻撃的で素晴らしい選手だなと尊敬しています(笑)。

――次に須藤選手から田中選手の紹介をお願いします

田中  持ち上げて。

須藤  素直に選手としてうらやましいなと思うところが本当に多くて。圧倒的なサッカーセンスというか、自分にできないことをすごいできる、見えないところ見えていますし、訳分からないタッチするし、一選手としてうらやましいなというのは4年間見てて思い続けてきました。ただケガで苦しむ姿も見てきましたし、そういった中で今年は主将としてピッチで引っ張ってくれている姿というのは見ていてうれしかったですし、かっこいいなと思っていました。課題としては背の小ささかなと思います(笑)。ただこの一年、無事にプロも決まって同期としてうれしいなと思います。

田中  お〜(笑)

須藤  いいっしょ?

田中  いいね〜

――最後に田中選手から田部井選手の紹介をお願いします

田中  まずは真面目なところから行くと、自分は2年生の時に長い間ケガしていて、悠も同じタイミングでケガすることがあってずっと一緒にいて、一緒にというか一人ずつ黙々とリハビリをやっていました。自分もリハビリが辛くて逃げ出したいなと思った時とかあったんですけど、隣で悠がサボらずにリハビリやっている姿を見て負けてられないなと思いましたし、そういう姿で支えられたなと思います。選手としても、見てもらえればすぐ分かると思うんですけど、ピッチ内でチームのために走る姿とか、勝利に対しての思いが伝わる選手で。自分も一緒に出ていてもそうですし、見ていても本当に勇気づけられる選手だなと思います。プライベートに関しては須藤もさっき色々言ってたんですけど、あの有名な田部井ツインズなので、、まあその辺にしときます(笑)

「サッカー選手としても人としても成長」(田部井)

国士舘大戦でゲームキャプテンを務めた田部井 【早稲田スポーツ新聞会】

――今シーズンの振り返りをお願いします

須藤  天皇杯予選、初めての公式戦というところでチームとして準備してきたつもりではあったんですけど、初戦負けというところで正直今後どうなっていくんだろうなという不安の方が大きかったです。前期リーグ戦始まって連勝する中で、なんで勝てているんだろうと逆に不安になった部分も自分は抱えていて、それでもなんとか軌道に乗って。欲を言えばもっと勝ち点積み重ねたかったですけど、悪くない立ち位置で終われたのは、天皇杯予選初戦敗退というところから振り返れば良かったのかなという風には思います。ただ後期リーグ戦、自分たちが優勝を掲げている中で、どんどん優勝の可能性が消えて降格が見えてきて、インカレももしかしたら出られないという状況ですごく苦しんだなと思います。それでもチームとして苦しい状況の中、最後の最後で法大相手に勝利してインカレをつかみ取れたというのは、インカレに向かっていく中で一つ自信になるというか、自分たちの中に何かを作り出せる力がまだあるっていうのが良い意味で残ったのかなと思います。

――須藤選手は今季リーグ戦初出場もありましたがその点はいかがですか

須藤  ずっと下のカテゴリーでやってきて、Bチームの選手からしても「頑張ればチャンスがあるんだ」ということを示せたのは一つ良かったかなと思いますし、あの時雄大も悠もケガしていて、その中で自分が出られたのは素直にうれしかったですし、一選手としてリーグ戦出場を目指してやってきたという意味でもうれしかったです。ただあの5分で終わってしまったので、そこは残念だなと振り返って思います。

――田中選手は今季振り返っていかがですか

田中  自分はケガからのスタートで、天皇杯予選負けてしまってもどかしさみたいな部分はすごくありましたし、それと同時に開幕戦勝てた時は、正直3年目までは自分が出ていない試合ではチームが勝ってもそこまでうれしくなかったんですけど、でも本当にチームのために何ができるか考えた中でピッチ外からも考えて行動していましたし、自分だけのおかげでは絶対ないですけど、ピッチにいなくても勝ててすごくうれしかった試合でした。自分は前期の途中から復帰して、ただその初戦では勝てなくて。自分の力の無さを感じましたし、後期もそこまで勝てなかったという中で、自分が試合に関わって勝てる試合を増やせなかったというのはすごく悔いが残っていますけど、最後インカレをつかみ取って、まだ日本一を取るチャンスが残っているので、そこに向けて自分がここまで4年間積み上げてきたものを発揮するだけかなと思います。そして最後、全員が喜ぶ姿を見たいなと素直に思います。

――田部井選手はいかがですか

田部井  自分が一年間やってきて思ったのは、上手く行かなかったことが多かったなというのがあって、自分のこともそうですし、チームのこともそうですし、理想とはかけ離れた時間が多かったなというのは率直に思います。ただその中であがいたこととか、チームとしてつながりを持って戦おうとしたことは、サッカー選手としても人としても成長できた部分かなと思うので、この経験を財産にして、今後の人生に生かしていきたいなと思います。ポイントはいくつかあったんですけど、ゴリ(加藤拓己、スポ4=山梨学院)のケガは自分の中で難しかったなというのは正直あって、あいつの存在は大きかったですし、ケガした中でもチームのために動いてくれる姿というのは自分も奮い立たせられたし、同期として心強い存在だなと改めて思いました。個人的には安斎(颯馬、スポ1=青森山田)のリーグ戦新人王もすごいうれしくて。自分が1年の時は楽しくない時間があったので、今年は自分が、下級生が楽しめるような雰囲気というか、もちろん締めなきゃいけない部分はあるんですけど、そういうのびのびした環境は作りたいなと思っていたので、それが直接結びついたかは分からないですけど、新人王という形で結果として出たのはうれしかったなと思います。インカレに向けてというところで、今年戦ってきて思ったのは、ここぞで勝てた試合が多かったなと思っています。最終戦の法政戦も勝たなきゃ終わりの状況で勝てましたし強さが出たかなと思うので、トーナメントでもそれが発揮できるように今から準備して取り組んでいきたいなと思います。

――後輩が楽しめる雰囲気づくりというのは具体的にどのようなことをされていたのですか

田部井  一番はミスを責めないというか、チャレンジしたことによるミスは尊重してあげたいし、成長するためにはチャレンジしないともっと上の景色は見えないと思うので、そういったところは周りの選手がカバーしてあげようという意識は常に持っていましたし、雰囲気づくりとして取り組んでいました。

「チームのパワーの最大値を出せるように」(田中)

国士舘大戦で前線に指示を送る田中 【早稲田スポーツ新聞会】

――リーグ戦の話に移ります。前期とは対照的に後期は苦しい試合が続きましたが、どんなことを考えながらプレーされていたのでしょうか

田中  本当に苦しい試合が多かったなと思いますし、チームとしても個人としてもなかなか上手くいかない試合が多い中で、連戦が続いて。修正しなければいけないところとか、勝つために雰囲気づくりしなければところとかは本当に考えながら、チームのパワーの最大値を出せるようにここの3人だけじゃなくて、4年として考えながらチャレンジしながらやっていました。それでも勝てる試合はそこまでなかったですけど、そういう試行錯誤したものっていうのは本当に自分にとって良い経験になっていますし、じゃあ勝てる時はどういう時なのかとか、勝てない時はなぜダメだったのかをすごく考えさせられた後期だったなと思います。

田部井  自分は後期から出る機会が多くて、一番意識したことはチームを上向きにというか、ポジティブな雰囲気に持っていくというのは意識していました。もちろん試合に出て良くないところとかあると思うんですけど、そっちに引っ張られすぎてマイナスに持っていくんじゃなくて、良かった部分ももちろんあるわけで。そういうところはバランスを取りながら、一歩下がるんじゃなくて成長していくというのは常に自分が取り組んでいたところかなと思っています。勝った時というのは実際なんでもできると思うので、反対に苦しい時とか負けた時の振る舞いはこだわってやっていて、苦しい時に何ができるかというのを考えていた後期だったかなと思います。それが直接結果に関わったかは分からないですけど、そういう目に見えないものも大切にするのが早稲田の良さだと思うので、自分としても成長できた部分かなと後期通して思いました。

――主将副将のお三方ですが、今季通してお互いをどのように見ていましたか

田中  自分が上手くいかない時が結構あって、それを見せないようにしてもどうしてもやっぱり這い上がれない状況になった時に、悠がピッチ内でカバーしてくれている姿は見ていましたし、だからこそ自分ももっとやらなきゃいけないというか、チームのためにプレーを表現しなきゃいけないなと思わせてくれたので、そこはすごく助かったなと思います。須藤に関しては、どっちかというとメンバーには入っていなかった選手ではあったとは思うんですけど、上手くメンバーに入れなかった選手を鼓舞する姿だったりとか、メンバーに入った選手へのコメントだったりとか。国士舘大戦の前には「一人にさせるな」という熱い言葉もかけてくれて、実際国士舘大戦は勝つことができましたし、須藤自身がメンバーに入れなくても須藤ができることでチームに良い影響をもたらしてくれたなと思います。そういう選手がいるからこそメンバーに入っている自分だったりとかは責任をもってやらなきゃいけないと思わされましたし、そういうチームの下支えみたいなところを担ってくれていたなと思います。

――副将のお2人はいかがですか

田部井  一番は背中で示してくれていたなとというか、もちろん色々なものを背負って戦わなきゃいけない部分はあったと思うんですけど、雄大が練習の時から声出す姿だったり、ぶれずにやっている姿に影響を受けました。リハビリの話もさっきありましたけど、雄大は自分を奮い立たせてくれた存在で、雄大が隣で戦っていたから自分も戦えましたし、本当に感謝しています。須藤に関しては、同じ副将という立場で、2人でやる難しさはあったんですけど、須藤は一番下級生とコミュニケーションをとってくれた同期の一人で、色々な意見を吸い上げてくれましたし、自分ができないところを補ってくれたなというのはこの一年やってきて感じました。雄大からも話ありましたけど、一番すごいなと思ったところはメンバーに入れない中での振る舞いというところで、自分が試合に出られないという葛藤は須藤の中にあったと思うんですけど、そこを一切見せずにピッチで熱く戦ってくれたところとか、メンバーに入れなくてもチームに対して良い影響をもたらすような言葉をかけてくれたというのは間違いなく自分たちの励みになっていましたし、インカレに出場できた一つの要因かなと思っています。

――後輩の意見はどのように吸い上げていたのでしょうか

須藤  キャラ的にも接しやすいんだろうなというのは思っていましたし、自分なりの作戦と言ったらあれですけど、親しみやすいように振る舞うことが大事なのかなと思っていました。雄大と悠がいる中で、多分自分の方がそこは長けているなというのはありましたし、自分が尊敬する先輩たちを思い浮かべた時に、先頭で引っ張る人だけだとどうしても言いたいことが言えなくなる中で、それを聞いてくれる、吸い上げてくれる先輩がいたからチームは回っていたんだなというのを感じたので、先頭で引っ張る人じゃなくて後ろから支える人みたいな役割を自分が担っていたのかなと思います。特に1年生が入ってきたばかりの頃は自分から話しかけにいっていました。

「ああいう悔しさがあるからこそまた這い上がっていける」(田中)

早慶クラシコの試合終了後、ピッチにうずくまる田中 【早稲田スポーツ新聞会】

――須藤選手から見てお2人はどんな主将副将でしたか

須藤  2人が言ってくれたんですけど、自分は副将という立場でほとんど試合に出ることもなく、2人がピッチの中で背負ってきた重圧とか、責任とかは自分では分かっているつもりになることはできるんですけど、本当に分かってあげることはできないんだろうなとずっと思っていました。情けなさとか、どうしたらいいんだろうという気持ちは抱えながらやってきたんですけど、それでも2人が戦っている姿とか、本当は試合に出たいのに出られなかったり、そういう姿を見てきた中で自分ができることをやろうという気持ちにさせてくれたのは間違いなく2人かなと思っています。雄大に関して言えば、多分思い通りのプレーができない時期もあったと思いますし、雄大自身の将来ってところも不安定な中で、本当に色々なものを抱えながらプレーしていたっていうのはかっこいいなと思っていました。そういった姿が、後輩がついていく理由の一つだったんじゃないかなと思います。雄大が頑張っているから自分も頑張ろうと思っている部員がいたんじゃないかなと思いますし、結局見えない力っていうのはそういうところで働いてくると思うので、良い主将だったなと思います。悠に関して言えば、悠も同じでプロ志望って中で、特に早慶戦の時は出られなかったり相当苦しい思いもしたんだろうなというのは見ていて思いますし、それでもずっと自分のやるべきことを黙々とやり続ける姿であったり、あまり声を出すタイプではなかったと思うんですけど、今年に入ってそういう部分も変化しましたし、悠なりに苦しい中で努力して乗り越えてきた部分があったんじゃないかなと思います。見えない役割分担が俺と悠の間にはあると思っていたので、自分1人では絶対に副将はできなかったですし、2人で副将できて良かったなと思います。

――早慶戦では10年ぶりの敗北となりました。田中選手は後半途中から出場されましたが、改めてどんな試合でしたか

田中  悔しかったですね。西川(玄記マネージャー、スポ4=石川・金沢桜丘)だったり羽田(拓矢マネージャー、人4=東京・駒場)だったり、歩希(高原歩希マネージャー、文構4=埼玉・早大本庄)とかもそうですけど、本当に裏で素晴らしい舞台を必死にもがきながら作ってくれた人たちを見てきていて、自分が見ているところだけじゃなくても本当に苦労して、自分たちが最高のプレーする舞台を作るために必死になってやってくれていた人たちがいました。自分が途中から試合に出て、その時はまだ同点で勝たせられる状況ではあったと思うんですけど、最後決められて、その後自分にもチャンスありましたし、決めていれば引き分けには持っていけた試合でもありました。本当に色々な人の思いが詰まった舞台であったので、すごく悔しい試合にはなりましたけど、その後中2日で拓大戦があって、そこでもう一度チームとして這い上がって勝てたというのはすごく印象的な試合でしたし、早慶戦の敗北があったからこそ、そういうパワーが生み出せたのかなと思います。4年間、慶応相手に自分が試合に出て勝つことはできずに終わったんですけど、ああいう悔しさがあるからこそここからまた這い上がって行けるなと思いますし、それでも橋本健人(4年)に決められた瞬間というのは自分の中に残っていて、改めて悔しい試合だったなと思います。

――田部井選手、須藤選手は出場はありませんでしたが、どんな気持ちでピッチを見つめていましたか

須藤  まず個人的な話として、高3の時に早慶戦を見て早稲田の受験を決めました。正直サッカーやめようかなとも思いはしたんですけど、1個上に同じチームから来た先輩がいて、「早慶戦見に来い」と言われて。言い方は悪いですけど、あまりサッカーを見に来ないような人たちも早慶戦に集まってきて、Jリーグを超えるような人数も入ってきて、1つのプレーに歓声が沸くような舞台を学生たちが作って、学生たちが出るというところに憧れてきました。実際自分は4年間一度もメンバーに入ることはなく、悔しい思いをしていた中で、それでもチームとして自分たちの代では必ず勝ちたいという思いは持っていました。なので正直負けた時は自分の感情が無になったというか、全然整理ができなくて、自分は当日4年間やってきた広報の責任も果たすためにオブジェに並ぶ方々の写真をずっと撮っていたんですけど、正直明るく振る舞う中でもずっと感情がなくて、何もなく家に帰ったというのがその日の出来事でした。ただ冷静になって考えた時に、慶応に負けたということはもう降格が見えていて、拓大戦も落としたら正直降格になるとは思っていたので、次の日本当に練習来るのが嫌だったんですけど、とりあえず東伏見着いた瞬間からはいかに明るく振る舞うかというのを意識してやっていました。自分の役割として、試合に出られない中でもいかに明るい雰囲気をつくって、Aチームがリーグ戦を戦える強度を作れるかというところがずっと自分の仕事だと思っていたので、そこは変わらずやっていました。後輩とかもかなり落ち込んでましたけど、そこは前向きな雰囲気をつくることで何とか乗り越えた感じです。なので拓大戦勝って終わった時はめちゃくちゃ疲れて、「ああ相当ショックだったんだな」というのを後から振り返って感じました。個人的には悠とか同期にはピッチに立ってほしかったなという思いは強くあって、自分が出られない分そこに託したっていう部分はあったので、やりきれなかったっていうのが素直な気持ちなんですけど、そこはチームなので仕方ない部分なのかなと思っていました。

田部井  自分も2年目とかは早慶戦のチーム付をやって、ラストの早慶戦を迎えて、自分は試合に出られずに試合終了の笛を迎えて、正直逃げ出したかったというかそれぐらい反動が大きかったんですけど、ピッチで倒れている選手とか、ベンチで言葉がなくなってしまった後輩たちの姿を見て、「自分がここで折れたら本当にチームが終わるんだろうな」と感じました。自分ができることは、感情を押し殺してチームのみんなをいかに次に向かせられるか、拓大戦が連戦で、それを落としたら本当に降格してしまいような流れができてしまうと思ったので、そこは自分が割り切ってというか、自分を押し殺してチームのためにできることをやれたかなと思います。その時はそういった感情だったんですけど、終わった後は正直きつくて、自分も練習に来るのが少し嫌な気持ちもあったんですけど、練習に来たら拓矢とか自分以上に悔しい思いをしているメンバーが練習をサポートしている姿を見て、本当に「そいつらのために頑張ろう」というのは思ったので、あの早慶戦があった中で次の試合勝てたのはみんなのおかげだなと感じました。下級生も「出てほしかった」みたいな話をしてくれて、そういう思いを背負って戦わなきゃいけないし、自分のためだけにやっていてはいけないんだなというのは早慶戦を経て感じたので、本当に悔しかったですし、良い意味でも悪い意味でも絶対に忘れられない思い出にはなったと思うんですけど、成長できたポイントかなと思っています。

「一人一人の努力と思いが報われた」(須藤)

4年早慶戦でゲームキャプテンを務めた須藤 【早稲田スポーツ新聞会】

――リーグ戦最終節でインカレ出場を決めましたが、その時の心境はいかがでしたか

田中  すごく押し込まれる試合で、PKもあって、あれが決まっていたら正直難しかったなと思います。でもあそこで外れたというのは何となく早稲田に流れが来てたなと思いますし、その流れをどうやって作ってこれたかって考えると、その前にあった4年早慶戦かなと思って。ある意味重たい4年早慶戦ではあったんですけど。

須藤  重かったね〜(笑)

田中  スタッフとも話をして、「4年早慶戦の戦いが法政戦につながる」という話になって、すごく追い込まれていた状況ではあったとは思うんですけど、そういうのも割り切ってというか、4年早慶戦ではスタッフも試合に関わったりとか、早稲田らしく自分たちの学年らしく、チーム全員で勝ち取った勝利でした。それを法政戦につなげられたからこそ早稲田に良い流れができていたと思いますし、あのPKが外れたこともそうですけど、偶然ではなくて必然で自分たちが作り上げたものが、インカレ出場権につながったのかなと思います。

――須藤選手はいかがですか

須藤  まずは安心したというのがありました。天皇杯予選でも初戦で負けて、総理大臣杯にも出られなくて、リーグ優勝もできなくて、早慶戦にも負けて。正直自分たちの代は後輩に何も残せず終わるのかとか、みんなで笑って終われるチームを作ろうとずっと言っていたんですけど、そういった景色を見ることなく終わるのかという思いがすごくあったので、笛が鳴った瞬間はホッとしたというのが素直なところでしたし、本当にプレッシャーがある中で戦ってくれたメンバーには感謝しかないです。ただあの1試合勝てたのは、公式戦が終わった中でもBチームの活動を作ってくれていた同期の姿であったり、下級生の姿であったり、学生スタッフの姿であったり、そういった一人一人の努力と思いが報われたんだなというのは素直に感じました。やっぱりチームスポーツは良いなと思いましたし、自分たちが苦しい中でインカレをつかみ取ったという経験値は、トーナメントという負けたら終わりの舞台で絶対に生きてくるなと思ったので、ここからだなと思いました。あとは引退が伸びてもう少しサッカーができるのは良いなと思いました(笑)

――田部井選手はいかがですか

田部井  自分は最後ベンチにいたんですけど、勝たなきゃいけないという状況の中で責任や重圧はもちろんあって、その中で勝ててホッとしたという気持ちが大きかったなと思います。4年早慶戦がターニングポイントだったと自分の中では思っていて、ああいう逆転勝利というのが自分たちの中に一番勢いが生まれる勝ち方だったと思いますし、同期のみんなが示してくれた姿勢がそのまま法政戦につながったと思います。法政戦やっていて感じたのは、改めて早稲田って良いなというのはベンチにいて感じて、交代した後の選手も声を枯らすくらい味方を鼓舞したり指示したりとか、学連のみんなには申し訳ないんですけど、すぐ立ち上がっちゃって「やめて」みたいに言われちゃったりして(笑)。そこは良くないところなんですけど、交代するのは悔しいはずなのにそれくらい気持ちを持ってチームのためになることを探し続ける早稲田のみんなは誇らしいと思いましたし、ベンチで最後見た景色は、改めて早稲田に来て良かったなと感じさせてくれたものでした。ただインカレをつかめたからと言ってまだ何かを残せたわけではないので、そこは最後日本一を取ってみんなで笑って終わりたいと強く思いましたし、覚悟決まった瞬間でもありました。

――先ほど安斎選手のお話もありましたけど、法大戦の安斎選手のゴールの瞬間はいかがでしたか

田部井  うれしかったという気持ちが全てだったかなと思います。本当に体が前に出て叫んでいましたし、色々なことがありましたけど、安斎のおかげでインカレをつかみ取れたなと自分の中では思います。

――後編に続く
◆田中雄大(たなか・ゆうだい)

1999(平11)年12月14日生まれ。162センチ。神奈川・桐光学園高出身。スポーツ科学部4年。

◆田部井悠(たべい・ゆう)

1999(平11)年6月25日生まれ。173センチ。群馬・前橋育英高出身。スポーツ科学部4年。

◆須藤友介(すとう・ゆうすけ)

1999(平11)年6月3日生まれ。170センチ。FC町田ゼルビアユース出身。スポーツ科学部4年。
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著者プロフィール

「エンジの誇りよ、加速しろ。」 1897年の「早稲田大学体育部」発足から2022年で125年。スポーツを好み、運動を奨励した創設者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」にちなみ、早稲田大学は次の125年を「早稲田スポーツ新世紀」として位置づけ、BEYOND125プロジェクトをスタートさせました。 ステークホルダーの喜び(バリュー)を最大化するため、学内外の一体感を醸成し、「早稲田スポーツ」の基盤を強化して、大学スポーツの新たなモデルを作っていきます。

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