【浦和レッズスペシャルインタビュー】試合から遠ざかる『浦和のエース』興梠慎三の今、そして胸に宿す愛

浦和レッドダイヤモンズ
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肩の辺りに飛んでくるボールに対し、上体を倒して右膝を曲げながらかかとを上げ、振り下ろす。

興梠慎三がボレーシュートを放つ姿を見ていた宇賀神友弥が、微かに笑みを浮かべながらつぶやいた。

「むちみたいだな」

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そのしなやかさ、振りの鋭さ、そして相手GKに与える『ダメージ』を表現するに言い当て妙だった。

思い切り振るのではなく、速く振ることを意識する。ボールを当てる位置はアウトサイド、かかとの外側のイメージだ。

だが、最も重要なことは、天武の才とも言える要素だ。

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「あれは股関節が柔らかい人じゃないとできないの」

だから練習すれば誰にでもできるわけではない。

「みんな言うんだよね、『あれをやりたいけどできない』って。俺しかできないだろうね」

当たったボールは本人もどこに飛ぶのか分からないことがある。だからGKが分かるはずもない。主な狙いは、振りに反して速度が遅く、GKのタイミングを外しながら頭を越えるシュート。だが、時にとてつもないスピードでゴールネットに突き刺さることもある。

「それは完璧にミートしたときだね」

そのシュートで完璧にミートされてゴールの隅に飛んだボールをセーブできるGKは、日本だけではなく世界を探してもいないだろう。

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興梠がJ1リーグでゴールネットを揺らした回数は158回。29年目を迎えたJリーグの歴史で3番目に多く、2位まであと3点に迫っている。浦和レッズに加入してからJ1リーグで決めたゴールも100を超えた。

年間2桁ゴールは昨年で9年連続となり、記録を更新。そもそも8年連続も自らが作ったJリーグ最長記録だった。

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レッズの在籍期間は今年で9年。鹿島アントラーズの8年を超えた。レッズで数多くのゴールを決め、何度も勝利をもたらしてきた興梠はいつしか『浦和のエース』と呼ばれるようになった。

そのエースが、苦しんでいる。

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明治安田生命J1リーグ32試合を終え、出場試合数はちょうど半分の16。うち先発出場は3試合。ゴールはPKの1つ。彼のこれまでのキャリアを考えれば、いずれも「たった」と表現できる。公式戦から2ヵ月以上も遠ざかり、この9試合はメンバーにも入れていない。

昨年12月に右腓骨筋腱脱臼の重傷を負い、手術を行った。接触プレーによる仕方のないケガだったが、手術の影響で今年の1月から2月にかけて行われたトレーニングキャンプでは別メニュー調整が続き、チームに復帰した後も出場時間は限られた。

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思ったことをダイレクトに口にするタイプだが、こと自身やチームのことについてはあくまで率直な感想であり、批判や不満と表現されるべきものではない。思い通りにいかないことも「割り切れる」度量の大きさも手伝っているが、何よりチームを優先するからだ。

出場機会についてリカルド ロドリゲス監督と話したことはないのか?そう問われると興梠は、その質問自体に不満があるかのように表情を曇らせ、こう言い放った。

「逆に監督に言いに行って試合に出られるようになったら、それはそれでどうなのかなと思う」

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興梠にとって試合でプレーすることが最大の自己表現だが、試合に出なくてもチームに貢献できることはある。試合から遠ざかっていたとしても、百戦錬磨の経験をチームメートに伝えることができる。

若手とはあまり話さない。だが、小泉佳穂の様子がどうしても気になった。最近の試合で自分の力を出し切れていない小泉は、見るからに落ち込んでいた。だから声をかけた。

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「ミスが多いということは、ボールに絡んでいる回数が多いということ。それをポジティブに考えたら?」

ミスが多くなるとボールをもらいたがらなくなる選手も少なくない。だが、小泉はミスが続いてもボールを引き出し続けた。その姿は興梠の目にもたくましく映った。

「確かにミスは多かった。でも、お前の気持ちが折れずに、それでもボールを引き出そうとし続けていたのは良かったよ。ミスが多いなんてこと、何試合もやっていれば必ずあること。そんなに落ち込むことでもないし、そこからボールを受けなくなったら終わりだぞ」

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「加入前は一番怖いと思っていたけど、実際に話してみると優しい」先輩にそう言われた小泉は、「そこだけは気を付けました」と返した。

興梠は、「あいつはあいつで頑固なところがあるので、どう受け止めるか分かりませんが」と笑いながら、表情を緩めながら続けた。

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「根性あるな、って思いましたね。あいつも若いし、経験を積めば、この場面だったら簡単にはたかないといけないとか、どんどん分かってくると思いますし、経験が必要だと思います」

興梠自身がそうだった。かつて前線の起点になり、ポストプレーヤーとしての役割を一身に負っていたとき、ミスが失点に直結したことは一度や二度ではなかった。それでも興梠はボールを受けることをやめなかった。やめないどころか、必ず結果で名誉を挽回した。

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それを愚直に続けてきた結果が、J1リーグ史上3位の158ゴールであり、Jリーグ最長記録の9年連続2桁ゴールだ。

ピッチでは異彩を放つが、サッカーから離れれば、インターネットのこともよく分からない。ビデオ・オン・デマンド・ストリーミングは契約しているし、アニメを見ることが家での時間の過ごし方の一つだが、エラーが起きれば簡単なことも自分では解決できない。

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SNSはアカウントこそ持っているが、よほどのことがなければ更新しないし、見もしない。だから、自分がインターネット上でどんな評価をされているかも知らない。レッズのオフィシャルアカウントに自身の写真がアップされると、数多の応援メッセージが届いていることももちろん、知らなかった。

「へへへへへ」

それを伝え聞くと照れくさそうに笑った。

「自分が試合に出られなくてもこうやって冷静にいられるのは、そういうファン・サポーターがいるからかもしれないですね」

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プロデビュー当時は30歳までプレーできれば十分だと思っていた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)を制した際には、多くのメディアの前で「もう思い残すことはないのでこれで引退します」と冗談を言った。

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だから、試合に出られないもどかしさが「もういいかな」という気持ちに変わることもあった。

しかし、そんなときに脳裏に浮かぶのは、愛する家族の顔であり、愛するレッズのファン・サポーター、真っ赤に染まった埼玉スタジアムのスタンドだ。

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「まだ応援してくれている人がいるということを聞くと、『もういいかな』と思っていた自分から、『もうちょいがんばらないといけないな』と思わせてくれますよね。守るべきものもあるし、最後まで諦めずに応援してくれるファン・サポーターもいますから、その人たちのためにも、もうちょっとチャンスが来るのを待っておこうかなという気持ちがあります」

訂正しなければならない。興梠が「浦和のエース」と呼ばれるのは、単に数多くのゴールを決め、何度も勝利をもたらしてきたからではなかった。応援という恩を結果で返してきたからだ。チームのために、応援してくれる人たちのために、浦和のために、満身創痍の体で文字通りに身を粉にしてでも闘ってきたからだ。

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悲願だったACL優勝を果たした夜には浦和の街を歩き、ファン・サポーターが集う店に顔を出した。牛丼屋でファン・サポーターではない人も含めて店内にいる全員に奢った。

昨年の新型コロナウイルス感染拡大の影響による自粛期間中には、馴染みの飲食店が困っていることを聞き、少しでも売り上げに貢献できたらとさまざまな店をまわり、テイクアウトする日々を過ごした。

無骨で不器用なアナログ人間、だけど真っ直ぐに受けた愛情を愚直に応えてきた。

「僕もレッズに来て9年目になりましたし、鹿島より長くレッズにいます。でも鹿島にいたときの方がタイトルを獲っていました。だから、タイトルの数でも上回りたい。個人の成績はレッズに来てからの方が上ですけど、チームを考えたときにやっぱりタイトルが少ないので、タイトルは多く獲りたいですよね」

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そして、アジアの舞台に戻りたい。おととしの決勝を思い出し、「あの悔しさは忘れられないし、借りを返したい」と言い続けていた舞台。いつも「参加するかしないかで充実感が違う」と言っていた舞台。

「やりたいですね。出たいです」

言葉は短かったが、思いは深い。

J1リーグは残り6試合。天皇杯は決勝に行けば残り3試合。22日に埼玉スタジアムで行われる明治安田生命J1リーグ 第33節 柏レイソル戦【MATCH PARTNER メディカル・ケア・サービス】に出場できるかどうかは分からない。自身は、その可能性は決して高くないと感じている。

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それでも虎視眈々とチャンスを狙う。普段のトレーニングも、メンバー外の選手が行うトレーニングも、できる限りを尽くす。

「現状よりもコンディションを落とさないようにしないといけないとずっと思っています。試合に出られなかったら、試合に出ている選手たちよりもトレーニングしないといけないと思いますし」

特長の一つである相手のディフェンスラインの背後に抜け出すスピード、切り返しの深さと鋭さは増してきている。試合に出ていなくても、コンディションは維持するどころか、上がっている印象だ。

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今、チームのために何をしたいか。そう問われた興梠はこう言って笑った。

「俺が試合に出てゴールを決めます、と言いたいよね」

興梠らしい、興梠にしか決められないゴールを決め、チームや応援してくれる人々に変わらぬ愛を伝えられることを期している。

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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