【浦和レッズニュース】【13日間で11試合!】埼スタの芝は五輪の過密日程をなぜ乗り越えられたのか…実を結んだ連日連夜の作業
【©URAWA REDS】
ホームチームを久しぶりに迎え入れるスタジアムの芝生はしっとりと雨に濡れ、青々としていた。
7月24日から8月6日のわずか2週間弱で11試合が行われ、芝が酷使されたことなど嘘のように――。
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そう振り返るのは、埼玉スタジアムのグラウンドキーパーのチーフを務める佐藤亮太さんだ。
20年にわたって埼玉スタジアムの芝を管理し、昨年9月に退職された伝説のヘッドグラウンズマン、輪嶋正隆さんの跡を継いで1年弱。佐藤さんはキャリア12年目でビッグイベントを迎えた。
今夏に行われた東京五輪である。
輪嶋さん(中央)と佐藤さん(右) 【©URAWA REDS】
「経験のない過密日程だったので、どうなってしまうのかという不安のほうが大きかったです。輪嶋がこの20年管理してきて、これだけのピッチコンディションを維持してきた。最初の頃の苦労も聞いていましたし、今の状態を保つ凄さも一番近くで見てきました。オリンピックのタイトな日程を果たしてクリアできるのか。自分の経験がどれだけ通用するのか、わからない部分が多かったです」
五輪期間の埼玉スタジアム使用スケジュール 【©URAWA REDS】
大会期間中のどこかで芝を張り替えなければならないという事態を考慮し、常備している1000平米の圃場のほかに、埼玉スタジアムの第2グラウンドの一部を圃場がわりにして芝を管理し、温めてきた。
「何かあったときにいつでも使えるように。オリンピック前にレッズさんが埼玉スタジアムを使用する最後の試合だった6月27日からは約1か月、養生できたので、その間に傷んだ芝をしっかり直して、芝の密度を上げました」
こうして迎えた東京五輪。埼玉スタジアムでは7月24日、女子のスウェーデン対オーストラリア、ニュージーランド対アメリカのダブルヘッダーを皮切りに、25日には男子のフランス対南アフリカ、日本対メキシコと、毎日のように試合が行われていく。
事前の入念な準備のおかげか、最初のうちは想定よりも芝の状態が悪くならなかった。だが、大会半ばを過ぎたころから、日に日に芝がダメージを負っていくのが感じられた。
「連日、試合が組まれていたので、夜中まで細かい作業を行っていました。普段は試合後の作業として10〜15人くらいで芝の補修をするんですけど、オリンピックでは20〜25人くらいで作業にあたりました」
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最後の2試合、埼玉スタジアムに割り当てられたのは準決勝と3位決定戦だった。
「決勝トーナメントのどこかで日本代表が来ればいいなと思っていました。それが準決勝、3位決定戦で日本代表が使うことになった。その頃には試合間隔も多少空いていたので、丁寧に芝を直して、ある程度良い状態で準決勝、3位決定戦を迎えることができました」
こうして滞りなく、大会を無事に終えることができたが、佐藤さんたちグラウンドキーパーに、ホッと息をつく暇などない。
「私たちの作業というのは、常に次の試合に向けて管理していくわけなんです。やはり13日間で11試合やったので、ピッチコンディションはかなり悪い状態になっていました。芝の密度がなくなっていたり、芝が締め固まってしまっていたり。固まっていると、芝は呼吸ができなかったり、透水性が悪くなって水が溜まったりするんです」
そこでまず、床環境を整えるために穴あけを行い、削られた部分を六角と呼ばれる道具で補修し、芝の密度を高めるために全面的に播種をして、9月上旬を目処に回復に努めた。
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「9月半ばの芝というのは、例年使っていても、夏の疲れが出てくる時期なんです。そういう意味では、レッズさんが駒場を使用されて、8月6日から9月18日まで養生期間を取れた。芝を休ませることができたのは大きかったです。あと、台風など気象の影響もすごく受けるんですよ。大雨に当たったり、台風一過で急に暑くなったりすると、芝生はダメージを受ける。今年はそうした影響がなかったのも大きかったです」
こうして9月18日のゲームを、埼玉スタジアムのピッチは好状態で迎えることができたのである。
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「やっぱり埼玉スタジアムはレッズさんのホームスタジアムなので、レッズさんが勝ち上がってきてくれたら嬉しいです。ただ、我々の仕事はどの試合でも最高の芝を準備すること。そういう意味では、10月6日に準決勝の第1戦が埼玉スタジアムで行われますので、いつもと変わらないピッチコンディションを提供できるように、今は準備しています」
輪嶋さんから引き継いだ佐藤さんにとっても、オリンピックという世界的なイベントでの経験は、大きな財産になったという。
「自分がやってきた作業が間違っていなかったんだなって。これを乗り切ったという自信は少し付きました」
埼玉スタジアムの青々としたピッチを介して、佐藤さんと浦和レッズの歩みは、これからも続いていく。
(取材/文・飯尾篤史)
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