【浦和レッズニュース】<新戦力の素顔>江坂任を成長させた反骨心「この評価を覆してやるぞと思ってプレーしてきた」

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 電撃的な移籍劇から1カ月あまりが過ぎた。

 梅雨の時期まで柏レイソルで10番を背負っていたが、いまはすっかり浦和レッズに馴染んでいる。

 攻撃の核として期待される江坂任は、夏の厳しい日差しが降り注ぐなか、コンビネーションの向上に努めていた。

「自分の中では、いい感触があります。チームメイトとコミュニケーションを取りながら、うまくボールに関わることができています。細かいところはまだすり合わせていく必要がありますが、イメージどおりのプレーも出せるようになってきました」

 落ち着いた口ぶりで話す言葉には、充実感がにじむ。

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 リカルド ロドリゲス監督が取り組む臨機応変なサッカースタイルにはこれまでにない新鮮味を感じ、練習から頭をフル回転させている。特に意識するのはポジショニング。試行錯誤を繰り返し、少しずつ手応えをつかんできた。

「ボールを保持しているときの味方との距離感や立ち位置など、いい形をつくれています」

 指揮官が当たり前のように課す複数ポジションでのプレーも難なくこなす。

 7月22日に開催された平川忠亮(現コーチ)の引退試合では1トップに入り、さっそくクロスに飛び込んでゴールをマーク。本職のトップ下だけではなく、起用されたポジションで持ち味を発揮している。

 江坂のミッションは言わずもがなゴールに直結するプレーだ。

「得点、アシストが求められるポジションであることは理解しています。僕は自分に求められている以上のことができるように、常に準備しているつもりです」

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 結果を出すことで己の存在価値を証明し、ここまでのし上がってきた。

 エリート街道を突き進んできたわけではない。神戸弘陵高校からプロになることだけを目指し、親元を離れて流通経済大学へ。入学前に誘いを受けていた推薦組ではなく、無名の新入部員として、強豪の門を叩いた。

 200人近い選手がいるなかから自力で這い上がり、苦労を重ねてレギュラーをつかんだ。

 プロからオファーを受けたのも学生生活の最後。4年生の12月に開催されたインカレで得点王に輝き、優勝に貢献すると、スカウトの目に留まった。

 そして年をまたいだ1月にようやくJクラブから内定を得たのだ。

「プロになれたのも、ぎりぎりでした。インカレで結果を出し、(ザスパクサツ)群馬から声をかけてもらったのですが、正直もう少しオファーがくると思っていました。でも、実際は1クラブのみ。だから『見返してやるぞ』、『この評価を覆してやるぞ』と思い、プロ1年目からプレーしていました」

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 J2の群馬でキャリアをスタートし、大宮アルディージャ、柏と渡り歩き、いずれも加入1年目から数字を残してきた。

 自分の持ち味を生かし、仲間の長所を引き出すためには、チームメイトと積極的にコミュニケーションを取るのが近道。外国籍選手とも通訳を介し、互いが通じ合うまで意思疎通を図る。

 柏時代にホットラインを築いたケニア代表のマイケル・オルンガ(現アル・ドゥハイル/カタール)とも密なコミュニケーションを取り、あうんの呼吸でJ1得点王をサポートした。レッズでもやるべきことは同じ。

「キャスパー(ユンカー)とはよく話します。本人に直接、特徴を聞き、ストロング(長所)をうまく出せるようにしているんです。それに合わせて、ポジショニングを取らないといけませんから。味方が狙っているプレーを理解することは大事。日々の練習からシチュエーションを確認しています」

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 ただ、年齢と経験を重ねて、結果に対する考え方は変わってきた。

 いまの江坂がこだわるのは、個人の数字ではない。チームとしての結果だ。

 そのために、ピッチでは最善の判断を下すことを心がけている。ゴール、アシストの有無で一喜一憂することはない。

「チームのために何がベストの選択なのかを考えてプレーしています。独りよがりのことをすれば、試合には勝てません。勝利に貢献するのが一番。数字では測れないものもあります。2018年にJリーグMVPを獲得した川崎(フロンターレ)の家長昭博選手がいい例です。

 あのシーズンは6得点でしたが、勝利への貢献度が評価されたと思います。たとえ、点を取らず、アシストもしていなくても、あの選手がいたから、勝てたと言われるようになりたい。ボールに触れなくても、いいポジショニングを取ることで味方をフリーにすることもできます。チームを勝利に導く選手が理想です」

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 プロを目指し、がむしゃらにボールを追いかけていた学生時代から飽くなき向上心は変わらない。

 昨日の自分よりうまくなるために努力を続けている。

「もっとうまくなりたいし、もっと評価してもらえるようなプレーをしたい。この野心をずっと持っているから、移籍もできたと思っています。僕はまだまだ。レッズで試合に出るのが楽しみです。わくわくしています。勝ち点をしっかり積み上げ、ACL圏内に引き上げられるようにがんばります」

 新天地で意欲を燃やす29歳は、8月9日のリーグ再開を直前に控え、胸を高鳴らせている。リーグ終盤に向けて、上位浮上を狙うレッズの起爆剤となる。

(取材/文・杉園昌之)

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著者プロフィール

1950年に中日本重工サッカー部として創部。1964年に三菱重工業サッカー部、1990年に三菱自動車工業サッカー部と名称を変え、1991年にJリーグ正会員に。浦和レッドダイヤモンズの名前で、1993年に開幕したJリーグに参戦した。チーム名はダイヤモンドが持つ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーのレッドと組み合わせたもの。2001年5月にホームタウンが「さいたま市」となったが、それまでの「浦和市」の名称をそのまま使用している。エンブレムには県花のサクラソウ、県サッカー発祥の象徴である鳳翔閣、菱形があしらわれている。

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