悔しい想いを糧に成長を続けるロッテ二木康太。悔しさが学び奮い立つ!

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

【力投する二木康太投手】

 忘れられない思い出がある。二木康太投手はプロ3年目の2016年7月8日のファイターズ戦(札幌ドーム)で打たれて負けた。初回だけで7失点。二回も打たれ、さらに2失点。結局、3回9失点でマウンドを降りた。惨めな気持ちでベンチに座った。居場所がなかった。チームは3対12で大敗。宿舎に戻ると自室でふさぎ込んだ。

 「辛くて情けなくて・・・。オレはなにをやっているのだろうと思いました。チームに迷惑をかけてしまった。部屋から一歩も出る事が出来ませんでした」

 夕食を食べていなかったが、ホテルの食事会場に顔を出す気には到底なれなかった。チームメートにあわす顔がない。真っ暗な部屋の中、ずっとベッドの上で大の字になり、天井の一点だけを見つめていた。ふと部屋をノックする音がした。食事会場に姿がなかったため、マスクをかぶった1歳年上の田村龍弘捕手が心配をして訪ねてきた。

 「誰もが一度は経験をすることだから。ノックアウトされたことのないピッチャーなんていない」。

 そう言って励ましてくれた。そして、配球のいろいろな反省を一緒にした。

 翌日、グラウンドでは野手の先輩たちも声をかけてくれた。「高卒3年でガンガン活躍できるほど甘い世界じゃない。今の自分をしっかり見つめて、また前を向けばいい」。優しく、そう語りかけてくれた。仲間たちが次から次へと心配をして話しかけてくれた。当時、助っ人として活躍していたジェイソン・スタンリッジ投手も自身の若き日の苦い思い出を教えてくれた。

 「オレなんて、もっとひどかったぜ」。

 そう言うとウィンクをした。

 「あれはマイナーでのデビュー戦だったと思う。初回に8失点。挙句、相手に死球を当てて、退場さ。どうだ、オレの方がひどいだろ!人生はいい事も悪い事もいろいろあるんだ」。

 当時38歳だった大ベテラン投手のアメリカ・マイナー時代の話を聞き入った。最後はお互い笑った。先輩たちの言葉で少しずつ、立ちあがれないほど傷ついていた心が癒され、前向きな気持ちを取り戻している事を感じた。ありがたかった。

 首脳陣からは、あえて厳しい言葉が投げかけられた。「悔しいか。悔しいならこの気持ちを一生、忘れるな」。そして、助言を受けた。「今日のスポーツ新聞を買ってこい。そして、目立つところに貼っておけ」。その指示通り、新聞を探し求めて、購入した。ファイターズは大型連勝中。一面で「爆勝!」の見出しが躍り出ていた。その新聞をボストンバックに入れて帰京。寮に戻ると自室の一番目立つところに貼りつけた。

 若者は悔しさを糧に成長をする。人は成功ではなく、辛い思い出、悲しい失敗から多くの事を学び、奮い立つ。二木も21歳の時に苦渋を味わった。もう二度と味わいたくない屈辱。だからこそ、その後はどんなに疲れていても妥協することなく練習に取り組み昨年は9勝。今やエースナンバー「18」を背負っている。あの日、励ましてくれた先輩、そして叱咤しくれた人たちのためにも成長した姿を見せたい。いつもそう思っている。

文 千葉ロッテマリーンズ広報室 梶原 紀章

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