フェンシング サーブルW杯直前特集(2)貪欲に、進化を続ける37歳〜男子サーブル島村智博が目指す「五輪」と「やりきる」覚悟

チーム・協会

【日本フェンシング協会】

1年にわたる国際大会の中止・ランキングの凍結が明け、いよいよフェンシングが動き出した。東京オリンピックの切符を争う最後の大会に挑む選手たちに心境を聞く今回のシリーズ。先陣を切り、ブダペストでW杯を戦っているサーブル勢の第2回は、島村智博選手(警視庁)をお届けする。

始めたきっかけは新入部員勧誘

 
 37歳、サーブルチームのキャプテン。
 第一線で活躍を続ける男が、フェンシングを始めたきっかけは意外にも「新入部員の勧誘」だった。

 子どもの頃からスポーツは好きでしたが、小学生の頃に水泳を習うものの、受付だけして練習には参加せず、シャワーを浴びて帰る。中学ではバスケットボール部に入ったけれど当時は身長が低くてフリースローも届かず、厳しい練習に耐えられず挫折。東亜学園に入学してフェンシング部に勧誘された時も「面白そうだし、やってみるか」と軽い考えで始めたんです。
 同期は20人いましたが、小さい頃からやっていたのは3人ぐらいで、あとは僕と同じく初心者ばかりで、剣も持たず、最初はスクワットや基本動作を延々とやらされる。でも不思議と、やればやるだけ形になる個人スポーツの面白さが自分にはハマり、基礎練習も苦になりませんでした。
 ただ、弱かった(笑)。2歳上に福田(佑輔)さんがいましたが、当時からインターハイでも優勝するスーパースターで僕にとっては別世界の人。同じ高校にいながらも、あまりに次元が違いすぎて全く勝負にはなりませんでしたが、それでもどうすれば先輩に勝てるか。食らいついていけるかを考えて練習するのは楽しい日々でした。
 高校時代はフルーレ、3年になってようやく少しずつ結果も伴うようになりましたが、大学もスポーツ推薦ではなく指定校推薦で専修大へ入学。当初はずっとフルーレでやっていくつもりだったのですが、大学入学後にペアで練習する先輩がたまたまサーブルをメインとしていたことに加え、同期にフルーレの強い選手たちが揃っていて、女子の先輩選手にも負けてしまうような僕は団体戦のメンバーに入れる力を伴っていなかった。さすがに「これはダメだ」と断念し、サーブルに転向しました。

2019年カイロW杯 【日本フェンシング協会】

サーブルを知り、世界を知る。「俺もこの舞台に立ちたい」

 見様見真似で始めたサーブル。フルーレとは異なる魅力や楽しさを知り、日本のみならず、大学卒業後には単身ハンガリーへ渡りワールドカップを転戦するなど、新たな経験も重ねていく。
 だが一方で世界の壁は厚く、08年の北京五輪で太田雄貴が日本フェンシング史上初のメダル獲得の偉業を成し遂げるも、当時の島村にとってはそれも夢のまた夢。
 2013年に、今へとつながる転機が訪れるまでは――。

 自由に動ける爽快感。大学生の僕にとっては、それがサーブルの魅力でした。大学時代に指導してくれたハンガリー人のコーチを頼り、単身ハンガリーへ渡り欧州を転戦したり、JISS(国立スポーツ科学センター)でのハードな合宿。ナショナルチームとして活動し、勝ち進むことはできなくても試合に出られる喜び。今とは異なり、遠征費も自分で工面しなければならず、厳しい環境ではありましたが当時はフェンシングができることがただ楽しく、太田(雄貴)選手が北京で銀メダルを獲った時も「すごいな」と思いましたが、同じフェンシングとはいえ、自分とはずっと遠いところだと感じていたのも事実です。
 そんな自分の意識が変わったのは、2013年。リー・ウッチェコーチが日本サーブルのコーチに就任してからでした。自分では気づいていなかったフルーレの癖を指摘され、カット(相手を突く動作)1つとっても「それはフルーレの癖だから、手首をそこまで返すな」と言われる。これでいい、と見様見真似で重ねて来た技術の1つ1つを見直されるたび新鮮で、もともと僕は「なぜそうなのか」と理屈を知りたい性分でもあるので、わからないことは何でも聞く。そのたびウッチェコーチが答えをくれる。それまでも「どうしてあの選手は勝てるのか」と漠然と「なぜ」「どうして」を抱いていた僕に対して、もっと足を動かせ、気持ちで前に出ろ、といった抽象的な表現ではなく、ここでこのステップを入れて避ける。このタイミングで剣を出せ。具体的な戦術を教えてくれるウッチェコーチの“勝つため”の指導はとにかく楽しく、学ぶことばかり。そして13年に日本選手権で初優勝して以後、16年まで四連覇できたように結果が伴ってきたことに、意識の変化が加わった。そこから一気に世界が広がりました。
 2015年、モスクワで開催された世界選手権で太田選手が優勝した時、僕も同じ会場にいました。そして、その時初めてこう思ったんです。「俺もこの舞台に立ちたい」と。
 練習環境も一気に変わり、国際大会への出場機会も増えた。年齢を重ねればなかなか周囲から注意される機会もなくなる中、今でも「それはダメ」と叱ってくれるウッチェコーチから、毎日「勝てる」と言われ続けるうち、「俺にもできる。やってやろう」と思えるようになりました。


 

19年日本選手権では決勝に進出し、華やかに演出された渋谷公会堂の舞台に立った 【日本フェンシング協会】

リハビリがつないだ縁。若手からの刺激。「納得するまでやりきる」

 本気で勝ちたいと願い、勝負に挑んだ。ゆえに、最終予選で敗れ2016年のリオデジャネイロ五輪出場の可能性を失った時、一度は現役引退も考えた。
 思いとどまらせてくれたのは、サーブルの楽しさを教えてくれたコーチ。そして苦しいリハビリで出会った他競技の選手たちの存在。
 年齢を重ねても、それは決して「壁」ではなくいつだって挑戦し続けることはできる。競技人生の大きな目標と掲げる五輪でのメダル獲得、そして生涯現役に向け、島村のあくなき挑戦は、まだまだこれから。さまざまな刺激も力に変え、誰よりも、自分自身の可能性を信じている。

 リオ五輪への出場がかなわなかった時、まだ「やりたい」という気持ちがある一方、勝手に「この年齢で続けるわけにはいかない」と限界もつくっていたんです。辞めよう、と思っていた僕を引き戻したのは、ウッチェコーチでした。
「まだまだチャンスはある。できるんだからやってみたらどうだ。続けるぞ」
 無駄につくった限界を取っ払い、背中を教えてくれた。そんなウッチェコーチの存在はもちろんですが、「やりたい」とチャレンジを決めた自分の現役続行を支えてくれた妻にも感謝しかありません。
 先を見据え、16年にはもともと痛めていた右膝の膝蓋腱を治療、じっくり時間をかけリハビリに取り組みました。それまではフェンシング一色の生活しかしていませんでしたが、JISSで行うリハビリで、他競技の選手たちと一緒になり、毎日毎夜、互いの競技の話やプライベート、とにかくいろいろな話をしました。
 それまではどこか「先輩たるものこうあるべき」と構えていた最年長の僕に対しても「島爺」と気さくにタメ口で接してくる(笑)。フランクだけれどでもそれぞれの競技に真剣で、なおかつカメラや車、ファッションなど趣味も多彩な彼らと接するうち、僕もそれまで気づかなかった多くのことを改めて知り、人脈も見える世界も広がりました。
 アスリートにとってケガは決していいものではありません。でも、僕はむしろケガをしてよかった。そう思えるぐらい、リハビリを通じて出会った彼らの存在は財産であり、彼らに出会っていなければ今の僕はいなかった。ありのままの自分でいいんだ、そして今自分がこうしてフェンシングを続けられているのも多くの人たちの支えがあったからだ、と改めて気づくきっかけにもなり、人の縁、つながりを大切にしようとそれ以上に思うようになりました。
 サーブル日本代表も10代の選手が増え、僕も昨年(2020年)の準々決勝で高校生の小久保真旺選手に負けたのは、さすがに悔しかった。でも、強い選手がどんどん増えてくれば自分自身もレベルアップにつながりますし、日本の男子サーブルの強化にもつながる。大歓迎です。若い彼らも僕のようなオジサンには負けたくないでしょうし(笑)、20代の選手も上から下から刺激が加わる。練習中は勝ち負けを気にするな、と言われますが日本代表になる選手に「負けていい」と思うような選手はいません。
 僕がサーブルチームの“キャプテン”ではありますが、特別キャプテンらしいことをするわけではありませんし、やるとすれば暗い雰囲気で練習することがないよう空気を変えたり、若い子たちが言いづらそうなことは間に入ってコーチに伝えるぐらい。引っ張るとは程遠いですが、間違っている時は違うとはっきり指摘する。それも僕の役目だと思っています。
 新型コロナウイルスの感染拡大で中断されていた国際試合も始まり、ようやくここから。東京オリンピックでのメダル獲得に向け、個人としてもサーブルチームとしても邁進する。そして1人の競技者としては、自分が納得する形、やりきった、と思えるところまでやりきりたい。この年齢まで続けている選手は日本でなかなかいません。選手寿命も長くなる中、まだまだできるぞ、と可能性を示せていると思っていますので、まだまだこれから。納得するまで、やりきりますよ。

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著者プロフィール

突け、心を!  従来のスポーツ界は、五輪で金メダルを獲得することが最上位概念でした。 しかし、私たちはこの勝利至上主義からの脱却を目指します。 「突け、心を。」のキャッチコピーの元、私たちが策定した新たなビジョンは「フェンシングの先を、感動の先を生む。」です。 フェンシングを取り巻くすべての人々に感動体験を提供し、フェンシングと関わることに誇りを持つ選手を輩出し続けていくことを約束します。

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