小笠原満男さんインタビュー 東日本大震災から10年「一人でも多くの命が救えるために」
【©KASHIMA ANTLERS】
10年が経過したいまも小笠原は震災を風化させない活動を続けている。
「一人でも多くの命が救えるために」
その切なる想いを改めて聞いた。
ーー東日本大震災が起きた2011年3月11日から10年が過ぎようとしています。
ーー震災当時、文字通り朝から晩までクラブハウスで作業されていた姿が思い浮かびます。当時をどう振り返りますか?
ーーJリーグが再開されると対戦相手のチームが義援金を集めて渡してくれるなど、震災という辛い出来事がサッカー界を一つにまとめるいい事例になったように見えました。
ーー支援活動を始めたときはなにから手をつければいいのかわからないくらいの状況だったと思います。最初は苦労の連続だったのではないですか?
ーー「サッカー選手ならサッカーに集中するべきだ」という声は少なからずあったと思います。
ーー震災が起きたときはJリーグも中断され、サッカー自体が止まってしまいました。プロになって初めての経験だと思います。サッカーが置かれている立場を改めて考えさせられたのではないですか?
ーー震災直後、スポーツはどうあるべきだと感じていましたか?
ーー震災の映像もそうですけど、その後に起きた津波の映像を見てしまうとスポーツをやっている場合ではないということはよくわかります。
自分も地元を襲った津波の映像は結構見ていますし、それを主催したサッカー大会に集まった子どもたちに見せたり、アントラーズや関東から遠征で来ている津波を知らない子たちに見せたりしています。「みんなにもこういうことが起きるかもしれないよ」と伝えています。特に、岩手の大槌町で間一髪で助かった人の映像であったり、南三陸町の映像であったり、少しでも高いところに逃げることで助かる命があることを知って欲しい。
いまの小学生だと6年生で12歳。10年前の記憶はほとんど残ってないと思いますし、中学生でぎりぎり覚えているかどうかだと思う。小学生だとピンとこないと思うので怖がらせたくはないのですけど、いつか起きるかもしれない現実であること、地震が起き、津波が来るときは少しでも高いところに早く逃げる意識を持ってもらうために、あえて見てもらっています。
ーーただ、新型コロナウイルスの影響で、なかなか現地を訪れることも難しくなってしまいました。
ーー現在も東北人魂の支援活動を継続されていると思います。今後の支援はどのような形で考えていますか?
ーー子どもたちの反応はいかがですか?
ーー風化させないためにも、そうやって語り継ぐことが大切ですね。
ーー先ほどいまのコロナで生活が制限されている状況が10年前に少し似ているかもしれない、という言葉があったと思います。この状況だからこそ、サッカーをやっている人ができることはありますか?
いま指導者がすごく知識をつけて選手に色々教えてくれる時代になりました。でも、サッカーの根本は、自分で学んで、自分で考えて、自分で成長して、自分で伸びていくというのは変わらないと思う。いまこういう時期だからこそ、自分と向き合うことで必要なトレーニングに取り組めるし、長所を伸ばしたり弱点を補うことを自分で考えて取り組める子は必ず伸びていく。いまこそ人と差をつけるチャンスだと思いますね。
それは、W杯に出たり、海外に移籍したりする選手と話していても感じることです。彼らに共通しているのは全員が全員、見えないところで一人で練習、努力してきたこと。チームの練習だけが練習ではなく、シュートを外せば家に帰ってから公園に行ってシュート練習をしたり、ドリブルがうまくいかなければドリブルの練習をしてきた選手。パスがうまくいかなければ壁に向かって蹴る、止めるを繰り返してきた。あそこまで上り詰める選手、W杯に出るような選手は、やっぱり人よりもそうした努力をやってきていた。「そこで差がつくよ」とは指導している子どもたちにも話しています。
ーー昨年は指導しているアントラーズユースが所属するプリンスリーグの昇降格もなくなってしまいました。下部組織の子たちにはそうした話をされたのですか?
ーーどんな状況だとしてもやれることはあるということですね。
ーー現在はコロナ禍の状況ですが、幸いなことにJリーグは開催できています。
2019陸前高田フロンターレサッカー教室(岩手県) 【©KAWASAKI FRONTALE】
支援の成果はなかなか目に見えづらいものではあるが、そうした嬉しい声も少なからず聞くことができている。コロナの状況が落ち着いたら、今後もJリーガーや引退した選手によるサッカー教室などの活動を継続していきたい。
インタビュアー:田中滋(スポーツライター)
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